夜の城は静寂に包まれていた。
だが、その静けさの中に、どこか不吉な気配を感じる。
「……なんか、嫌な感じがする」
俺はベッドの上に座りながら、漠然とした不安を覚えていた。
この身体になってから、勘が鋭くなった気がする。気のせいかもしれないが、まるで肌が何かを察知しているような――そんな感覚があった。
「姫様、そろそろお休みを」
執事が恭しく声をかけるが、俺は首を横に振った。
「いや、ちょっと外の空気を吸ってくる」
「こんな夜更けに?」
「なんとなく……落ち着かなくてな」
執事は少し眉をひそめたが、深くは追及せず、俺を見送った。
◆
月明かりに照らされた中庭を歩きながら、俺はため息をついた。
「はぁ……これから、どうすりゃいいんだか」
王女として生きる? ふざけるな。俺は戦える人間だ。誰かに守られるだけなんて性に合わない。
「でも、この身体で本当に戦えるのか……?」
そう思った瞬間、背筋に冷たい何かが走った。
――気配がする。
咄嗟に身を翻した瞬間、空を裂くような音が聞こえた。
「ッ!」
何かが俺のいた場所を通過し、地面に突き刺さる。細い金属の針――毒か?
「……やっぱりな」
俺は小さく呟いた。
敵が動き出すのは時間の問題だった。そして、今夜がその時だったようだ。
「姫様にしては、なかなか鋭い勘をお持ちだ」
暗闇から、黒い影が浮かび上がる。
「……誰だよ、お前」
「王女が目覚めるのは、我々にとって好ましくない。ここで消えてもらう」
「へぇ……そりゃあ随分とはっきりしてんな」
俺は拳を握りしめた。心臓が早鐘のように鳴る。だが、不思議と恐怖はない。むしろ、久々に"戦い"の感覚が蘇ってくるのを感じていた。
「……やれるか?」
この身体になってから、まだ本格的に戦ったことはない。だけど、身体の軽さや感覚の違いはもう分かっている。何より――俺は、戦うことを諦めたくない。
「試してやるよ」
俺はスカートの裾を蹴り上げ、走り出した。
◆
「――ッ、この動き……!」
刺客の驚愕の声が聞こえる。
俺の動きが、思ったよりも鋭いのだろう。確かに、男の頃より筋力は落ちた。けれど、速さはむしろ増していた。
相手が短剣を振るった瞬間、それを見切り、紙一重で避ける。
「な……っ!」
刺客の動きが鈍った、その一瞬の隙を突く。
俺は近くに落ちていた木の枝を拾い上げ、反射的に振り抜いた。
「ぐっ……!」
木の枝とはいえ、全身の勢いを乗せた一撃。刺客は怯んで数歩後退する。
(……まだいける)
俺は素早く身を翻し、二撃目を繰り出す。木の枝が相手の手元を打ち、短剣が地面に落ちた。
「くっ……」
敵が俺に飛びかかろうとした瞬間、別の声が響いた。
「そこまでだ」
視界の端に銀色の光が走る。
「……ユージン?」
騎士ユージン・クラウゼが、鋭い眼差しでこちらを見ていた。彼の剣が月光を反射し、静かに構えられている。
「姫様……その動きは、一体?」
ユージンの声には驚きが滲んでいた。
「……あんたに教わらなくても、俺は戦えるんだよ」
俺は肩で息をしながら答えた。
ユージンは数秒、じっと俺を見つめていたが、やがて表情を引き締めた。
「それは理解しました。しかし、姫様……」
彼は俺に歩み寄り、静かに言った。
「"護られる者"の戦い方ではありませんでした」
「……何?」
「あなたは、まるで"剣士"のように戦っていた」
その言葉に、俺は言葉を失った。
ユージンの目は、俺が隠そうとしていた"剣士としての本能"を見抜いていた。
「姫様、戦う覚悟はおありですか?」
ユージンの問いかけに、俺はゆっくりと拳を握る。
「……当然だろ」
そう答えた俺を見て、ユージンは小さく微笑んだ。
「では、剣をお持ちください。姫様には、王女としての剣を」
新たな戦いの始まりを予感しながら、俺はユージンの言葉を噛み締めた。