桐原黎明は、自分の生まれた分家が好きだった。
排他的だが呪術と精神干渉に優れ、その性質の凶悪さゆえ遠巻きにされる孤高の強さ。
誰もが恐れて迂闊に手を出せない術式を扱うことができ、身内の中でもその誇りが共有される桐原の空気が好きだった。
分家となって以来の最高傑作と呼ばれるほどの天才であった黎明は、ゆえに――本家の要請に黙って従う祖父や父の姿に強い不満を抱いていた。
「本家に呼ばれたから、行ってくるよ」
幼い黎明は、優しく語り掛ける父に言ってみたことがある。
「父さんなら、本家の当主だって簡単に倒せるでしょう。なんで言われた通りにするの」
黎明の父は苦笑した。そんなことを決して外で言ってはいけないよ、と。
父も、祖父も、世にも恐ろしい高度な術をいくつも使うことができた。黎明は父や祖父の強さが誰よりも優れたものだと信じていた――もちろん、本家の当主などよりもだ。
そういうものなんだよ、と父は言った。
分家の大元は本家。桐原の初代当主だって本家に大恩がある。家は分かれても、篁から連なる一族は敵対するような関係ではないのだよ。
そう言われても、子供である黎明にはまったく理解できなかった。黎明は幼い頃からすでに急進派であり、そして改革派であった。
強大な力がありながら本家に阿るのはおかしい。十分以上に渡り合える実力があるのに、古い鎖にいつまでも縛り付けられているのはおかしい。
親族を愛するがゆえに何度も同じことを主張し続ける黎明を、父はいつも困ったような顔で見ていた。黎明はそれが悔しくて、才能があるからと掛かった「本家当主の呼び出し」にも応じなかった。だが。
病気で早すぎる死を迎えるまで――父も祖父も、ついに本家に反旗を翻すことはなかった。
(……)
黎明も、そのうちにやっと理解した。
父や祖父と自分の間に共通していたのは『家を守りたい』という思いだ。
彼らも本家に連なる分家全てを相手にするのは分が悪いと思っていたのだろう。そこまでして自分たちの強さを誇示する必要はないと考えた。
家のことを、所属する陰陽師たちのことを考えて父は本家に接していたのだ。
桐原の陰陽師を、その力を誰よりも信じる黎明の姿勢自体は周りの人間にもよくよく伝わっていた――彼は満場一致で次の当主に選ばれた。
嫌でも降り掛かるようになった『当主としての務め』はどれもくだらないことばかり。桐原の陰陽師たちの助けになるようなことは何もない――本家のプライドを守るためだけの傲慢なものだ。
しかし同胞たちのことを考えればやはり全てを無碍にすることはできなかった。ようやく父の思いが分かる気がしながら、それでも黎明は出来る限り抗うことに決めた。
やる気なさげに振る舞い、真面目に対応せず、批判も悪い風評も柳に風と受け流すことにしたのだ。それが一番の盾になると彼は知っている。
同胞の立場を弱くするようなことはしない。分家の代表として最低限のことはする。
だが、優秀な者を「本家」になどくれてやる気はないし、力が弱い者でもすべて自分たちで面倒を見る。
本家当主の気紛れな「雑談」になど応じないし、「ご挨拶」などもっての外である。
そしてそんな強硬な態度を取る自分の対応を、いつのまにか一手に任されるようになっていたのが――篁千鶴という本家の女性だった。