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【番外編】恋するアウローラ

 ――叶ってくれるなと思う恋がある。


 まだ、父が存命の頃だった。自分は十八か十九になっていたか、そのくらいだっただろう。

「黎明。おまえに許嫁をという話があるんだ」

「……許嫁?」

 父の言葉は何だかふわふわとした響きを持っていた。

 この桐原の家は我ながら素晴らしいと思う。本家に見られるらしい異様な上下関係や風習がなく、自由な空気がある。風通しが良いから全員が一丸となって外敵から身を守ることができる、優秀な一族。

 だからこそ、許嫁なんていかにも古めかしい言葉に一瞬頭が追いつかなかったのだ。

 父は言った。相手は一族の人間で、自分からすればはとこにあたる存在だと。屋敷もすぐ近くに構えられている。

「両親は素晴らしい陰陽師でね。黎明、おまえの才能のことももちろん高く評価してくれているんだよ」

「……はあ。そうなんだ」

 彼らはかつては祖父、現在は父に忠実に仕える実力者。与えられていた仕事柄会ったことはなかったが、当主からしても重要な人物だという。

 その娘に強い才能があることが分かり、是非許嫁にとこのたび推薦してきたということらしい。なるほど親が暴走しているパターンかと理解すると、相手の女性とやらが早速気の毒になった。

「まあ、一回会ってやってくれないか。おまえは会ったことがないけどね、とても素晴らしいお嬢さんだそうだよ」

「…………」

 正直、まったく乗り気ではなかった。でもあれほど手放しで褒めるのだから、きっと父はその陰陽師たちのことを気に入っているのだろうし――撥ね付けたらきっと困らせるのだろうと思うと、その方が面倒な気がした。

 若かった。

 よく聞きもせず、頷いてしまったのだ。


 その「許嫁殿」が屋敷にやってきたと聞き、応接間に向かって――完全に言葉を失った。

「黎明様! お初にお目にかかります」

 こちらをみとめた瞬間はっきりと自分の名前を呼ぶ二人の陰陽師の夫婦はいい。

 きっちりとした身なりに真っ直ぐ伸びた背筋。堂々とした名乗り。見るからに賢そうだし、仕事ができそうな感じもする。さぞ普段から頼りになる存在なのだろう。だからそれはいい。

 問題は彼らに挟まれ座っている、小さな小さな女の子のほうだ。

「黎明さま!」

 どう頑張って見ようとしても歳は四か五。漆黒の美しい髪は白すぎる肌によく映えたが、こんな子供に様付けされて喜ぶような趣味はなかった。目当ての人物に会えたとみて上げる明るい声が哀れなほどである。

「……まさかとは思うけど、許嫁って?」

 普段よりだいぶ低くなった自分の声に、母親が確かな自信を持って答えた。高い鈴のような声もそれに続く。

「はい! 私どもの娘、小夜でございます」

「小夜でございます」

「…………」

 利用されているのか? これでは操り人形と同じだ。つい横にいる父のほうを睨みつけたが、父は「そんな顔をするものじゃないよ」とあくまで穏やかな態度。

「こんな話なんだったら、誰より先にあなたが止めるべきじゃないのかな? 父さん」

「そうは言うけど、黎明。許嫁というのは本来、幼い時に決まるものだよ」

「それは幼い者同士の話だろう?」

 言い返しても凪のように受け流される。視線を戻すとその少女とばっちり目が合ってしまって、純粋な瞳が不安に濁るのを見ては――それ以上暴れるようなことはできなかった。

 とにかく座り直して正面を見たが、少女……小夜の両親へ抱く不信はすでに相当なものとなっている。こちらを見上げてこようとする懸命な視線にはとりあえず気付かないふりをしながら、とりあえず話をすることにした。

「娘さんを愛していらっしゃるはずだ。なにか行き違いがありましたか?」

 精一杯選んだ言葉にも、両親は変わらず堂々と応じてきた。

「とんでもない! 確かに私たちは娘のことを心から愛しております。だからこそ黎明様とのご縁をと考えたのですよ」

「はあ……?」

 とんでもない親だと怒りさえ感じそうになったが、その振る舞いに嫌味がないのもまた事実だった。語り口を聞くにも歪んでいる感じがしない――娘に向ける眼差しからしても、道具のように思っているわけでもなさそうだ。

 意味がわからず微妙な反応しかできずにいると、彼らは続けていかに桐原の家を誇りに思っているかを話し始めた。

 前当主――亡き祖父を心から尊敬していたこと。現当主である父にも深い敬愛の念を抱いていること。

 二人の優秀な陰陽師の才能は娘にも受け継がれた。恵まれた才能を桐原の家で役立てるため、娘に自信を持たせられる担保を与えたいのだという。

「……私の許嫁になる程度のことで、自信が?」

「もちろんでございます! 黎明様は桐原の宝。そして小夜もきっとそのお力になれると思うのです――私達はこの子に、この家に生まれた幸運を感じてもらいたい。希望に満ちた人生を送らせてやりたいのです」

 この桐原の家を愛する気持ち。

 役に立ちたい、守りたい――そんな思い。下手にそれを受け取ってしまって、この時は呑まれてしまった。

 自分にも向けられる尊敬。敬愛。

「当主の息子」であり、自分に才能があることもよく分かっていた。謙遜してはみたものの、桐原の最高傑作とまで呼ばれていて自覚がない訳がなかった。

 だから向けられる熱のこもった視線が、「次期当主の許嫁」の座が、桐原を愛する者にとってモチベーションを飛躍的に上げるものだと言われては、つい納得してしまうところもあったのだ。

 後から見れば、やはり若かったと言わざるを得ない。

「……悪意がないことは分かりましたが。ただ、その子はまだあまりに幼い。意思を蔑ろにすべきではないでしょう?」

 溜息混じりに言うのにも、すぐに答えが返ってくる。

「小夜には、歴代の当主様がいかに立派であらせられたか、黎明様がいかに素晴らしいお方かを言い聞かせております。本日も、小夜は黎明様にお会いするのを楽しみにしていたのですよ」

「あのねえ……」

 なるべく丁寧にと思っていた口調が崩れた。それが洗脳でなくて何なのだ。両親の尊敬が本物なのだとしても、齢数年の子供に押し付けるのは酷すぎる。

 君だって嫌だろうと話し掛けようとして、それも思い止まった。

(そうだ。この子はまだ、同意も拒否も満足に出来るような歳じゃない)

 視界の中の小さな身体。大きな目だけが真っ直ぐ、こちらをひたむきに見ている。

 この日に初めて会ったわけで、情も何もあったものではないけれど――流石にこんなことで人生が決まってしまっては可哀想だ。

 とはいえ両親の輝かんばかりの圧も痛い。そこらの男に嫁がせるよりも、自分達が心から信頼する存在のそばに託したいというのはそれはそれで愛情なのでは――なんて想像してしまったら、なかなか無碍にできない。それでも最終的に保護されるべきなのは当然に子供のほうだろうと思って口を開いた。

「……とにかく、まだ決めるには早いでしょう。今日のところはお戻りになって、もう少しお考えに……」

「黎明様は、如何様にお考えですか? 娘がまだ幼いことはもちろん承知です。どのような条件を設定していただいても構いません」

「……」

 話がつくまで帰りそうにないと気付いたのは、何度か追い返そうとしてからだった。信仰というものは恐ろしい。

 黎明が素晴らしい人間になるかなどわからないというのに、この信頼ぶりはいったい何だ?

 ――祖父と父が、歴代の当主が積み上げてきたものだ。そこで、完全に詰み。

 小夜も状況がわかっているのかいないのか、嫌がる素振りもなくこちらを見ていて最後まで判断材料にはできそうもなかった。

 結果として。

「あくまで婚約者候補のひとりというだけの関係」。

「今後、小夜の意思でいつでも候補の座を降りることができ、その場合両親は異を唱えない」。

「黎明の側も正式な決定までの間、他の婚約者候補を設定することができる」。

 この三点を固く誓わせた上で、自分には十以上も歳の離れた婚約者が誕生した――苦い顔しかできない結果だった。小夜は一連の約束を交わす間もぽかんとしているように見えたが、最後に辿々しくもこんなことを言った。

「選んでいただけるよう、努めてまいります」

 努めなくていい、と喉まで出掛かった。


 小夜が婚約者候補となって、彼女は屋敷に移ってくることになった。

 幼い子供を親と引き離すなどあり得ないと思って父を半ば脅し、仕事を調整させた上で家族と一緒に来られるようにした。

 これがまずかった。

 婚約者を家族ごと引き取ったということで、屋敷の者が騒ぎ立て始めたのだ。

「いやー黎明さんにも春が! ついに春が!」

「うるさい。お前なのかな? 噂を広めたのは」

 昔から一緒に育った幼馴染のような存在、修次が囃し立ててくるので問い詰めると、彼は焦って両手を上げた。

「広まるに決まってるでしょうが! あんな可愛い子を連れてきて、両親も引き取って!」

「仕方ないだろう? あんな子供ひとり、親から離して屋敷に置くなんて問題がありすぎる」

「いやー……」

 修次が煮え切らない返事をするのでまたじっとりとした目を向けると、意外な言葉が返ってくる。

「小夜さん、めっちゃしっかりした子ですよ? 俺にもちゃんとした挨拶してくれましたし。今は屋敷の人間みんなの名前を覚えようとしてるらしいし」

「何だって?」

「たぶんそこまで心配することないですよ。稀代の才能持ちは黎明さんだけじゃないのかもしれないっすね〜」

「……修次」

「ひぃ!」

 低く暗い声に修次はまた怯えたような顔をした。パフォーマンスもいいところだ。

 いくらしっかりしていようが、子供であることに変わりない。屋敷の者の仲がいいのは事実だが、逆に周りが乗せて子供をその気にさせるようなことがあったらと思うと胃が痛くなる。

 ――こんなくだらないことがきっかけで、幼い心が傷つきでもしたらどうする。

「あまりプレッシャーを掛けるようなことはしないように。おまえからも皆に言っておいてくれるかな」

「えー! いいじゃないですか、こんなに祝福ムードなのに」

「それがまずいんだろ。おまえはうるさいから、しばらく気配を消しておいで」

「横暴だ! 黎明さんのバカ!」

 バカはどっちだ、と言いたくなる。悪意がなくとも歓喜に湧く屋敷の中で、思わず頭を抱えたくなった。


 小夜とも必要以上に関わらないようにはしていたが、同じ屋敷の中――顔を合わせない訳にもいかない。

 小夜はか弱く細い娘だ。小さい白装束の子供が長い黒髪を遊ばせているので、廊下にいるとすぐ分かる。

 それに小夜は自分を見ればぱたぱたと寄ってくる、それを邪険にするのも何となく躊躇われた。

「黎明様」

 口数は少なく大人しいが、親に似ていつも伸びた背筋が印象的だった。

 それに、いつもこちらを真っ直ぐに見る瞳も。

「……小夜、屋敷の暮らしはどうだい?」

「もうずいぶん慣れました。みなさん、とても親切にしてくださいます」

「そう。それはよかった」

 本来、互いにさほど喋るほうではない。歳の差もあり何を話せばいいかまったく分からなくて、いつも彼女の環境について尋ねることになってしまう。

「何か困っていることは?」

「特にございません」

「……」

 特に問題がないようではあるが、どうにも静かな目が気になった。生活に不満があるのを耐え忍ぶような真似だけはさせてはならないと思っていたからだ。

「じゃあ、他に何か希望はないかい。欲しいものとか」

 彼女が望んだ生活じゃない。それを常に念頭に置くようにしていたから、つい世話を焼く親のような質問になる。だから彼女の答えに、一瞬固まった。

「黎明様の、正式な妻に」

 純粋な眼差し。

 なんてことだ、と思った。誰がどうけしかけているのか知らないが――由々しき事態だ。

「小夜。きみ、何歳だい?」

「六になりました」

 当然ながら、絶望的な答えである。

「僕は十九だよ。小夜、僕にとって君は守るべきものであって……妻になるとか、そういうことじゃないんだ」

 六歳の頃、自分はどれだけ物を知っていただろうか。どう語り聞かせたらいいかも分からない――伝え方がまずかったのか、小夜はやっぱり静かに言った。

「……選んでいただけるよう、努めてまいります」

 口癖なのかなんなのか、妙に真に迫った言い方である。今度こそそんなことを言わないよう否定しかけたが、この目に大粒の涙でも溜まったらと思うと言葉が出てこない。

 まあゆっくり考えたらと宥めて彼女を部屋に帰しながら、改めて自分の決断のまずさを反省した。

 いっそこの際、きちんとした婚約者でも探したほうがいいのだろうか。そう考えさえした矢先に父が病に倒れ、当主を継ぐことに決まり。

 彼女には悪いことに、それどころではなくなっていった。それからなあなあで数年――彼女は未だ、桐原の屋敷で静かに暮らしている。


 *


 ――絶対に叶えたい恋がある。


 私が恋をしているのは、自分が生まれた桐原家の当主様だ。

 幼い頃に両親によって黎明様と出会い、許嫁となっている。

 当時五歳だった私との縁談に黎明様はとてつもない難色を示したそうだけれど、両親の強い強い推薦によって私は婚約者候補の座を勝ち取ったのだった。

 今となっては、両親に感謝している。心から。

 確かに当時私はあまりにも幼くて、縁談を交わした時のことは正直よく覚えていない。だけど――それから。

 それからは……。


 正式な婚約者候補となり、私は黎明様の屋敷に行くことになった。当時両親は本邸とは違うところで仕事をしていたので、当然私は一人で送られることに決まっていた。

 あまり感情表現が得意ではない私でも、流石に不安を隠しきれなかった。黎明様が素晴らしい人だというのは聞いていたけれど、孤独への恐怖は強かったのだ。

 私の不安が消えたのはその後。親に与えられた仕事が変わり、家族みんなで本邸に移れると聞いたときだ。

「黎明さんが、小夜さんを心配してのことっすよ〜」

 本邸に来たばかりの私を案内してくれた修次さんから、そう教えてもらった。

「私を?」

「ええ。ご当主にあんなキレてる黎明さんは久々に見ましたよ。一生懸命説得してました」

「説得って、なぜですか」

「そりゃ、小夜さんが親御さんと離れ離れになりたくないだろうからってことでしょう。よかったですねぇ」

「黎明様が……」

 可笑しそうにしながら、修次さんは黎明様のいいところをたくさん教えてくれた。

「黎明さんには人の心がある。きっと小夜さんのことも大切にするでしょう。疑いようもないことっすよ」

 彼は、私と直接話すことはあまりしないかただ。避けられているのかとも思ったけれど、それが私の負担にならないよう心を砕いているだけだと聞かされてからは不安ではなくなった。

 一緒に何かをしたり、ついて回る訳じゃない。

 それでも黎明様が人を通して、私のことをいつも気に掛けてくださっていることは分かった。

 屋敷の人たちはとても優しく、そして正直だ。黎明様が何か私についての指示をされるたびに、それは私にもしっかりと伝わっていたのだった。


(隠せていませんよ、黎明様)


 黎明様が私と関わらないようにすればするほど、気遣われていると気付く。同じ屋敷で過ごしているだけで、彼がどれだけ周囲の人に慕われているか分かる。

 直接交わした言葉が少なくとも、向き合った時にどれほど誠実で情深い人かは伝わるものだ。

 両親が共にいてくれることはもちろん嬉しかったけれど――きっと一人で来ても大丈夫だったのだろうと思うほど、私は大切に扱われた。

 それが誰のおかげか分からないほど、馬鹿ではないつもりだ。

「何か」があった訳じゃない。それでも、人を好きになるのに、大掛かりな理由はいらない。

 彼が私の目に映る時、その人はいつも誠実で温かい。

 私が彼の目に映る時、私は一度たりとも悲しい思いをしたことがない。それがどんなに貴重なことか。

 ちゃんと、好きになっている。

 日々の積み重ねの中で。あの人が静かに、着実に、積み上げる毎日の中で守られるうちに。

 それなのにどうも黎明様は、私に好かれたくはないようなのだ。妻になりたいと何度も伝えているのに、いつも困ったような顔をされてしまう。

 違う未来があるかもしれないよ、などと言う。

 まるで私にそれを選んでほしいかのように。こんな時だけ、私はなんだか怒りたいような気分になるのだ。


 ――どうして、この人は私を選ばないのか。

 ――覚悟はできているのに。必ず、立派な妻になってみせるのに。


 *


「どう思われますか、修次さん」

「どうっつってもねぇ」

 月日が流れ、私は十四になった。縁側で並ぶのは、黎明様の一番のご友人である修次さんだ。

 修次さんは屋敷の人たちの間でもとても気さくで明るい方で、昔から何かと私のことを気にかけてくれる。私もいまいち進展しない黎明様とのことをよく相談するようになっているのだった。

「黎明さんも、なんか訳分かんなくなってるだけだと思うんすよ。だってほら、他の婚約者候補を立てるとか言ってたけど全然そんな素振りないし」

「……でも、前のご当主様のことがありましたもの」

「んーいやでも、何年経ちました? この前は本家とも和解してみせたぐらいですし、もう……」

「そうだ、修次さん」

 私はずい、と彼の方に向き直った。聞きたいと思っていたのは、先日黎明様の心を動かしたという少女のことだ。

「白蓮様というのは、どんな方だったのですか?」

 すると、修次様の顔色が明らかに変わる。

「は? 誰に聞きました?」

「言えません!」

 あちゃーと修次さんが頭を押さえた。そうだ、この屋敷の皆さまは優しく正直なのだ。

 私は「その日」は出掛けていてかの少女の訪問には立ち会えなかったのだけれど、それは大層な見ものだったらしい。事実委細を私に伝えないようにと黎明様から口止めされたらしい皆さまの中にも、親切な方はいるものなのだ。

 問い詰められる黎明様という面白いものが見たい、そんな遊び心であることは承知している。

「なぜ、黎明様は彼女のことを私に隠すのですか? 何かやましいことがあるのですか?」

「いや、そうやって小夜さんにいらん心配を掛けるからじゃないですかね……」

「要らぬ心配かどうかはわかりません!」

 聞いた情報では、その少女は私とあまり歳の頃が変わらないくらいだという。もう、正式な婚姻を結んでもいいような歳に近い。もし彼女が候補のひとりにでもなったらと思うと、いてもたってもいられない。

「いや、絶対違うと思います。だって小夜さんがずーーーーっと一途だから、もうこの屋敷じゃ黎明さんのお相手は小夜さんしかいないって痛ってえ!」

 突如私たちを包むように暗い影が差し、修次さんが悲鳴と共に蹲った。

 振り返った私は、思わず頬が綻ぶのを止められない。

「黎明様!」

 いつのまにか背後に立っていた黎明様は今日も格好良かった。私のほうをなんとも言えない顔で見てから、修次さんに実ににこやかに迫り始める。

「……修次。プレッシャーを掛けるなと言ったよね。言われたことが抜けていくのは右耳か左耳か」

「こっわ! いや怖! だってこれはしょうがないでしょ、アンタ何年小夜さんを放っておくんです!」

「おまえには関係ないことだよねぇ。それより、あの子のことを変なふうに伝えたやつを特定してきてくれないかな?」

「げ……。それも聞いてたんですか。それだって黎明さんがくだらない隠し事を痛っつう!」

 再び鉄拳が落ちて、修次さんはたまらず逃げ出していった。黎明様は追うかどうか一瞬迷われ、私を見て、仕方なさそうに溜息を吐く。

 ここにいてくださるみたいだ。

「……まったく、どうしようもない奴らだなぁ。小夜も、あんまり気にしないように」

「気にしない訳にはまいりません。黎明様が桐原をどう守っていくかに口を出すつもりはございませんが、それほどあなたさまの心を動かした女性とあっては」

 また、深い溜息。

 同じ人に、ずっと恋をして数年――もう慣れた。その溜息はいつだって私のことを気にかける時のものだし、そしてそのすべてが杞憂なのだから。

 年月に支えられて、随分自信が持てるようになった。

「小夜。君から僕がどんな風に見えているか知らないが、そろそろ君は君自身のことを――」

「では、黎明様も正直にお答えください。他に心に決めた方がいらっしゃるのですか? 私以外の方と、結婚する予定がありますか?」

 修次様の言葉を信じて、直球で尋ねてみる。

 黎明様はこの数年で、はるかに大人びたふうになられた。お父上を亡くされ、当主としての責務も増し、人と接する時の態度も幾らか変化されたように思う。

 だけど――目の奥の信念が揺らいだことはない。

 その表情が確かな動揺を見せるのは、私がはっきりと結婚について訊くときだけだ。

「……予定はないけどねぇ」

 私を傷付けようとして、そんなことは絶対にできなくて、ふわふわした言葉を返す。最初はなんとも頼りなく感じたそれも、すべて私に選択肢を残すためのものともう知っている。

 本当は、噂の少女を何も気にする必要がないのも分かっているのだ。黎明様が本当に婚約者候補を増やそうとしているなら、その時は隠したりせず私に話してくださるだろう。

 この人のことを信じている。親と同じくらい――ううん、もう、それ以上に。

「それでは」

 そのとき。黎明様が、あ、という顔をする。

 十四ではまだ早いだろうか。これほど愛しているのに、そうさせたのはこの人なのに、まだ足りないだろうか。

(それでもいい)

(何度でも、伝える準備はできている)

 決め台詞みたいになってしまっているが、笑顔で言えるようになっただけきっといい。私は笑って続けた。

「選んでいただけるよう、努めてまいります!」

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