その日の帰宅途中に白蓮が思い至ったのは、千鶴と律己の関係性についてだった。
朔也が知っていたのだから、律己も黎明のことを知っている可能性はかなり高い。聞いた感じでは、律己と黎明はとても相性が悪そうだ。
千鶴から黎明を紹介されたなどと言っては、律己が千鶴の行動に不快感を示すかもしれない。彼女を好意的に見ているとはいえ、体感――律己は白蓮に相当甘いのだから。
(積み重ねてきたものを壊すようなことは、したくない。もったいない)
黙っておこう。
話すにしても、時間が経ってからだ。黎明に会って事態が動いた後。
律己がすべて後から知って、白蓮が手にした結果を前に仕方ないなと笑えるような。そんなタイミング。
それに、千鶴もいつもの様子とは少し違っていた。
どれだけあの「手紙」を書く作業がストレスだったか知らないが――本来は冷静な彼女が、本家として出す手紙を白蓮に託すなんてよくよく考えればおかしなことである。あれは絶対に自棄だった。
(取り戻されちゃあ、意味がないものね)
千鶴が今になって自分の行動を後悔している姿も、想像しようとすれば容易なものだった。彼女だって、自分が嫌う男を「律己様の妹」に紹介したまずさに思い至らないわけがない。
時間がない。そう結論づける。何にせよ、白蓮にとっての選択肢はただ一つだった。
「明日、朝一で行こう。そうしよう」
この三年のうちに、白蓮の行動範囲は大きく広がっていた。才能はともかく彼女の地頭の良さと行動力は屋敷の誰もが知るところとなっていたし、一人で行動することも許された。
どこへでも突撃しようとする白蓮に、周囲の人間たちが付き合いきれなくなったという面も少なからずある。
だから白蓮が朝も早くから騒ぐのを目にしても、彼女の父――貞明はもはや強く咎めもしない。
「父さま、出掛けてきます!」
「……白蓮。晴臣様にご迷惑じゃないのか、いくらお前でも……」
「大丈夫です!」
嘘は言っていない――晴臣に迷惑は掛けない。白蓮は内心開き直る。
信じられないような早朝に叩き起こされた貞明は、娘が向かう先はいつも通り本家だと思い込んだ。彼女の自由人ぶりを諦めたゆえの悲しい勘違いであった。
白蓮は勝手に調べた桐原邸の近さに驚いた。本家と分家篁は血筋が近いので屋敷も比較的側に置かれているのだが、桐原邸もそこまで遠いわけではなかった。十歳の白蓮でも電車でたった数駅、そこからは徒歩。普通に行けるところである。
これは白蓮には嬉しい新規開拓だった。彼女が本家に出入りできるようになったのは晴臣との縁があったからであって、普通は他の分家になどそうそう立ち入れるものではない。
プライドがあるのだ、良くも悪くも。
特に桐原家には、今のところ「本家付き」がいない。かつて黎明が勧誘を受けたこともあったが本人は無視し、以後そのままだという。
つまり白蓮と桐原家を繋ぐものは、今この場には何もない。
彼女のその小さな体が桐原邸の前に辿り着いても、彼女を迎えてくれる者など――誰もいない。
大きな門は黒金。全体的に暗い色使いの屋敷、その屋根にはなんだか不気味な黒い鳥が見える。
おそらく烏なのだろうが、呪いのための式神と言われたら信じてしまいそうな雰囲気がある。
興味本位で近付く者を排斥するような不思議な圧。桐原邸は妙な物々しさに満ちていた。