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第51話

「璃々」

「兄さま! 白蓮じゃなくて、璃々と遊んでください!」

 璃々は軽やかに兄の側へ駆け寄ると甘えるように手を伸ばした。咎めるような声を出した晴臣も、流石にそれを振り払うような真似はできない。

 けれど、どこか煮え切らないような、諦めたような表情で白蓮を見た。毎度のことながらなんとも気まずそうである。

 愛らしい顔立ち、本家当主の娘として充分な才能、当主の跡取りである晴臣の妹という安泰な立場。

 親と兄にこれ以上はないというほど甘やかされて育った結果、璃々は順調に我儘娘として成長中である。

 幸いなのは彼女が使用人たちに当たり散らすような人間にはまだなっていないということと、兄である晴臣を心から慕っているということ。

 そして不幸なのは、晴臣の友人である白蓮が璃々から蛇蝎の如く嫌われているということだった。

「やめるんだ。白蓮は一応、本家の来客で――」

「知りません! 璃々は兄様と遊ぶの、白蓮は帰って!」

「ええー」

 六歳の純粋な敵意は面白いものだなあ、などと白蓮はぼんやり思う。何を言われようが別に構わないのだが、建設的な話し合いなどできないのは明らかだ。

 そういう意味においては、白蓮は子供が苦手だと言えるのかもしれない。

「璃々」

 晴臣がわずかに強めた声に、璃々は体をびくりと震わせた。これ以上言うと怒られる、ということはさすがに分かるらしい。璃々は口を閉じるかわりに白蓮をきっと睨み付け、兄の後ろに隠れた。

 いや、隠れてなお陰から睨んでいる。特に迫力があるでもないその姿に白蓮は苦笑してしまう。

「ごめんごめん、晴臣。今日は帰るよ」

「おい待て。まだ話は――」

「妹は大事にしなきゃ駄目だよ。じゃ、またね、璃々ちゃん」

 白蓮が帰ることを決めたのは、晴臣の声に説教が続く気配を見たからでもある。小さな影に向かってひらひら手を振ってみたが、とても兄に見せるとは思えない形相を向けられるだけだった。

 晴臣を適当に誤魔化しつつ部屋を出た白蓮は、軽く息を吐く。正門へ向かっていた彼女は、途中で珍しい姿が廊下の先を行くのをたまたま目にした。深緑の質の良い和装、その後ろ姿に確信を持った瞬間に反射で声が出る。

「おじさまー!」

 思っていたより大きな声が出た。しまった、と思っているうちにもその姿はゆっくりと――白蓮の主観では嫌々と、振り向く。

 本家当主高嗣その人である。

「白蓮」

「こんにちは! いやー今日も璃々ちゃんに手酷く追い出されまして!」

「……」

 ――六年前のあの日、この娘を呼び出したのが全ての転機だった。高嗣は振り返る。

 一度懐に入ったと思えばこの娘は、「天才達」との実に多彩な縁を盾に高嗣へ会いに来るようになったのだ。

 高嗣が時折「天才」達へ白蓮の話を振ってみれば、彼女と知り合いである確率は異常に高かった。

 重く見る才能の持ち主たちがいずれもにこやかに白蓮のことを語るので、高嗣は思わず尋ねた。

 ――何故あのような、才能があるわけでもない娘とそこまで親しくしているのか。

 悪意からという訳でもなく、純粋に気になっただけの質問。しかし答えはいつも同じだった。

 ――才能というか。昔からあんな感じですよ、あの子は。

 そんな言葉に納得せざるを得ないような六年だった。

 篁白蓮。

 いつも明るく、いつも笑っている。

 何事にも積極的で物言いには遠慮がないが、人との距離感を測るのも上手い。本家の名だたる陰陽師達と友達のように接している。

 彼女から悪意を感じたことはない。

 しかし少しでも気を許せば、彼女には余計なことまで話しそうになってしまうのだ。高嗣は白蓮との接し方の正解が未だに分からない。

 一人の陰陽師としては弱すぎて――否、彼女は陰陽師ですらない――押さえ付けることもできない。

 篁の陰陽師の一員であるという重圧が彼女には効かない。それは高嗣にとって非常にやりにくいことだった。

「あれは少し元気すぎるだろう。苦労を掛けるな」

「いいえー! 可愛い盛りじゃありませんか。私もあの年くらいから本家で遊ばせてもらってましたし」

 白蓮は人好きのする微笑みを浮かべた。

 昔、高嗣は彼女を歯牙にも掛けなかった。過去など忘れたかのような、――忘れていないかのような笑顔が、いつでも無邪気にそこにある。

(この、娘は……)

「まあ、仲良くなれるよう気長に頑張りますよ。またお邪魔します!」

 高嗣がゆっくりと頷くのを見届けて、白蓮は再び歩き始めた。考えているのは次のシフトいつだったっけ、という呑気なこと。

 それから、もう一つ。

 今正直に話した通りのこと。


(どうやって、「仲良く」なろうかな)


 軽い足取り。彼女は笑っている。笑っているが――一瞬だけ細められた目の意味は、誰も知らない。

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