「……ここで合ってる、よね」
白蓮は自分を勇気づけるように呟く。
彼女は陰陽師ではない。そのつもりもない。あるのは「篁分家当主の娘」という地位に対する自覚だけ。つまりどこにでもいる十歳の女の子としての格好しかしていない白蓮には、屋敷の門番として立っている者さえまったくの無反応である。
通りすがりの子供が興味本位に覗き込んできている。そんな程度にしか見えないのだろう。
目が合っても白蓮が見えていないかのように逸らす門付きの男に、白蓮はとりあえず声を掛けてみた。
たぶん、桐原の中でも下っ端であろう若者だ。話し掛けるのも躊躇われるというほどの威圧感はない。
「こんにちは!」
(ものすごく訝しげな顔をされた)
白蓮が引かずに一歩前に出てにっこり微笑むと、その男はようやく口を開く。
「子供が遊ぶところじゃないよ。帰れ帰れ」
雑に振られる手と思ったよりも軽い口振り。白蓮は安堵した。
「いえ、用があって来ました。黎明さまに!」
「は?」
門付きの男は耳を疑った。今この小娘が口にしたのは桐原分家当主の名前である。
しかも……。
彼がつい固まってしまったのは、その少女のあまりの普通さのせいだ。
自分は分家の中でも下の立場で、門番などやらされている。とはいえ、仮にも呪術使いの陰陽師。
だが――白蓮からは、何も感じない。実力を測る術がない、というより、測るべき「気配」すらない。
黎明さまなどと何でもないふうに言う姿に、何のオーラも迫力もない。実力を隠しているのだとしても、普通はなんらか違和感があって気圧されるだろう。彼の目に映る白蓮は、本当にただの一人の少女である。
何だこいつ。そんな素直な感想しか出てこない。
だからぽかんと固まってしまった男の顔を見て、白蓮はダメ押ししておくことにした。
「本家の使いです!」
「本家?」
男はさらに驚く。この幼い娘が本家の使い?
彼のような立場であっても、篁本家がどういうものかは知っている。こんな見たこともないような娘が、少なくとも本家の直系でないこともわかる。
つまりこの娘は「本家付き」だというのか。信じがたい状況に彼は心なしか姿勢を正し、つい少女を見下ろす。
もう、はっきりと目が合っている。
「おま……い、いや。名前を教えてくれ。黎明さんに話をするから」
「篁白蓮です」
「篁」
本家の子だ。何者かは分からないが、本物だ。きっと上手く実力を隠しているんだ。彼はそう納得し、気取ることのできなかった自分の力量と知識不足を反省した。白蓮を招き入れ、少し待つようにと言って慌ただしく去っていく。
その背中を見ながら、白蓮は微笑む。
(嘘は言ってない)
そして、当の桐原黎明。
整った顔立ちが何より目を惹く。
年頃の女なら誰でも振り返りそうな甘い美貌である。整いすぎて、逆に作り物――そして偽物のような感じが出てしまう。
ただし長い黒髪はまとめもせず垂らしたまま。無造作な姿は見ているだけで怠さが伝わる――屋敷の縁側で眠っていた彼は、ただならぬ様子でやってきた男の声掛けで薄く目を開けた。
とはいえ、まだ夢現。完全に聞き流す。
寝転んだままの黎明に向け、べらべらとよく回る口を眺める。ようやく話が止まって彼がこちらの反応を待ち始めた頃、黎明はゆっくりと首を振った。
「……ああ、ん? 何だって? ごめん、あんまり聞いてなかったよ」
声は甘く深く、そして語りは緩やかだ。人を待たせているという焦りはまったく感じられない。
「黎明さん!」
案の定怒ったような声を向けられるが、黎明はまったく動じない。身につけた白装束は実に適当な着こなしだが、すらりとした体躯もあって見事に様になっていた。
「で、女の子? どのくらい」
「たぶん小学生ですよ。でもすごい実力者みたいです。とにかく本家の使いだって言うんですから、早く来てくださいよ」
男の声を聞いて、黎明は猫のように目を細めた。何度も急かされて、やっと立ち上がる――あっという間に男を見下ろす側になった彼が口角をわずかに上げただけで、その表情は一気に軽薄さを増した。
「……本家の使いねぇ」
そして、微笑んだまま言う。遠く離れた門の向こうへ静かな視線を向けて。
「そんな気配は、まったく感じないけどね」