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第52話

 スパイス・ラサ。白蓮が最近アルバイトを始めたインドカレー屋である。

 本家からも分家からも歩いて行けるという実に丁度いい位置にある。庶民派で店の作りも質素だが、その分入りやすく学生達も多い繁盛店だ。

 高校生になったばかりの白蓮が早速こんなところでアルバイトをできている理由は二つ。

 一つは白蓮が新しい高校生活に一瞬で馴染み、学業もまったく苦になっていないということ。

 そしてもう一つは、この店をやっているのが彼女の兄、篁律己の知り合いだということだ。

 白蓮は授業が終わると直接「スパイス・ラサ」へ向かい、そのガラス扉を押し開けた。

「こんにちはー!」

「お。白蓮ちゃん」

 店に入って正面に広がるカウンター席には、数人の学生が入っていた。明るく声を上げた彼女の姿をみとめ、店主の熊のような男性が鍋からカレーを掬い上げながら「お疲れ様」と笑う。

「はーい。いらっしゃいませー!」

 そのままの明るさで学生たちにも挨拶をぶつけた白蓮は、思わず振り向かれてぎょっとした顔をされる――中に数人、白蓮の突飛な様子を自然に受け入れてくれているのはここの常連だ。

 驚いたらしい「初見さん」には、「ここでアルバイトしてます」と笑顔を向ける。納得したような顔をされるとまた微笑み返し、白蓮は裏へ着替えに向かった。ロッカールームから制服扱いのTシャツを取り出しながら、不可思議そうに首を傾げる。

「CURRY IS JUSTICE」――意味不明だ。鮮やかなオレンジのシャツなのでかろうじて可愛いかと思っても、どうしてもインパクトが強すぎる。

 これを笑顔で差し出してくるところ以外はとてもいい人なのに、と店主を思い出して眉を寄せる白蓮。とはいえ彼女がそれを着ると、妙な愛嬌があるように見えなくもなかった。

 間違いなく印象深くはあるだろう。

 まあ、それならそれでいいか――そう思いながら白蓮は店に出た。どんなことも大して気にしない性質だ。

「コウさん。今日もよろしくお願いします!」

「はいよろしく。諒のやつが昨日から風邪で寝込んでてね、白蓮ちゃんだけが頼りだよ」

「えー!」

 店主が呆れた声で言うのは自分の息子のことだ。夏木諒――彼こそが律己の昔の同級生、そして放課後にアルバイトがしたいとごねる妹を見かねた律己が頼った友人である。

 いい人だ、と白蓮は考えているが、白蓮はだいたいの人をそう評価しているのであまり意味はない。

「諒さん、大丈夫なんですか?」

「あんなやつ、知らんよ。自分で何とかするだろう――それより白蓮ちゃん。注文、注文」

「あっ、はい!」

 店主に促された瞬間にもちょうど新たな客が入ってきたところだった。忙しくなりそう、と思いながら白蓮はふとその人物に目をやり――そして声を掛けた。

「いらっしゃいませー! いつもありがとうございます!」

 それはこの店の常連だった。

 名前は知らないが――よく夕方に一人でカレーを食べに来る、線の細い男性。

 病弱なのかな、という印象を誰もが持つほど色が白い。加えて若手俳優のような綺麗な顔をしているので、それはよく目立つ――たまに女性客がざわざわしているのも見かけるくらいだ。

「空いてるお席どうぞー」

 白蓮の声に、彼はにこ、と微笑んだ。わずかに首を動かして店内を窺い、端の席につく。

 白蓮は彼からなんとなく奇妙な感じを受けていた。顔を見れば彼と分かるのに、家で思い出そうとすると何故かぼんやりとしか姿が浮かばないのだ。

 妙に謎めいたところのある存在。

 白蓮の明るさを好意的に見てくれるか、物珍しい目を向けてくるか、大体その二択である来客の中でも――彼だけは、いつも白蓮を静かに見ている。

 いるな、と思われている気がする。

「観察」、されているような……。

 なんだろう、と思いながら食器を片付けて数分。白蓮が彼のところへ注文を取りに行こうとしたその瞬間にも目が合い、なんとなく気まずいような思いをする。

「ご注文は?」

 彼は白蓮のほうを見ていた割に、いつも聞かれてからメニューに目を落とす。

 スパイス・ラサのメニューは、気まぐれで適当な店主によるお手製。来る度に何かしら変わっているというのが売りだ。

「――また、新メニューがありますね。じゃあ、それを」

「ハイ! ……え、ほんとにですか?」

 白蓮のほうが聞き返すという店員にはあるまじき行為にも、青年某は確かに頷く。

 それでは仕方ない。白蓮はにっこりと笑顔で接客を終え、カウンターの店主のところへ戻る。

「店長。『目指せ日本とインドの架け橋! 寿司カレー』、お願いしまーす」

「おおっ、初めての注文だ! ……やっぱりあの兄ちゃんか。分かってるよなあ彼は!」

「んん。うーん。そうですねえ?」

 首を傾げる白蓮。ついまた彼の方に視線をやってしまうと、またしても目が合う。

 何を考えているのかわからない、薄く上品な微笑。

(面白い人)

 他の常連たちは見事に見ない振りをしている新作カレーを毎回頼んでくれて、そして何でもないように完食してくれるという点でも――彼は実に奇妙な青年なのだった。

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