「どうして千鶴さまがその手紙を書いてるんですか?」
「私は本家の人間だからね……使用人が書いてたらおかしいでしょ」
「いえ、高嗣さまや奥さまが書くものなんじゃ」
「白蓮ちゃん」
千鶴は苛立ちを全力で抑えながら、静かに目の前の子供の名前を呼んだ。いくらこの娘が生意気とはいえ、怒鳴るのは違う。八つ当たりするのも違う。でも彼女は自分がただ本家の血筋というだけでいいように雑用要員にされている現実とも向き合いたくないのである。
黙れ、という気持ちを全て視線に詰めて白蓮を見る。
「色々あるのよ、本家には。で、これは私の仕事なの」
「……ハイ」
白蓮は若干怯みつつ返事をして、大変ですねと軽い相槌を打った。どうやらかなり気に障ることを言ったらしいのに、なんだかんだ相手をしてくれる千鶴へ感謝の気持ちさえ生まれている。
(真面目な人)
剣呑な空気に対して白蓮が繰り出したのは、フォローしなければ、という見事な不正解だった。太陽のような笑顔を浮かべる。
「でも、羨ましいです。分家の色んな人と仲良くなれるの、いいなって思います!」
「羨ましい……?」
「私、色んな人と知り合いになりたいんです。人と話すのが好きだし、楽しいから」
「……」
千鶴はそれこそ化け物を見るような目で白蓮を見た。その取り繕わなさがかえって面白く、白蓮はにこにこしたままだ。
「……。大人はね、関わりたくないようなのとも関わらなきゃいけないのよ」
「関わりたくない分家があるんですか? どこですか? 私、まだ全部の分家に行けてなくて……気になります」
千鶴はもはや怒りを通り越して脱力していた。無邪気な笑顔自体に害はないけれど、この世間知らずはどうにかならないものか。
この時の千鶴が不機嫌だったのは、――分家の中でも一等嫌いな男に自筆の手紙を出さなければならないストレスにもよっていた。
あんな奴には、自分のどんな小さな労力さえも掛けたくない。そう思うような相手に出会ったとしても、篁白蓮は笑っていられるものなのだろうか。
何もかもが自分の思い通りにならず、見下されても、それでも知り合えて嬉しいなんて思えるのだろうか?
千鶴はふとそんなことを思い、それから若干の冷え冷えとした考えが頭を覗かせた。
(ちょうどいいわ)
(だって、この子が望むんだから。そう言ったんだから)
色んな人と知り合いになりたいと。
行ったことのない分家に興味があると。
――行ってもらおうではないか。
「白蓮ちゃん。それなら」
少しは懲りて、大人しくなってくれ。そんなまだ可愛らしくもあるささやかな意地悪として、千鶴は書き上げた一通の便箋を差し出した。
「これを分家に届けてきてくれない? 行ったこと、ないと思うわよ」
「えー! ありがとうございます! もちろんです!」
千鶴の「親切」な提案を即座に受け入れて白蓮は笑う。
心底、嬉しそうに。
それは本家も手を焼く異端の天才。篁千鶴が蛇蝎の如く嫌う男。
「桐原黎明」。宛先となっている名前を、白蓮はしっかりと記憶した。