夜の静けさの中、私はもう耐えきれなくなり、桐生宗介の胸の中で泣き崩れた。
涙は止まらず、心の中に溜まっていたものが一気に溢れ出してきた。
雨音だけが響く中、私の泣き声が切なく響いていた。
桐生宗介は、ただ黙って私を抱きしめるだけだった。彼の言葉はなかったけれど、温かな腕の中で少しずつ落ち着いていった。
どれくらいの時間が経ったのか、私は分からなかった。ただ、泣き止んで、静かになった。雨も次第に弱まり、空気が少しだけ軽く感じた。
彼は車を降りると、助手席のドアを開け、私を優しく抱き上げた。
「自分で歩けるから。」と言ったけれど、桐生はその言葉を無視して、強引に私を抱えたまま歩き出した。
路地の中、深夜の静寂に包まれた。
桐生宗介の革靴が水たまりに踏み込む音が、夜の静けさに響いた。
冷たい風が私の濡れた服を揺らすたびに、身震いしてしまう。
その時、桐生宗介が気づいたように、私をさらにぎゅっと抱きしめてくれた。
「洋子、人生はね、ずっと幸せが続くわけじゃない。でも、辛い時期が過ぎれば、必ず良いことが待っているんだ。」
彼の穏やかな声が、私の心を包み込んだ。
その後、古びたアパートの階段を、桐生宗介は重そうに昇っていく。
それでも彼の足音は一切乱れず、安定していた。まるで、私を支えていることが当たり前のように。
「どうしてそんなに私に優しくしてくれるの?」
私は暗がりの中、わずかに漏れる月明かりの中で彼を見上げる。
その顔はどこか無表情だけれど、まっすぐに私を見つめている。
桐生は私を部屋の前で下ろすと、少し頭を下げて、濡れた髪を振りながら私に微笑みかけた。
そして、私の目に浮かんだ涙をそっと拭い取ってくれた。
「お前、泣いてる姿が子供みたいだから、見てられないんだよ。」
その言葉が、私の心に深く響いた。
もしかしたら、私はこの瞬間、全ての運を使い果たしたのかもしれない。彼に出会ったこと、それ自体が奇跡のように思えた。
部屋に入ると、すぐに母の遺影を掛ける作業を始めた。
私は椅子を引っ張り、桐生は手伝おうとしたが、私は「自分でやるから」と断った。それでも、彼は椅子を支えてくれた。
遺影を掛け終わると、桐生は言った。「着替えて、風邪ひかないようにしなさい。」
シャワーを浴びて、寝間着に着替えた私は、古びた書斎の前に立っている彼を見つけた。
書斎のランプの柔らかな光が、彼の姿を優しく照らしている。
「カセットデッキ、使えそうか?」
桐生宗介が指さした先には、古びたカセットデッキが置かれていた。
「うーん、多分大丈夫だと思うけど、長いこと使ってないからね。」
私は髪を拭きながら答えた。
桐生はテープを取り出して、それをカセットデッキにセットした。
少しの間、音が歪んでいたけれど、すぐに元に戻り、歌声が静かに流れ始めた。
その歌声を聞いた瞬間、私はふと心が揺れ動いた。
「歩いてきた道、足跡は泥の中に深く…」
歌詞が私の心に直接響いてくる。
この歌、何か懐かしくて、切なくて、温かかった。
このテープには、私の人生に大きな意味を持つものが詰まっている。
父が事故で亡くなり、母が植物人間となったあの時、助けてくれたのはカモメという名前の医学生だった。
その彼が、私に与えてくれた10万円と、このテープが、今でも私の心の支えになっている。10万円は、学生の私にとっては感謝するに足りる大金で、この曲も彼のオリジナルのようだ。
桐生宗介も、私の背後に立ち、歌声に耳を傾けている。
私たちはその歌に引き寄せられ、誰も動かなかった。
「どんなに辛くても、生き抜かなくてはならない…」
歌詞がひとつひとつ私の胸を打ってきて、私は涙を堪えきれなかった。
そして、歌が終わった瞬間、桐生宗介が静かに言った。
「この世で最も強い人は、何度も倒されても、必ず立ち上がる人だ。」
その言葉が、私の心に突き刺さった。
彼は、私がどう生きるべきか、何度も教えてくれた。
「俺、帰るよ。ゆっくり休んで。」
そう言って、彼はドアの前に立った。
その姿が少し寂しげに見えたが、私がそれに気づく間もなく、彼はドアを開けた。
濡れたシャツが彼の背中にぴったりと張りついて、その体のラインが浮かび上がる。
「雨が強くなったね、うちのソファでも寝られるよ。」
私は突然、そう言った。
すると、桐生はゆっくりと振り返り、少し笑みを浮かべてこう言った。
「知ってるか?独身男性を泊めるのは、非常に危険なことなんだ。」
そのセリフは、まるで私に何かを試すような、少し挑戦的な響きがあった。