少女の持つ不思議な魅力については、もう黎明も認めざるを得なかった。
決して悪くない地頭。無邪気で恐れ知らずの言動の中に、シビアな価値観も見え隠れする。
瞳に宿る輝きへ希望を見出す者がいるのは、よくわかる話だった。現に黎明だって絆されそうになっている。
――だけれども。
黎明は今一度冷静になる。それは彼が今までの人生の中で獲得してきた大人としての矜持が、やっと白蓮の言葉に追いついてきたからだ。
「だめですか? お願いします、黎明さん」
自分を見つめる大きく丸い目は、思わず味方になってやりたくなるような感じがある。ただそれでも、いつもの自分を思い出した黎明にはそんな反応がやや未熟なものに見えた。
大丈夫。
「君の提案は魅力的だよ」
黎明はまた人好きのする笑顔を浮かべた。
「君は才能のなさゆえに、今の本家を盲信しないでいられる稀有な人間だ。そんな君が本家跡取りの友人として認められ、誠実な人格の持ち主である『晴臣様』を信じて支え続ける。そして彼が成長して権力を持った時、本家が、篁が良い方に変わる。――そうだね?」
「……」
白蓮は優しい言葉のトーンに何かを感じ取ったか、不安そうな表情になる。
小さく頷いたあどけない表情を見届けて、黎明は諭すように語り聞かせた。
「君の言うとおりになればいいさ。でも大人は色々な角度からものを考えないといけないんだ――理想論だけでは、行動を起こすことができない」
こちらを見る無垢な瞳は何を考えているのだろう。黎明は黙っている白蓮と目を合わせ、ゆっくり尋ねる。
「白蓮ちゃん。担保、ってわかるかい」
「……いえ」
白蓮には、彼の言いたいことはなんとなく理解できていた――自分にはまだ、信用が足りないということなのだろう。けれどもそれを上手く言語化することはできなくて、首を横に振る。
「わかりません」
正直な返答に子供らしさを見て、黎明はわずかに失っていた余裕を取り戻す。
「君を信じるためには、もう少し説得力が欲しい。そう言ったら、君はどうする?」
白蓮は、明らかに困った顔をした。眉が下がり、目線も下がり、そして沈黙。
いや。小さく、うーん、などと言っている。
十歳には過酷な注文である。黎明にもそんなことは分かっている、むしろ子供に注文をつける自分のほうこそどうなのかという思いすらある。
けれども、そのくらい向き合わないといけないと思わせてくれるのもまた白蓮だ。
理想を追うのが楽しいことはよく知っている。白蓮が自分の期待に応えられないことは承知の上で、できるだけ傷付けないようにしたいと思うことくらいは許されるだろう――そんな「大人」の結論に落ち着いた時。
白蓮が顔を上げた。
「分かりました」
「ん?」
「黎明さん、庭に出てもいいですか? 私と戦いましょう!」
またなにか言っている。
黎明はつい素で反応しそうになってなんとかそれを誤魔化し、ゆるりと首を傾げた。
「……んー?」
私と戦いましょう。
そんなふざけた言葉から続いた白蓮の提案に、黎明は乗ることにした。
所詮子供の遊びだ。付き合ってやろう。そう思ったのだ――彼女が「担保」として語った内容は黎明にはとても馬鹿げたことのように聞こえたし、まったく説得力を持っていなかった。
とうとうこの時、黎明は安堵したと言っていい。未熟な期待に満ちた子供の望みに従い、それで終わりにしようと、彼はそう思うことができた。
とはいえ。
「本当に大丈夫なのかい?」
庭に出た二人は向かい合って立っている。身長差があまりにもあるせいで非常にシュールな光景だ。
複雑な顔で腕を組む黎明とは裏腹に、当の白蓮は楽しそうににこにこしている。
その袂に――狼が一体、眠っているのだった。
「大丈夫です!」
「……」
「だって黎明さんが、この子はとんでもない力があるって言ったんじゃないですか!」
「言ったけどねえ」
陽はもはや高く昇っていた。明るい光が降り注ぐ庭の空気はなんとも牧歌的で、通りがかった若手の陰陽師も気軽に声を掛けてくる始末である。
「あれ、黎明さん? 何やってんですか」
「見せ物じゃないよ、……と言いたいとこだけど」
黎明は呆れ半分で首を振った。どう見ても遊びだし、見せ物の範囲だろう。
心底楽しそうな白蓮の笑顔を見て、とても真剣な状況ではないことをみとめると――彼は「当主がなにかやるみたいだ」と他の者まで集めに行ってしまった。
「みんな見てくれたら、そのほうがいいです」
「君の賭けはかなり分が悪いと思うけどな」
「そんなことありません!」
あっさりした口調を聞いていると逆に不安になる。黎明は遠慮なく増えていく呑気なギャラリーたちを恨み半分で見ながらも、わずかな恐れを抱き始めていた。
(本当に彼女の言うとおりになったら、どうする)
担保。
この小さな娘が担保にしようとしているもの。
黎明も見定めたように、白蓮には何の力もない。才能もないし、恐れるべきものなど何もない。
それなのに彼女は人を動かす。無邪気に笑い――その笑顔で他人の心を、行動を、引き摺り出すことができるらしい。
(本当にそうなったら)
もう、考えても仕方のないことだった。
白蓮はたくさん集まった暇な若手どもと手を振り合ったりした後、くるりと黎明を振り返る。
「では、お願いします!」
満面の笑みで言うようなことではない。黎明は今一度溜息を吐いて、軽く右手を持ち上げた。
「……子供を殺す趣味はない。もちろん、君に当てたりはしないからね」
黎明が属する家の特有術は精神干渉だが、決して一般的な対人攻撃ができないわけではない。
彼は多才なのだ。
多才なのにひとりの非才に魅せられて、黎明は彼女の希望に沿うよう攻撃を放った。
轟音とともに地面が揺れた。