(篁白蓮……)
黎明は廊下を歩きながら、激動の一日を振り返る。
たった一日で本家への姿勢を変える決断をすることになるなど、とても信じられない。
冷静に考えていたつもりだった。だがその果てで選んだ結果がこれだ。
白蓮は自分の目にも一日中、無邪気で明るい少女のままだった。裏表があるようでもなく、誰かを陥れようとする性根の悪さも感じ取れなかった。
だが彼女は本家の現当主を否定し、何の期待もしていないことを表明した。そして笑顔のまま他人を賭けに使い、自分へ向けられる心配を取引材料に――担保にしようとした。
おそらく何の悪気もないことだろう。そうすれば他人を動かせると思ったからそうしただけだ。
(……だが、あの子は本物だ)
様子を見た限り高嗣の息子も、あの式神の天才も、白蓮のことを信頼しきっている。温かい友情の姿が、彼らが積み上げているものが黎明には見えた。白蓮が持つはずの性質と、白蓮が築いているものが両立していることが黎明は怖かった。
――自分が利用されていると知っている。
黎明はその上で少女の提案に乗ることにした。彼女の行動がどれほど意図的だとしても、根底に悪意があるわけではないと信じたからだ。
今の歪んだ本家の在り方を変えるつもりはあると、そう思えたからだ。
人心に干渉するのなら、桐原も似たようなもの。
目的のために人の心を利用し、その力があるからこそ無謀な変革を達成できる――そういう種類の人間だと見込んだ。そして黎明は動いた。
「未来のために」。
少女の人生の行方に賭けてみたくなった。
あの純真無垢な少女。
他人の性質を笑顔で差し出す恐ろしい子供。
(成長したら、どうなる?)
その微笑みに、どうしようもない魅力を認めながら――黎明は静かに息を吐く。白蓮に心の奥底まで許せば完全に取り込まれる。今や彼は正しく理解していた。
あの小さな掌の上に自覚的にありながら、自分の魂を守り抜くことができるか。
(……やってみせる)
それが桐原黎明のした賭け。確かに動いた心の揺らぎを、彼はひとり胸の奥へ隠した。
*
桐原黎明の「謝罪」に、高嗣は心底驚いた。素直に従わせたいと長年思っていた天才からの申し出は願ってもないものだったが、あまりの変わりように彼は尋ねた。
何がお前をそうさせたのか、と。当然のことだった。
黎明は答えた。
「晴臣様のご友人の、篁白蓮さん。……彼女は確かに一種の天才ですよ。人間の素晴らしさは陰陽術の才能だけでは決して定まらない。だからこそ私も、自分の生き方を顧みることとしたのです――一度くらい、お話されてみては?」
分家の当主の娘とはいえ、幼い頃に才能がないと聞いてから何の興味も持っていなかった。
しかし高嗣の愛してやまない「天才」が、それも自分の誘いさえのらりくらりと断り続けた男が、とうとうそんなことを言ったのだ。
可愛い息子や疑いようもない未来のエース達が、もう何年も親しくし続けているらしい娘。天才を改心させ、自分の元へ連れて来た不思議な少女。
「……そうだな……」
後日、白蓮は高嗣から直々に呼び出された。才能ある者以外に興味を示さない高嗣の差配として、これは異例中の異例であった。
今までろくに存在を認知しようとしなかった後ろめたさもあってか、高嗣は白蓮へそれなりに丁重に、優しく接した。そしてそれだけで十分だった。
本家の当主が分家の若者に自ら会うこと。それはつまり、「目をかけるに値する」との宣言に等しい。
白蓮は名実共に――本家が重く見る存在としての、確かな地位を得たのだ。