あまりにも奇抜な一品である寿司カレーが盛られていた皿は、それは綺麗に完食されていた。白蓮はさすがに呟かざるを得ない。
「うっそ……」
青年が去った後、ふと客足が途絶えて二人になったタイミングで店長のコウ――夏木功が嬉しそうに声を上げる。
「白蓮ちゃん。今回も好評だったなあ、新メニュー」
白蓮はすっと視線を逸らしつつ、歴代の新メニューを頭に思い浮かべる。
パイナップル丸盛りカレー、プリンカレー(追いカラメル付き)、たこ焼きカレー、かき氷カレー。
白蓮の記憶の限りだが、開発された新メニューを頼んでくれたのはあの青年ただ一人である。
「……店長、あのお兄さんのために新メニュー開発してるみたいな感じになってます」
遠慮がちながらもはっきりとした発声に、店主は若干よろめいた。けれどもなんとか耐えてみせると、力強く拳を握る。
「いいんだよ。俺の新作カレーを待ってくれてる人がいる、こんな素晴らしいことはない! それがたった一人だとしても、俺は新たなカレーを作り続ける!」
情熱に満ちた宣言。白蓮が「わー」と言って拍手をすると、店主は満足そうに頷く。
楽しい職場だった。
「でも――あの人、何なんでしょう? なんだかすごく見られてる気がするんですよ」
白蓮が振った話に、店主はぎょっとして彼女の方を見た。
「なんだ? ストーカーか? 出禁にしようか」
「えっ。いやいやそんなんじゃないです。ちらほら目が合うなーみたいな、それだけですよ」
「……本当に?」
「ハイ。本当に」
「白蓮ちゃんに何かあったら律己くんに顔向けできないしな。すぐ相談してくれよ」
店主の表情は純粋な心配に満ちていた。変な人だけれど、ちゃんと保護者なのだ――白蓮を守るつもりのある、頼りにしていい存在だ。
「ありがとうございます。何かあったら、絶対にすぐ相談します」
優等生らしく答えた白蓮にまた頷き返すと、店主はそのまま思い出したように尋ねた。
「そうそう、律己君は楽しくやってるのかい? 俺ぁ諒にも早く結婚してほしいんだけどなあ」
たまに飛んでくるこの話題に対して、白蓮は笑った。――昨年ようやく結婚した兄と、その妻のことを思い浮かべながら。
「元気ですよ。すっごく幸せそう」
「れんちゃん! それは恋だよ!」
「はい?」
「だってその彼、ずっとれんちゃんの方を見てるんでしょう? 恋だよ!」
「姉さま……」
十六歳の白蓮に対して、次姉である京香は二十一歳になっていた。分家を出た律己に代わって、長姉の千景とともに役目を果たす「才能持ち」ではあるのだけれど――どうも恋愛話が好きですぐ話がそちらに飛んでしまう。
元からそういう話が好きだったのかもしれないが、白蓮には京香が「こう」なった原因に大きすぎる心当たりがあった。兄である。
(あれは確かに凄かったな)
白蓮たちの兄――篁律己は、数年前に本家の血筋である篁千鶴との結婚を決めた。
当然、ついに本家付きとなって高嗣の元で暮らすのだと思われたが、彼は――都合良く使われていた千鶴を本家から出すため、高嗣からの要求を撥ねたのだ。
高嗣はそれまで比較的従順だった律己の徹底的な拒否に不快を示したが、今や分家当主の次に実力を持つ律己の存在は彼としても惜しかったのだろう。
一年以上の交渉の果てに、律己は本家のすぐ近くに構えた新居で暮らしながら、実質的には「本家付き」としての扱いを受け入れることで高嗣の合意を取った。
ついに彼は本来の望みであった、千鶴の本家雑用役からの解放に成功したのだ。
(そうそう。今や「千鶴姉さま」なんだよね)
白蓮は大変面白く観察できた数年前の親族間紛争を思い出し、口角が緩みそうになった。
兄があそこまでするとは正直思っていなかった。自分が地道に撒き続けた種が大きく美しい花となったあの瞬間を、白蓮はまだ鮮やかに記憶している。
その意識を現実に引き戻す、華やかな声。
「ちょっとれんちゃん、聞いてる?」
「聞いてます! けど、すぐそうやって……。やっぱり律己兄さまの結婚に引きずられてますか?」
「羨ましいよねー!」
妹の問い掛けを鮮やかに吹き飛ばし、京香はさらにワントーン高い声を上げた。かの結婚騒動のときに京香はちょうど華の女子高生だったので、色々と嵌ってしまったのかもしれない。
「れんちゃんだって、素敵だと思ったでしょ? 千鶴さんもいい人だし。千景姉さまと名前似てるよね」
ぽんぽんと飛ぶ姉の話に、白蓮は小さく笑った。これはただの雑談だな、と思いながら相槌を打つ。
「確かに似てますね。性格も……」
「わかる! どっちも真面目すぎるって感じだよね。千景姉さまが二人になったみたいだよー」
律己がいなくなり、千景はさらに責任感が強くしっかりした女性になっている。本家との繋がりも濃くなっていく中で、その性格の堅さに拍車が掛かっているような気がする――というのが白蓮の見立てだった。
京香のおどけた台詞に同意を示すため彼女は笑って頷いたが、それも京香の勢いにかき消される。
「あ! でも、駄目だよれんちゃん」
「え?」
「まだ高校生になったばっかりなんだし、そんな素性のわかんない人についていかないように!」
「こ、子供じゃないんですから。そんなこと……」
「いーや、れんちゃんは面白そうだったらついていく! 私にはわかる!」
無礼にも言い切られてしまったが、白蓮は言い返すことができない。図星だからだ。京香は変わらず愛らしい挙動の妹に笑い掛けつつ、最後はいつものように話を締め括ったのだった。
「れんちゃんには晴臣様がいるでしょ。変な人とあんまり関わらないようにね!」