篁千鶴。
忘れもしない。白蓮が初めて本家に来た時、彼女を案内してくれた陰陽師だ。とても綺麗な人だが、厳しいというかやや暗い雰囲気の持ち主。哀れむような目を向けられたことを白蓮はよく覚えている。
しかし親しみやすいとは言えなくても、分かりやすい女性ではある。彼女が律己に好意を持っていることを白蓮は知っているし――だからこそこの二年間、彼女は兄に千鶴が素晴らしい人だと言い続けてきた。
話し相手になってもらったこと。お世話になったこと。
そんな話を心底興味がなさそうに聞いていた律己だって、定期的に本家へ顔を出す。千鶴と会うこともあっただろう。
その時、真面目で誠実な人柄の彼であれば必ず声を掛ける。妹が世話になっているようで、とか。
自由闊達な妹があれほど良くしてもらった、素敵な人だと繰り返すのだから――と。
(兄さまは、そういう人だ)
三年もの時間があった。
この兄の表情。千鶴との関係性は何かしらの形で築かれているらしい。厳格で淡白な兄だ、ふと気にかけるくらいの仕草だってどれだけ希少なものか。
もしかして、……思ったより、親しくなっているのだろうか?
「大変だな」と兄は言った。
千鶴は決して実力がないわけではないが、晴臣や朔也ほど目を掛けられてはいない。実力者が集まる本家の中では、時折使用人の真似事をさせられることもある――そんな微妙な立ち位置だ。
本家当主の娘にかかることなら、使用人だけでは回らない部分を手伝わされているかもしれない。白蓮でも出来るような想像を律己も巡らせたということだ。
(突撃していい時と悪い時と。どっちだろう)
物事の全てはタイミングだ。時機を見誤ればとんでもないことになる。
千鶴は白蓮のことがそれほど好きではない。それは肌で感じるところだ。それでも白蓮が律己の妹である限り、完全に拒否されることはないだろうと彼女は踏んでいる。
「……でも、私も千鶴さまのことが心配です。やっぱり本を借りに行きがてら、お話してこようと思います」
妹の笑顔を目にして、律己はまた嘆息する。その嘆息と続いた言葉がより白蓮の確信を強めた。
――あまり彼女を困らせないように。
白蓮は、わずかな焦りを感じ始めていた。
もう十歳。あと数年もすれば中学生だ。
街で見かける制服姿の子たちは、白蓮にとってはすでに立派な大人に見える。可愛い制服への憧れもあるにはあるが、それよりも「子供だから」という免罪符が通用しなくなることへの不安の方が大きかった。
五歳上の姉である京香だって白蓮ほど無茶な振る舞いはしないし、両親にだって特段甘やかされたりしていない。
白蓮が多少無礼なことをしても許されるのは、幼いからだ。物を知らない未熟な子供だと思われているからだ。
それが通用しなくなる前に、白蓮はもっと強固なものを手に入れたかった。
有力な陰陽師。将来有望な陰陽師。自分の味方、あるいは、自分に従う力……。
ぼんやりと考えながら、白蓮は本家の門を潜る。
「何か」ないかと探る――無邪気な瞳だけが変わらない。
本家の陰陽師たちも、もはや知り合いばかり。無意識の見下しを白蓮が躊躇なく受け入れてきたこともあって、才能争いに躍起な彼らでも白蓮には気安い態度である。