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第27話 独身男性を泊めるのは危険

夜の静けさの中、私はもう耐えきれなくなり、桐生宗介の胸の中で泣き崩れた。

涙は止まらず、心の中に溜まっていたものが一気に溢れ出してきた。

雨音だけが響く中、私の泣き声が切なく響いていた。


桐生宗介は、ただ黙って私を抱きしめるだけだった。彼の言葉はなかったけれど、温かな腕の中で少しずつ落ち着いていった。

どれくらいの時間が経ったのか、私は分からなかった。ただ、泣き止んで、静かになった。雨も次第に弱まり、空気が少しだけ軽く感じた。


彼は車を降りると、助手席のドアを開け、私を優しく抱き上げた。

「自分で歩けるから。」と言ったけれど、桐生はその言葉を無視して、強引に私を抱えたまま歩き出した。


路地の中、深夜の静寂に包まれた。

桐生宗介の革靴が水たまりに踏み込む音が、夜の静けさに響いた。

冷たい風が私の濡れた服を揺らすたびに、身震いしてしまう。

その時、桐生宗介が気づいたように、私をさらにぎゅっと抱きしめてくれた。


「洋子、人生はね、ずっと幸せが続くわけじゃない。でも、辛い時期が過ぎれば、必ず良いことが待っているんだ。」

彼の穏やかな声が、私の心を包み込んだ。


その後、古びたアパートの階段を、桐生宗介は重そうに昇っていく。

それでも彼の足音は一切乱れず、安定していた。まるで、私を支えていることが当たり前のように。


「どうしてそんなに私に優しくしてくれるの?」

私は暗がりの中、わずかに漏れる月明かりの中で彼を見上げる。

その顔はどこか無表情だけれど、まっすぐに私を見つめている。


桐生は私を部屋の前で下ろすと、少し頭を下げて、濡れた髪を振りながら私に微笑みかけた。

そして、私の目に浮かんだ涙をそっと拭い取ってくれた。


「お前、泣いてる姿が子供みたいだから、見てられないんだよ。」

その言葉が、私の心に深く響いた。

もしかしたら、私はこの瞬間、全ての運を使い果たしたのかもしれない。彼に出会ったこと、それ自体が奇跡のように思えた。


部屋に入ると、すぐに母の遺影を掛ける作業を始めた。

私は椅子を引っ張り、桐生は手伝おうとしたが、私は「自分でやるから」と断った。それでも、彼は椅子を支えてくれた。


遺影を掛け終わると、桐生は言った。「着替えて、風邪ひかないようにしなさい。」

シャワーを浴びて、寝間着に着替えた私は、古びた書斎の前に立っている彼を見つけた。

書斎のランプの柔らかな光が、彼の姿を優しく照らしている。


「カセットデッキ、使えそうか?」

桐生宗介が指さした先には、古びたカセットデッキが置かれていた。


「うーん、多分大丈夫だと思うけど、長いこと使ってないからね。」

私は髪を拭きながら答えた。


桐生はテープを取り出して、それをカセットデッキにセットした。

少しの間、音が歪んでいたけれど、すぐに元に戻り、歌声が静かに流れ始めた。

その歌声を聞いた瞬間、私はふと心が揺れ動いた。


「歩いてきた道、足跡は泥の中に深く…」

歌詞が私の心に直接響いてくる。

この歌、何か懐かしくて、切なくて、温かかった。


このテープには、私の人生に大きな意味を持つものが詰まっている。

父が事故で亡くなり、母が植物人間となったあの時、助けてくれたのはカモメという名前の医学生だった。

その彼が、私に与えてくれた10万円と、このテープが、今でも私の心の支えになっている。10万円は、学生の私にとっては感謝するに足りる大金で、この曲も彼のオリジナルのようだ。

桐生宗介も、私の背後に立ち、歌声に耳を傾けている。

私たちはその歌に引き寄せられ、誰も動かなかった。


「どんなに辛くても、生き抜かなくてはならない…」

歌詞がひとつひとつ私の胸を打ってきて、私は涙を堪えきれなかった。


そして、歌が終わった瞬間、桐生宗介が静かに言った。

「この世で最も強い人は、何度も倒されても、必ず立ち上がる人だ。」

その言葉が、私の心に突き刺さった。


彼は、私がどう生きるべきか、何度も教えてくれた。

「俺、帰るよ。ゆっくり休んで。」

そう言って、彼はドアの前に立った。


その姿が少し寂しげに見えたが、私がそれに気づく間もなく、彼はドアを開けた。

濡れたシャツが彼の背中にぴったりと張りついて、その体のラインが浮かび上がる。


「雨が強くなったね、うちのソファでも寝られるよ。」

私は突然、そう言った。

すると、桐生はゆっくりと振り返り、少し笑みを浮かべてこう言った。


「知ってるか?独身男性を泊めるのは、非常に危険なことなんだ。」

そのセリフは、まるで私に何かを試すような、少し挑戦的な響きがあった。


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