白蓮はそれから、黎明の話を大人しく聞いた。
かつて本家から呼び出しを受けた時に断ったが、それを仲立ちしていたのが千鶴だったこと。
自分が基本的に本家と距離を取るようにしているから、千鶴は「仕事」が果たせず苦労しているのではないかということ。
それでもいつも生真面目に自分を動かそうとする千鶴が今回は白蓮を送ってきたので、そういう意味では心配している――と。
だが、語られたのはその程度だった。黎明の話は、真実ではあるとしてもまだまだ上辺のもの。
彼はどこまで白蓮に明かしたものか思案している途中なのだ。本来何も明かすつもりはなかった頭が、不思議と思考を始めている。
「千鶴さんのこと、心配なんですね」
「まあね。だけど僕には何もしてあげられない。残念だけど僕は――桐原は、本家の形式ばった要請に従う意味を見出せないから」
彼女のためだけに動くことはできない。
白蓮はようやく黎明から明示されたスタンスを理解して、なおさらと笑顔を返す。
「ですから、私、黎明さんにお願いがあるんです。本家を壊すために!」
「……」
流石に。
三度も言われてしまっては、黎明も彼女が言うことを話の中心にせざるを得なかった。
「白蓮ちゃん」
表情は無邪気だ。口調も明るく呑気で、発言とまるで噛み合わない。けれど目の奥だけがやけに真剣で、どうにも無碍にできない何かが潜んでいるように黎明には見えた。
だから黎明は正面から尋ねてみることにした。彼女がそうするように。
「はい、黎明さん」
「君はさっきから本家を壊すと大層なことを言っているけど、どういう意味だい? 僕は本家の才能主義が確かに嫌いだが、あれが子供の力で変えられるとも思わないよ」
「いえ。変えられます――子供だから」
即答だった。
子供だから。白蓮は自信に満ちた口調で言った。
教えてあげるとでも言いたげな、無邪気で可憐な表情。
「……子供だから?」
「晴臣は高嗣様の後継ぎだけど、高嗣様とは違います。才能以外にも必要なものがあるって、晴臣は私に言いました。高嗣様よりずっと視野の広い当主になります」
当主の後継ぎ。
友達。
まだ明らかな子供。純粋な良心にまだまだ流される年頃だ。白蓮がそんな相手の正しい未来を信じているかと思うとむしろ痛ましい気分になり、黎明はつい口を出す。
「なるかは分からないよ」
「私が見ています。絶対に、歪ませたりしない」
目が眩みそうなほど真剣な視線が、痛かった。
黎明はふと少女から目を逸らす。一度は言おうとして言葉を飲み込み、少し考えて。
「……大人になっても、彼は君を側に置くかな? どうしてそんなことを信じられる?」
とうとう自覚的に黎明は彼女の心を刺した。
子供ながらの夢物語は、自分もかつて思い描いたものだ。そしてそれが簡単な話でないことを、一筋縄には行かないことを身をもって知った。
昔の自分を見ているようだ。
祖父と父に言いすがり、優しく嗜められていたときの自分。何も知らず、自分の信じるものが一番だと思っていたときの自分。
後になって絶望する姿を見たくない。友情を担保に歪んだ上下関係のない未来を夢見て、結果誰より深く傷つくだなんて救いのない話だから。
(優しい人で、よかった)
――そしてそれは、白蓮が一番欲しい言葉だった。
「そのために、黎明さんが私の格を上げてください」
「……なに?」
聞き返した黎明は、少女の笑みを見た。
「才能がなくても人を動かす力があると。本家の当主の友人に相応しい存在だって、今から周囲に知らせておけるように。私が本家にとって重要な人間になれるように」
堂々と語る白蓮の目に、わずかの翳りもない。
子供だった時とは違って、今の黎明は常に冷静であることを自分に課している。人を煙に巻き、誤魔化し、諦めさせることを意識してきた。
それは守りたいものを守るためだ。だから白蓮が何を言おうと淡々と受け止めて流すつもりだった。安易に反応せず、すべて慎重に考えてから発言していた。
それがこのとき、初めて崩れた。
「……どうやって」
気付けば発していた声は、どこか乾いていた。失ったものを見つけて求めるような響きが確かにそこにある。
「はい、黎明さん」
白蓮はそれを静かに受け止める。自分の言葉を待つ者に応えるため、ゆっくり一呼吸。
かつて追った理想を諦めた男のことを、少女は真っ直ぐな夢物語をもって刺し返す。
「黎明さん。私に説得されたと言って、あなたから本家に歩み寄ってください。未来のために」