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第61話

 白蓮はまた「スパイス・ラサ」で、と言う真と別れ、帰り道にある一軒家へ立ち寄った。ものすごい豪邸という訳ではなくとも、趣味の良さが光る綺麗な家だ。

 躊躇なくインターフォンを鳴らした時には、夜の六時近くになっていた。やがて開いた扉から、以前よりずっと美しさを増した女性が顔を出す。

「やっぱり。白蓮」

「千鶴姉さま!」

 太陽のような笑顔を浮かべる白蓮に対して、その女性――篁千鶴は思わず苦笑した。

「あなただと思ったわ。今日は何の帰り?」

 千鶴の声にはあからさまな呆れが滲んでいたが、白蓮はもうそこに親愛の情を見ることができる。

「えーっと、習い事です! あの、どうしても千鶴姉さまに相談したいことがあって」

「私に? ……まあ、上がって頂戴」

「やった! ありがとうございます!」

「どうせ何も食べてないんでしょう? あんまり食材ないわよ、今……」

 何やらぶつぶつ言いながらも千鶴は家の中へ白蓮を促し、「鍵閉めて」と言った。これがどれだけ千鶴にとって心を許した態度かわからない白蓮ではない。

「ご家族には連絡しておいてよね」

「はーい!」

 元気な義妹の返事にはひとつ頷くだけで、千鶴は彼女に何か用意してやれる食事がないか考えながらキッチンへ向かう。つい物憂げになったその表情を見ながら、白蓮はなんだか律己兄さまに似てきたななどと思う。

 律己との結婚騒動の中――白蓮は明るく千鶴に声を掛け、徹底的に味方であり続けた。

 渦中で胃を痛めていた繊細な千鶴にとってそれは時に救いとなり、結果この数年で彼女達の間には確かな信頼関係が育ったのだ。

 本家で受けていた都合の良い扱いからも解放され、律己と過ごす穏やかな日々。

 千鶴は今や身内となった白蓮に対して、本来持っていた情深い優しさを無意識に向けるまでになっている。

 それはそれとして、近くにいるからと度々新婚家庭を訪ねていく白蓮も白蓮だったが――トラブルになっていないのは、律己が妹に甘いことをよく知る千鶴の寛容さと白蓮の愛嬌の成せる技だった。

 その律己の帰宅まで話を聞いてもらえることになり、白蓮の前にはこれでも飲んでいなさいとココアが用意された。

(律己兄さまも千鶴姉さまも、甘いもの嫌いなのに)

 要はほいほい遊びに来る白蓮のためのストックなのだ。白蓮は慣れた風でテーブルにつきながら、濃い甘さに笑顔を浮かべた。

「それで、どうしたの? 改まって相談なんて」

「えっと。私に五万円が出せればいいだけの話だったんですけど……」

「五万円?」

 女子高生が口にするには不穏な額に千鶴は眉を顰める。

「まさか変な請求詐欺にでも引っ掛かったとかじゃないわよね」

「あっ。惜しいかも」

「ええ?」

 さらに怪訝そうな顔をした千鶴に、白蓮は慌てて手を振った。

「大丈夫です。あの、千鶴姉さまに聞きたいのは、見道さんのことで」

「見道? ……白蓮、まさかあなた」

 穏やかでない千鶴の表情に白蓮は喜んだ。

 仕事をしていた関係上、千鶴はすべての分家との繋がりがあるはずだった。この様子なら、見道ミスティックスクールのことを千鶴はちゃんと知っている。情報が得られると思って訪ねてきたことは間違いではなかったのだ。

「すぐそこにあるじゃないですか、あの――」

 振られた話に危惧が確信へと変わり、千鶴はがっくりと項垂れる。どうしたのですかと慌てる白蓮にも暗い声しか返ってこない。

「妹がスピリチュアルビジネスにはまったなんて、律己さんに何て言えばいいのよ……」

「ね、姉さま! 違うんです、はまってないです!」

「どうしよう……」

「姉さま!」

 予想外のことが起こると考えすぎて周囲の声が届かなくなる、そんな生真面目な性質は変わっていない。ショートしてしまった千鶴に何度も声を掛けながら、白蓮は結局兄の帰宅を待つことになってしまった。

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