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第41話

 むしゃむしゃ、と。

 饅頭を食べながら白蓮は考えていた。

(優しい人だな)

 白蓮のために用意された饅頭はふたつ。

 ふっくらと美味しそうなそれを、とりあえずひとつ。躊躇いもなく頬張って幸せに浸る白蓮をみとめ、黎明は受け取ったばかりの手紙に目を落とし始めた。

 黎明の前にも饅頭は用意されたが、手を付けないようである。

 なんだか諦めの雰囲気は感じるものの嫌な顔はしていない。待っていてくれるらしい。

 ラッキーだったなあ、と呑気なことを考えながら白蓮は口いっぱいに広がる優しい甘さと香りを堪能する。

 与えられた時間は思っていたよりありそうだ。

 白蓮だって一応は「お嬢様」と呼ばれるような立場の人間だから、格式ある家の空気感は知っている。そしてそんなものがまったくないこの屋敷。

 明らかに「下」の者たちからも、意外なほど黎明は好かれている。彼らの自然すぎる絡み方や笑顔が演技だとは、白蓮には到底思えなかった。

 白蓮相手に演技をする必要など彼らにはないのだから尚更である。

「……」

 黎明はいくらもしないうちに手紙を畳み、机の上に置いた。まったく興味がないことがひしひしと伝わってくる。

 まるで「またか」とでも言いたげな溜息。

 彼は流れるように白蓮の様子を窺い、ゆったりと頬杖をついた。なにやら憂いを帯びた遠い目ををし始める。

 やたらと様になる姿はなにかの名画のようで、白蓮は感動する。しかしそれはそれとして好物の饅頭は食べておきたかった。

 話の切り出し方を選びながら。

(朔也はああ言ってたけど)

 懐の狼は静かなものだった。あの優しい幼馴染は本家で聞く悪い噂もあって随分心配してくれたが、使うことはなさそうだ。やはり実際に会ってみないとわからないものである――白蓮は静かに学ぶ。

 学んで、状況を整理する。

 屋敷の中の雰囲気はとてもいい。分家の陰陽師たちに歪んだ上下関係がないことはわずかな時間のうちにも伝わってきた。

 一方、本家では異端視されている。当主高嗣の要請を無視したからだ。これについては本当のことのようだし、白蓮が持ってきた手紙もまるで重要視していない。


(本家よりも、この桐原の家を大切に思っているんだ)


 白蓮は、ゆっくり考える。

 篁本家を頂点とした家系にあっては、黎明のような存在は当然異端視されるだろうと思いながらも――つい首を傾げてしまう。

 自分が生まれて当主にまでなった家を、「上」とされる本家よりも大事に思う。それが異端扱いされるなんて、妙なことだと。

 千鶴が彼を嫌っている風だったのは、黎明が本家の思い通りに動かないからだ。彼が歴代当主たちと違うスタンスを取っていることは明らかだ。

 歴代当主たちは、本家の要請には必ず従ってきたという。でも彼はそうしない。自分の家を大切に思っているのに、絶対的な力を持つとされている本家に粛々と従うようなことはしない。

 立場が危うくなろうとも――なのだろうか?

 なぜ?

 黎明は随一の実力者。桐原の家は黎明を満場一致で当主に選んだ。

 彼のことを、この家の皆が支持している……。

「彼のこと」を。

(知りたい)

 知りたい。

 白蓮の胸のうちには、高揚が生まれていた。人の心を追おうとする、飽くなき強い好奇心。謎を暴き、真実をものにしたいという欲求。

 黎明はきっと白蓮には何も話してくれないだろう。

 確かに優しいほうではあるが、彼の微笑みの種類は白蓮が今までに何度も――何度も見てきた、見慣れたものである。

 優しく、そして何も与えてはくれない笑顔。そしてある種傲慢な見逃しの目だ。

 この子供には分かるまい。

 こんな子供には。

 きっと彼は「本家の使い」に話すことなどない。だから白蓮は自分が口にする一言で、物を知らない子供――そして本家に与する者、両方の性質を消さなければならない。

 彼女はやがて選択した。

「黎明さん?」

 何となくぼうっとしているらしいその横顔に語り掛ければ、静かな瞳が白蓮に向く。

「美味しかったかい?」

 空になった皿を見ての優しい問い掛けに、白蓮は明るく笑って頷く。

「黎明さんも、どうですか?」

「僕は、これから君との会話に集中するからさ」

 穏やかな声に嫌味はない。天才であり分家の当主が、情けからか一対一で対峙してくれる――今のうちだから大した障害もなく叶う機会を逃さず、彼女ははっきりと言葉をぶつけた。

「私、本家を壊そうと思っているんです」

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