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第38話

 黎明は白蓮に合わせてゆっくりと歩いてくれた。身長差を考えれば黎明は相当な気遣いが必要なはずなのだが、のんびりとした足取りは余裕に満ちている。

「黎明さん! ……あれ、その子は?」

 けれども屋敷の廊下を進みはじめてわずかもしないうちに、また若者が駆け寄ってきた。先程の門番とは違う男である。

「お客さんだよ。何か急ぎ?」

「あー、いえ。『さがや』の和菓子を買ってきたんで、皆で食べようと思って」

「そう、ちょうどよかった。この子にもあげてくれる? 後で客間に持ってきて」

「分かりました!」

 男は白蓮にも朗らかな笑顔を向けてから廊下を駆けていく。そんな後ろ姿を見ながら白蓮はつい首を傾げた。

(なんていうか……)

 外から見た物々しさと、全く違う。

 あれだけ排他的で近づきにくい雰囲気を出していた屋敷なのに、内装も人も思っていたよりずっと明るい。

 四回――白蓮が客間に案内されるまでの短い間に、黎明は四回、同胞たちから声を掛けられた。そのどれもが取り留めのないようなことばかりで、黎明もそれに軽いトーンで応じていた。

 白蓮の表情に浮かぶ驚きはそのたびに強くなった。彼女の父である貞明はかなり人格者なほうで、分家の者たちにも親しく接していると思っていたが――それでも、下っ端の者とこんなふうに廊下で雑談などしない。それが当主としての振る舞いなのだと白蓮も思っていた。

 実父でさえ親しみやすいと思っていた彼女にとって、黎明の姿は新鮮に映った。

「皆さん仲がいいのですね」

「君の家は仲がよくない?」

「そんなことは、ないです。でも、もっと厳しい感じなので」

「へえ。仲がいいなら普通にしてたらいいじゃないか? おかしなことだよ」

 黎明はどうでもよさそうな口調で言った。通された客間も清潔感に満ちた感じのよい和室で、白蓮に安心感を与えてくれる。

 白蓮を部屋の奥側へ通し、黎明は障子を閉めた。座るタイミングを量る白蓮に気付いて小さく笑った後、にこやかに言葉を続ける。

「僕は本家の動向にそれほど気を配る人間ではないけど、君が本家の子でないことくらいは知っている。嘘をついてないなら、君の出身は分家のほうだろう?」

「はい。分家篁の当主の娘です」

 白蓮の笑顔を見て微笑んでから、黎明は座布団を勧めた。彼自身が座るというだけの仕草も妙に優雅で、白蓮はつい見惚れてしまう。

「当主の娘に才能がないなんて分かったら、普通は君みたいな子には育たないんだよね。面白い子だねえ――なんだって君みたいな子が、千鶴ちゃんと関係を築けたのか」

 挑発的なような、悪戯っぽい目が彼女をとらえた。白蓮は千鶴の表情をなんとなく思い返しながら、懐の手紙を黎明に差し出した。

『君みたいな子には育たない』。

 それがどういう意味なのか白蓮がなんとなく分かるのは、黎明の言葉が千鶴の姿と結びつくからだ。

 白蓮が見て取れるだけでも、千鶴は本家から期待されていない。雑用を任され、あんなふうに暗い目をして、それでも本家の陰陽師という立場に縋って生きている。

 白蓮はふと思う。自分もそうなるのだろうか?

 篁の家系に生まれてしまったからには、才能主義の中でしか生きていけないのか?

 そしてすぐに内心否定する。そんなことはない。

 そんなことはない、と一番強く信じているのが白蓮自身だ。誰に何を言われようともそれだけは揺らがない。

 彼女は自分の持ったものにも、持っていないものにも、なにひとつ悔いることはない。

「千鶴さまと何があったのですか?」

「聞いてない? 僕がどんな男か」

「聞いてません!」

 きっぱりとした返事。黎明が薄く笑ったところに和菓子――白蓮の好きな饅頭である――が持ち込まれ、白蓮は明るく礼を言った。黎明の前にも饅頭は置かれたが、とりあえずと彼はわずかに皿をずらした。

「さがやのお菓子、大好きなんです。嬉しいです」

「良かったねぇ。さがや、君たちの家ともあんまり距離が離れてないもんね」

 子供をあやすような口調に大きく頷き、白蓮は手にした饅頭を頬張り始めた。そんな姿はどう見てもただの子供だ。

 かわいらしくはあっても緊張感は欠片もなく、詳しい話をする空気でもない。どうせ時間ならあるのだ――待つことに決め、受け取った手紙に目を落とす。

 内容はやたらと小難しく難解な言い回し、黎明は一瞬で読む気を失った。要は本家当主の高嗣に娘が産まれたから機嫌を取りに来いというただそれだけのこと。

 たったひとつの命令を伝えるためだけにこれほど仰々しいことをしなければならない本家の息苦しさ、融通の利かなさ。いっそ悲しくなってくるくらいである。

 そう、前にもこんなことがあった。あのときの取次も、篁千鶴だった……。

 白蓮のなんとも間の抜けた幸せそうな顔を前に、黎明は少しだけ過去を振り返る。

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