それから三十分ほど経って帰宅した律己は、頭を抱えた妻と狼狽える妹という異常な光景に直面することとなった。
「千鶴」
当然のようにいる妹の存在はまあいいとして、彼は机に突っ伏さんばかりの千鶴の様子を見ようとした。困り事が起きた時の妻の心の揺らぎようは彼が一番よく知っているのだ。
「千鶴。どうした」
肩に手を置かれた千鶴は、律己の顔を見て幾分落ち着いた。とはいえ悲愴な声色は変えられない。
「律己さん。この子のこと、説得して……考え直してって……」
「何?」
「律己兄様! 聞いてください」
白蓮は今度は剣呑な表情になった兄のほうへぱっと飛び出した。千鶴は義妹が詐欺に引っ掛かったと誤解したが最後、どんな弁解も届かなくなってしまっている。
駅前で配られたチラシに興味を惹かれ、見道ミスティックスクールの初回体験に行った。そこで見た見道清弦の霊視に感動した。見道が篁分家であることは知っていたので、分家の事情に詳しいであろう千鶴に話を聞きに来た。
白蓮の言いたいことはそれだけだったのだが――。
律己はさすがに妹の言い分を最後まで聞いた後、小さく溜息を吐いた。
怒っても無駄なことは分かっている。千鶴と同じくあのスクールのことを前から知っていた律己は、むしろとうとうそこに手を出したかと思ったくらいである。
「千鶴。大丈夫だ、心配するようなことじゃない」
「え?」
いつもの如く妹へ危機管理を説くのは後回しに、律己はとりあえず千鶴を宥めることを優先した。昔の律己からは信じられないほど優しい声を掛けてやる姿を、白蓮は実に楽しそうに眺めている。
話が通じたので何も問題はない。京香に話す格好のネタになると思っているくらいである。
律己は最後に愛妻の頭を軽く撫で、妹の方へ意識を戻した。
「白蓮」
「はい!」
「あまり突拍子がないことを言うと千鶴が驚く。ほどほどにしてくれ」
「ごめんなさい! 気をつけます!」
反省しているのかいないのかわからない元気一杯の声もいつも通り。律己はそれ以上の注意を諦めた。
「……それで。千鶴、白蓮を放っておくととんでもないことになるから、見道について知っていることがあれば教えてやってくれないか」
なんだかんだで妹に強硬な態度は取れない律己だったが、千鶴は首をわずかに傾げつつ言った。
「いいけど……。律己さん。でもこの子、話したら今度は見道家に突撃するわよ」
「えっ」
不安げな表情の割に、妙に確信的な口調である――彼女の白蓮の解像度が上がったことの証左だ。大して考えずに頷く律己も妹のことをよく分かっている。
「――白蓮。見道家への突撃は禁止。それが守れるなら話す、いいな?」
「えっ」
白蓮は思いもよらぬ制限に驚いたが、ここは大人しく頷いておくことにした。やりようならいくらでもあるのだ。
「律己さん!」
「ありがとうございます、兄様!」
両者の同意を得て場を収めた律己は、可愛い妹と妻とにそれぞれ救世主でも見るような目を向けられ――特段負担なことでもないとはいえ、呆れたように首を振ったのだった。