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第65話

「白蓮ちゃん、誰か待ってる?」

 スパイス・ラサ。無事に風邪から復帰した「先輩」、夏木諒の言葉に白蓮は振り向く。

 一人しかいなかった来客がついに帰ってしまった、そんなタイミングでのことだった。

 律己の元同級生である彼は、大学を卒業してからも父と一緒にこの店で働く一般人だ。律己と築いていたのも普通の交友関係なのだが――時折妙に鋭いところもあって、白蓮はそんな彼のことももちろん好きである。

「誰か入ってくるたびにバッて見てるじゃん。さては友達にこの店教えてくれた?」

 快活で人好きのする笑みに、白蓮も笑顔で頷く。

「あ、はい。それはもちろん」

「ん? ってことは、待ってるのは違うやつなんだ。なに? 彼氏?」

 人好きのする笑みだが、疑問の投げかけ方は容赦ない。白蓮が目を丸くするとその反応にまた笑われる。

「え、マジで? 律己に言っていい?」

「ダメです! っていうか、そういうのじゃなくて!」

「えー?」

 明らかに面白がる諒を、無人の店内だからと雑談も見逃していた店主がいよいよ叱りつけようとした時――店のガラス扉が開く。

「らっしゃーせぇ」

 諒の適当な挨拶にも慇懃に会釈を返し、「彼」の視線もまた誰かを探すように彷徨った。上背のある諒の陰に隠れていた少女を見つけ出すと、その表情が綻ぶ。

「ああ――」

「……」

 諒はなんとも甘い笑みを浮かべる青年と、気まずそうにこちらを見上げる白蓮とを交互に見て――大きく頷いた。

「なるほどな!」

「なるほどなじゃないです!」

 白蓮の反抗もまるで届かず、諒はケラケラと可笑しそうに笑った。決して常に繁盛しているという訳ではない「スパイス・ラサ」に、妙に緩んだ空気が漂う。

「……んじゃ、俺は奥に引っ込むかなー。接客がんばって」

「諒さん!」

 理解ある先輩を恨めしげに見送って、白蓮は青年――真のほうを見た。

 真は誰も座っていないカウンターに沿って進み、端の席についた。彼も白蓮のほうを見る。

 目が合ったところで、意思の疎通ができる訳ではない。だから話し掛けるしかない。

 話をして、知ろうとするしかない。

 白蓮は心が読める訳ではないから、その優しい表情が何を言いたいのかわからない。今日も真はろくにメニューを見るでもなく、こちらに静かな目線を送ってきている。そんな無言の呼び掛けに応えて彼女は歩き出した。

 カウンターの端。

 店主のコウは、カレー鍋の様子を見るのに夢中。

 白蓮はあれからコウが新たに開発した「これぞ甘さの新境地! ショートケーキカレー」を頼まれないといいなと思っていた。流石に正気の者が頼むような一品ではない。

 けれども真は当然のようにそれを細い指で示そうとした。いつもと変わらぬ表情で。

 だから白蓮も、惹かれるように口を開く。

「新メニューを」

「毎回完食できるのは、妖に味覚がないからですか?」

 白蓮の躊躇ない言葉に、真はゆっくりと顔を上げた。

 ふたたび、目が合う。


 ――白蓮の笑顔に、真も微笑みを返した。


「今日のシフトは七時までです!」

 突然、白蓮が明るく声を上げた。弾かれたようにこちらを見た店主が、従業員の不真面目な接客に気付いて眉を顰める。

 穏やかな声が、はっきりとそれに応えてみせたのだから余計だ。

「では、終わる頃に迎えに来ましょう。『白蓮さん』」

「はい! ありがとうございます、『真さん』」

 白蓮がにこにことあまりに嬉しそうな顔でカウンターへ戻ってきたので、コウは彼女を軽く叱った。

「白蓮ちゃん。彼氏だかなんだか知らないけど、公私混同はダメ」

「ごめんなさい、コウさん。あの、新メニューの注文入りましたよ」

「え? ほんと?」

 気を取られてコウは思わず真に視線をやった。ようやく「いつもの彼」だと気付いてショートケーキカレーを嬉々として準備し始める店主の姿を見ながら、白蓮は軽く頷いた。

 確かに、公私混同には違いない。

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