その週末、白蓮は本家を訪ねていった。
本家の陰陽師と何も変わらない気安さで重厚な作りの門を抜け、広大な本家の庭に出た時――おお、というざわめきが彼女の耳に届く。
視線を動かせば十人ほどの人集りができていて、もちろん白蓮は興味を惹かれて駆け出した。
「璃々様、流石です!」
聞こえてきたそんな声に白蓮は思わず笑顔になる――これは良いところに来た。
「おっ、白蓮」
人集りの一番外には、知り合いの中でも特に親しい陰陽師――鷹司陽がいた。「本家付き」の中にあっても比較的話が分かる存在であり続けてくれている、ありがたい兄貴分である。
「こんにちは、陽さん。みんなで何をしてるんです?」
白蓮が明るく言うと、彼女の存在に気付いた数人が振り返った。短くも情のこもった挨拶が何人もから掛けられる。弾けるような笑顔で応じる彼女に、陽は人集りの中心を示した。
「白蓮も見ていきな。いい時に来たよ、おまえ」
「はい!」
嬉しそうに彼女が目を向けた先――輪の中心には、本家当主の愛娘である璃々。そして当代きっての天才である八束朔也がいた。
璃々の手にはただの紙片に戻った式神、そして白蓮に向けられる明らかにむすっとした表情――あ、やばい、と思う白蓮に、朔也が気が付いた。
「白蓮!」
それは実に明るい声だった。内心慌てる白蓮のもとへ真っ直ぐに近付いてきて、その手を掬い上げる。
「久し振りだね、今来たところ?」
「うん。面白そうなことしてるね、朔也」
白蓮はにこにこと穏やかな笑顔を浮かべる朔也を前に、相変わらず綺麗な顔をしてるなあなどと呑気な感想を持った。
十六歳。
随分、自信がついたようだ。背も白蓮よりずっと高くなってしまって、目を合わせるには首をぐっと上げなくてはいけない。それなのに細身なのも整った顔立ちも変わらず、力量は本家随一のままだというからすごい。
それに、彼の周りに集まる本家付きの陰陽師たち。場の雰囲気は全体的に明るく、皆に慕われているようである。
そんな確かな環境を手にしていながら――彼はいまだに昔の恩を忘れていない。白蓮が来た時に何より優先してくれるのも、変わらない。
(ほんと、良かった)
「ああ――」
「白蓮!」
今日の経緯を説明しようとしたのであろう朔也の声を、空気を割るようなはっきりとした棘が遮った。声の主は確認するまでもない。
「璃々ちゃん、こんにちは」
「何しに来たの!」
子供の癇癪とはいえ、あまりに鋭い声に本家付きの陰陽師たちが怯む――空気が一気にぴりついてしまった。陽などはお前そんなに嫌われてたのか、という「引き」が顔に出ている始末だ。
白蓮はめげずににっこりと笑顔を返す。
「あのね、ちょっとお兄ちゃんに話があってね……」
「兄さまは忙しいの! 帰って!」
まるで迫力はないにしろ、いつの間にここまで敵視されてしまったのだろう――白蓮は首を傾げたくなった。
「璃々様」
宥めるように間に入った朔也の腕に、璃々はさっとしがみつく。
「ね、そうでしょう? 朔也兄さま。兄さまはもうすぐ帰ってくるんだから」
「そうなの?」
尋ねた白蓮に朔也は困りつつ頷く。
「うん。今は高嗣様と話してて……その後、三人で璃々様に術の扱い方を教えることになってるんだ」
「なるほど!」
晴臣が帰ってくるまでは朔也が、戻ってきてからは二人で「才能持ち」の璃々に指導をする。そんな光景はさぞ見応えがあることだろう、だから陰陽師たちも集まってきているのだ。
やっぱりいいところに来た、と白蓮は喜ぶ。
「じゃあ、ちゃんと待ってるよ。邪魔しないから安心してね、璃々ちゃん」
「邪魔しないって――」
「璃々様」
静かな声が、甲高い声をやわらかく遮った。はっと見上げてくる少女と目を合わせて朔也は微笑む。
「先程の術、とても見事でしたよ。そう怒らず、もう一度見せてはいただけませんか?」
「……。……ほんと?」
ええと頷かれて璃々が大人しくなるのは、朔也の持つ穏やかな空気のためだろうか。
璃々の説得に応じそうな気配を感じ取り、白蓮は話には聞きながら直接目にすることが叶ってこなかったものへの期待を膨らませた。
(そうだ。水の術)
璃々に与えられた才能は、水。現当主の高嗣がかつて幼子だった時も、その才能に応えるごとく雷雲が発生し、時に嵐をも起こしたというが――どうやら彼女も同様の才覚を得たらしい。
どんな風に水を扱うというのだろう。
大人しく黙って一歩下がった白蓮を見て、璃々は少し落ち着いたらしかった。
その小さな手が軽く上がり、瞬間――白蓮の横をすさまじい「何か」が駆け抜けた。
水の奔流が、空気を裂くような甲高い音を立てて走ったのだ。