彼の言葉に、私は不思議に思った。
桐生宗介は、私が驚いた表情を見て、楽しそうに笑った。
その笑顔は煙の中に隠れ、まるで幻のように魅惑的で——。
「ちょうどいいや。俺もいらない。恥知らずの女に興味ない。それに、お前、結構自分を高く見積もってるんだな。」
正直、深田美智子が今、顔を真っ黒にしているのを見て、私はちょっとスッキリした。
彼女は、昔から父親が院長という立場を笠に着て、誰にも敬意を払わず、少しばかりの美貌を持っていたから、常に周囲に色気を振りまいていた。
白衣のボタンは外しっぱなしで、わざと胸元を強調して、男たちを挑発していた。
誰もが、いずれどこかの男が引っかかるだろうと言っていたけれど、まさか一番耐えられなかったのが悠人だなんて——。
院長の娘、仁徳病院の看板娘、昔はあれほど自信満々だった深田美智子が、今では一言も発することなく、ただ固まっている。私には、それが少しだけ爽快だった。
でも、悠人は一億円を用意できない。どんなに追い詰めても、出せるわけがない。
まさか手足を切り落とすなんてことはないだろう?瞬間的に、ドラマで見たような、金を出せないギャンブラーに対する過激な方法を思い浮かべ、私は不安を覚えた。
桐生宗介が、そんなことをするのかどうかは、全くわからなかった。正直、怖い。でも、どうしても気になる。
私は横を向き、口を開こうとした。その瞬間、桐生宗介が翔太に向かって、ぽつりと言った。
「翔太、彼女たちを下に連れて、何か食べさせろ。」
翔太は一瞬で彼の意図を理解したようで、立ち上がって大きく伸びをした。
「よし、俺も腹減った。お嬢さんたち、行こうか?何でもおごるよ。」
「行こう行こう、ちょうどお腹空いてた。」結衣はすぐに立ち上がり、私の腕を引っ張った。
結衣に引っ張られるまま歩いたが、私はエレベーターの前で振り返った。
桐生宗介が悠人に何かを言っているのを見て、悠人が恐ろしげに彼を見つめていた。
しばらくして、桐生宗介が立ち上がり、部屋の奥へ向かって歩き、悠人もそれに続く。その間、深田美智子はその場に座り込み、ただ待っているだけだった。
「洋子、ちょっと、クズ男にまだ何か幻想抱いてるわけ?」結衣が私の顔を正すように言った。
幻想なんて抱いていない。少なくとも、今は。心の中で、悠人に対して感じているのは憎しみだけだ。だが、どうしても、少しだけ同情してしまう自分がいるのも確かだ。
あんなに必死に努力していたのに、たった一度の賭けで全てを失ってしまった彼を見ていると、切なさを感じてしまう。
「私は別に彼に幻想なんて抱いていない。ただ、一億円なんて出せるわけがないってわかってるだけだ。」
「それは洋子には関係ないでしょう?」
その時、エレベーターの扉が開き、結衣は私を引っ張って中に入れた。翔太も一緒に乗り込み、ポケットに左手を突っ込みながら、右手でボタンを押した。
「その通りだ。彼が出せないなら、宗介がなんとかするさ。」翔太がにやりと笑って言った。
「宗介はどうやって…彼を処理するつもりなの?」私は思わず、翔太の目を見つめて尋ねた。悠人よりも、桐生宗介が私のために何か法を犯すんじゃないかと心配だった。
しかし、翔太はただ笑うだけで、何も答えなかった。
私たちは2階のバーに戻り、翔太が私たちをボックス席に案内してくれた。
しばらくすると、大きなテーブルに食べ物と飲み物が並べられた。
結衣と翔太は、何年も前から知り合いのように楽しそうに話しながら食べていた。二人はすっかり馴染んでいて、まるで別の世界にいるみたいだった。
私は何も食べず、じっとしていると、約30分が過ぎた頃、ようやく桐生宗介が現れた。私は彼の動向を見逃さないように、目を離さずにいた。彼が私の隣に座ると、その表情から何も読み取れなかった。
「彼はどこに行ったの?」私は、再度尋ねた。
「帰った。」桐生宗介は簡単に答えた。
帰った?悠人は一億円を出せるわけがないのに、どうしても納得がいかない。
「どうやって解決したの?」私はさらに尋ねた。
翔太は、ビールをテーブルに置き、パーンという音が響く。
桐生宗介は私に答えず、渇きを感じたのか、一気にビールを飲み干した。
その後、ゆっくりとタバコに火をつけ、シャツのボタンを一つ外してからソファに身を沈め、私を見つめた。
その眼差しは、とても複雑で、何かしらの感情が入り混じっているようだった。微笑んでいるように見えたけれど、その唇には笑みはなかった。
「洋子、俺、女の考えていることが全然わからない。ずっと思ってたんだが、あの日、道で俺に会わなかったら、どうするつもりだったんだ?」
桐生宗介の言葉に、私は一瞬言葉を失った。なぜか、彼が怒っているように感じてしまう。
「なるほど、あの夜も…。あの時は全然気づかなかったけど、本当に美人だね。」翔太が、ようやく気づいたように言った。
私は翔太に答えず、桐生宗介の問いにも答えることができなかった。実際、あの日彼に会わなければどうなっていたのか、私にもわからなかった。
彼は私を助ける義務はなかったのに、それでも助けてくれた。それだけは確かだった。私は、少なくとも正直で責任感のある男だと思っている。
だから、ずっと感謝の気持ちを伝えたかった。
「仮定の話は意味がない。私はあなたに会ったんだから。不幸の中の幸いだった。ありがとう。」私は自分で酒を注ぎ、真面目に桐生宗介に乾杯した。
桐生宗介は一瞬驚いたような顔をしてから、酒を取って私のグラスと合わせた。
その後、残りの酒を一気に飲み干し、言った。
「洋子、実は、幸せと不幸は、時に一念で決まることがある。」
私はその言葉を噛みしめながら、よくわからなかった。深く考えずに、やはり悠人がどうやって一億円を解決したのかが気になった。
「もう、何を言っているんだか…。お前ら、ちょっとは俺たちの気持ちも考えろよ。」翔太がふざけて会話を遮った。
「そうだ、抱きしめ合って、キスもしたのに、ありがとうって、なんかしらない人みたいに言うなよ。」結衣も笑いながら言った。
桐生宗介は笑って、何も説明せずにタバコを吸いながら突然言った。
「洋子、お礼したいなら、ただの一杯の酒じゃ足りないよ。」