どーも、常にソコソコな作家、霞花です。
このエッセイは常に卑屈な目線から書いていますが、
今回はいつも以上に卑屈な目線です。
気分が悪くなったそこの貴方、さっさと閉じてください。
というわけで、今回は選考基準について。
小説ってWebサイトに投稿してプロになる方法と
公募に応募してプロになる方法がありますが。
公募の場合って、結局は下読み選者さんと選考委員さんの好みです。
今回の話は、以上です。
実も蓋もないですね。
そんな実も蓋もない話に、多少の中身を足していきたいと思います。
上記の「好み」は、あくまでその小説が一定の基準を満たしていることが前提です。
一定の基準とは、物語が破綻していないコト。
一つのストーリーとして一貫性を持っていること。
キャラブレしていないコト。
辺りですかね。
あとは、送る大賞の内容に即しているか。
カテゴリーエラーで弾かれる作品も少なくない、らしいですよ。
この辺も、選考委員や下読みの好みって話に繋がるけど、
要は現代ジャンルしか受け付けない賞に歴史もの送ったって無駄って話です。
案外、重要視しないのが、
文字数規定とか書式なんですけど、
紙で送ってた時代は、閉じ方が規定外で弾かれる作品もありました。
※「原稿の閉じ方が守れない作品は読みません」って募集要項に書いている出版社を一件だけ見つけました。
明記してくれるだけ、優しいと思う。
同時に、よっぽど何かがあったんだろうか?とも思った(笑)。
最近はWeb公募もい多いし、賞が規定の書式アップしてるとこもあるから
決まった通りに決まったもん使うのがベターです。
こんなことで?って思うでしょ?
考えてもみてください。
何百と送られてくる原稿、下読み選者は落とすために読んでるんですよ。
「閉じ方なってねぇ。原稿がばらける」
「1ページオーバーしてる」
「梗概がない」
全部アウトです。
梗概は選考には関係なくて、落選作品がどんな内容だったか、編集が確認するためだけに必要なものです。
選考委員は読みもしないけど、編集部には必要なものです。
コンテストは勿論、良い作品を探すために設けられているけど。
良い作品を探してくれるのは選考委員だけ。
最終選考手前までは下読み選者です。
多少文字数多くても、ページ数オーバーしても、面白ければ読んでもらえる。
あり得ません。
編集部が出した規定を守れるかも判断基準です。
プロの作家として仕事するにあたり、決められた文字数やページ数の中で書けるかって割と重要ですから。
与えられた条件の中で面白い作品を書けるから、プロになれる。
募集要項の規定が守れないって、要は日本語理解できてないってことだからね。
そんな人と、これから一緒に仕事できないです。
コミュニケーション取れない人間と仕事するのは、どんなジャンルの仕事でも厳しいです。
作家も同じ。そういうのも見られていると思った方がいいです。
その辺、全部満たしていても落ちてしまうのは、
結局、選ぶ人の好みに合っていないからです。
一次だって選考に残れば、上記の基準は満たしているってコト。
自信もってXのプロフィールに書き込んでいいと思います。
そういう人は、あと二、三回送ればどこかで選ばれます。
あとは面白いかどうかだよね。
実も蓋もない……。
その「面白い」というのが、どう考えたって「好み」であり、「難しい」んですよね。
明治の日本画家、菱田春草をご存じでしょうか。
彼は日本初の美術学校の生徒ですが、
卒業課題で描いた絵が平家物語の一幕を描いたもので、
「画題も絵自体も暗い。卒業課題に見合わない」
と評され、落第が決まっていました。
そんな折、学長の岡倉天心が、
「めっちゃすげぇ絵じゃん! 他の生徒とレベチじゃん! お前らの目、節穴なの? 主席卒業だよ!」
と評したお陰で、見事首席で卒業しましたとさ。
芸術という表現は、見る人によって天と地に分かれる。
分かり易い一例です。
権力と実力を持っている人が鶴の一声を上げると、結果がひっくり返る。
そういう世界です。
芸術以外でもそういう理不尽は時々、ありますけど。
数十年前のフィギアスケートもそうですよね。
大昔のフィギアは審査員の心象で得点つけてました。
それはオリンピックも同じで、結構な事件が起きました。
どう考えても金メダルだよねって選手がランク外……銀だったのかな?
まぁ、金は逃した。
観ていた一般人でさえ、
「国同士の権力者の事情が垣間見えるな」
って、わかるような評価。
オリンピックの審査員は参加している各国から選ばれる。
どこの国とは言いませんが、物議を醸す大国は、どんなジャンルでも、まぁまぁいつも同じです。
あの頃って、今みたいにSNSとかない時代です。
テレビのニュースレベルで騒がれた。
フィギアに詳細な設定の得点制度が導入されたのは、その後です。
ジャンプが何回転で何点、完成度により追加何点、みたいなね。
得点制度の変更にも賛否あって、
「あくまで美しさを競う競技であって、ジャンプに加点とかしたら、ジャンプが巧い選手が有利になって公平じゃない!」的な。
結果、今のフィギアってジャンプ跳べる選手が結局、有利になりましたよね。
芸術点があるのは、心象で得点付けてた頃の名残というか、
例えば、ステップって、どんなに上手でも技術点加算されないんですよね。
その辺は芸術点になる。
そんな感じで、美しさを競うという美点を残した感じです。
技術点加算されないステップが得意だった高橋大輔選手は
芸術点高得点で、ステップの評価は世界でも群を抜いていた。
得点方式変更の過渡期にいた選手は大変だったろうなと思います。
金メダルを獲得した荒川静香選手のイナバウアーも技術加算されなかった。
イナバウアーという項目が技術得点にない。
あの時のオリンピックは、得点制度を変更したばかり。
かつ、ノンミスで滑りきったのが荒川選手一人だけでした。
その辺も、当時は多少叩かれていたけど。
それ以上に、技術点に直接結びつかないイナバウアーの美しさが世間で噂になった。
芸術ってそういうことなんだろうなって思う。
如何に人の心に残り、動かすか。
小説も同じなんだろうと思います。
どっかにも書きましたが、
文章が上手い人が作家になれるわけじゃない。
文章力なんか、最低限で良い。
面白ければ、賞はとれる。審査員の好みに合えば。
その辺り、編集さんが下読みしているネオページさんの契約作家も同じだと思う。
ジャンル担当の編集さんの好みに、いかに合うか。
だって、いくら編集さんでも好きじゃない話読んで面白いとは思わないわけで。
今の流行押さえてるとか、サイトの方向性とか、基本の知識とかあったとしてもね。
同レベルのAとBという二作品があったとして、Aの方が好みだったら、Aを選ぶよね。
普通に面白いと感じるだろうし。当然の感覚なんだろうと思う。
それでいいかは別だろうけど、そういう話です。
芸術ってわからないモノで、死んだ後に評価される人も沢山います。
そういうのはもう、天の上か地の下で
「世間がやっと私に追いついたか……」
と思うしかないよね。
生きてる間に評価されなくても嬉しいと思うか、
生きてる時に評価されたかったと思うかは個人差だけど。
私は完全後者ですが。
生きてる間に評価されて、小説書いて飯食いたいよね。
金なんか、死んだら使えないわけだしね。
けどまぁ、プロになったら「読者が面白いと感じる作品」を書かないといけなくなる。
かなり人気がある作家さんでも、それが嫌というかプレッシャーでプロにならないアマチュア大人気作家さんは他サイトにいますね。
好きな話を好きなように書いていたいって。
それも一つの選択肢だと思う。
実際、仕事で書く文章は詰まんねぇなって思うものもありました。
私のような雑魚作家は、名前を載せないような文章も請け負ったりするわけで、
「村上春樹テイストでお願いします」
という依頼を受けた時は、
(不正ではないですよ。あくまで文章の雰囲気的な意味合いで)
「そういう注文されない、自分の色を前面に出していい仕事してぇな」
と思ったりしたものです。
悲しい過去ですね。
だって、あんまり好きじゃないから読んでないし。
(好みって、こういうことですよ。いくら大人気だからって、自分が好きになるとは限らん)
AIの普及で、この手の仕事は激減しましたけどね。
昔々、宇多田ヒカルが
「自分が納得できて聴く人も良いと思う曲が作れるから、プロなんでしょ?」
と、ラジオでさらりと言ってましたが。
その通りだよね。
そういう人がプロになるのだろう、きっと。