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【第3話】麗奈の本音、裏腹な笑顔

 昼休みの教室は、いつになく騒がしかった。翔太郎はパンを片手にぼんやりとその様子を見渡しながら、妙な“ざわつき”の原因を探っていた。

「なあ……なんか、今日はやけに“あの子”が中心になってないか?」

 翔平がこっそり耳打ちしてきた。“あの子”とは――麗奈。クラス委員で、成績も顔も性格も完璧と評判の、まさに「人気者」だった。

 だが翔太郎は、そこに引っかかりを覚えていた。

「……え?麗奈って、こんなに目立ってたっけ?」

「だよな?俺も記憶にない。でも、今見てみろよ。クラスの女子は全員あの子の話してるし、男子連中も“給食一緒に食べたいランキング”とか意味不明な投票始めてたぞ」

「何その統計……」

 翔太郎が呆れていると、後ろの席からも聞こえてくる。

「麗奈ちゃん、この前、校長先生に“家庭科指導”してたんだってー!」

「へえ〜、私聞いたのは、体育の授業で跳び箱飛べなかった子を背負ってゴールまで運んだって話!」

「え、それ、もはや伝説じゃん……」

 翔太郎は思わず机に突っ伏した。

(何だこの“麗奈神話”の量産状態……!)

 確かに麗奈は“いい子”だ。だが、ここまで“完全無欠”だっただろうか?

 思い返すと、どこかに“すき間”があったような気がする。目立ちたくないときは一歩引き、他人の様子を見ながら自然と距離を詰めていたはず。今の彼女は、あまりにも“作られすぎている”。

「翔太郎。これ、“改変”されてるかもしれない」

 隣で璃桜が、静かに言った。

「記憶操作系のアニマか?」

「可能性は高い。全員の記憶に“違和感のない形”で挿入されてる。しかもその改変が“完全”じゃない」

「それで、バグってる記憶が混ざってるのか……」

 翔太郎は周囲を見渡した。

 麗奈の話題で盛り上がっている生徒たちは、みんな目がキラキラしていて、“うっとりしている”と言っても過言ではなかった。

「……でも、あれを本気で信じてるの、どう考えても洗脳に近いよな……」

「観測者の私たちには“違和感”として見えるけど、それ以外の人にとっては“自然な歴史”として刷り込まれてる。アニマの能力……というより、投影型の影響かも」

 そのとき――

「翔太郎くん?」

 唐突に、甘くやわらかい声が降ってきた。

「……!」

 振り返ると、そこにいたのは“問題の本人”、麗奈だった。

 にこにことした笑顔、揺れるポニーテール、完璧すぎる立ち姿。

「さっきから、こっち見てたけど……何か用だった?」

「い、いや……別に、そんな……」

 翔太郎はとっさに言葉を濁す。しかし、内心では警戒を強めていた。

(こっちの様子……完全に探ってる……)

 隣で璃桜も、黙ったまま視線を逸らさずにいた。麗奈は気にする様子もなく、微笑んだまま一言。

「放課後、ちょっとだけ時間くれる?屋上で、話したいことがあって」

「……ああ、うん。わかった」

 翔太郎は無意識に頷いていた。

 しかし彼の脳裏には、一つの疑問がぐるぐると巡っていた。

 ――今、あの笑顔の奥にいたのは、本当に“麗奈”だったか?




 放課後の屋上には、少し肌寒い風が吹いていた。

 太陽はすでに傾き始め、校舎の影が長く伸びている。コンクリートの床には、ひんやりとした気配と共に、どこか現実離れした静けさが漂っていた。

 翔太郎は、屋上のベンチに座っていた。

 麗奈は、翔太郎の向かいに立っていた。

 その笑顔は相変わらずだった。完璧に整った表情。柔らかな声。少し首をかしげるような仕草。

 だが、その目だけは――笑っていなかった。

「急に呼び出して、ごめんね」

「いや、大丈夫だけど……」

 翔太郎は軽く首を振る。だが、背中にはうっすらと汗が滲んでいた。頭の奥で警鐘が鳴っている。表面は穏やかでも、目の前の彼女は、完全に“普通”じゃない。

「……私ね。ずっと思ってたの。なんか、みんなって……自分のことを“よく知ってる”ようで、実は全然見てないな、って」

「……それは……どういう意味?」

 翔太郎の問いに、麗奈はふっと微笑んだ。だがその笑みは、どこか空虚だった。

「たとえば、翔太郎くん。私のこと……どこまで知ってる?」

「……え?」

「好きな食べ物、趣味、得意科目、家族構成。翔太郎くん、私のことを“クラス委員で、ニコニコしてて、なんとなく親切そうな子”って思ってるでしょ?」

「……まあ、そういう印象はあるけど……」

「それ、全部“印象”でしょ?」

 麗奈は、ゆっくりと歩いて翔太郎の隣に座る。

「私ってさ……“印象”でしか存在できないの。誰かの中にある、都合のいい私。理想の麗奈。便利な麗奈。嫌われない麗奈」

 翔太郎は言葉を失っていた。

 それは、明らかに“本音”だった。

 さっきまでのにこにこした顔とは違う、“感情”が乗った声だった。

「でも最近ね。誰かの“思い込み”が現実になってる気がしてきたの。私が何か言わなくても、周りが勝手に“理想のエピソード”を作って、みんながそれを信じて、記憶していくの」

「それって……アニマの影響か?」

「……たぶん、そう」

 麗奈は膝の上で指を組みながら、ぽつりと続ける。

「昨日の夜、私、夢の中で“何か”に触れたの。顔は覚えてない。でも、その存在はこう言った。“あなたは誰にとっても理想であるべきだ”って」

「それって……強制されてるってことか?」

「ううん。たぶん、“願望”なんだと思う。私の中にもある、誰にも嫌われたくないっていう……小さな願望。それが、アニマに食われたんだよ」

 翔太郎は、全身から力が抜けていくのを感じた。

 笑顔の仮面をかぶったまま、麗奈は誰にも気づかれずに、心を侵されていた。

「今の私は……たぶん、“本当の私”じゃない。だけど、“誰かに作られた理想の私”でもある。しかも、それをみんなが信じてる。下手したら、私よりも“他人の記憶”の中にいる私の方が、現実になってるのかもね」

 翔太郎は、唇を噛んだ。

「……そんなのおかしいだろ」

「うん。おかしい。でもね、たぶんそれって、誰にでも起きることなんだよ。みんな、他人の期待やイメージに沿って生きてる。それがたまたま、アニマによって“物理化”されただけ。私が特殊なわけじゃない」

「でも、今のままじゃ……お前が、お前でいられなくなるぞ」

「……うん。だから、お願いがあるの」

 麗奈は、初めて本当に笑った。

 さっきまでの作り笑顔ではなく、ほんの少し揺れた目尻と、わずかに震える唇が、“人間らしさ”を取り戻していた。

「“本当の私”が消える前に、誰かに……それを見ててほしいの。もし私が、“全部偽りの麗奈”になっちゃったら……そのときは、ちゃんと、突っ込んでくれないかな?」

 翔太郎は、ゆっくりと頷いた。

「わかった。お前のこと……ちゃんと見る。俺の目で」

「ありがとう。……じゃあ、明日になったら、“全員”に突っ込んでね?」

「全員……?」

 麗奈は、さっきの柔らかい声で囁いた。

「みんな、私のことを“記憶で上書き”し始めてるから。“校長に給食を教えた麗奈”とか、“生徒会長を影から支える麗奈”とか、“時空を超えて弁当を届けた麗奈”とか……」

「最後のやつ、明らかにおかしいから!!」

 翔太郎の絶叫が、屋上に虚しく響いた。

 しかし、それが“異変の始まり”のほんの序章でしかないことを、このときの彼はまだ知らない。




 翌朝、翔太郎は昇降口の前で、足を止めた。

 玄関ホールの掲示板に、まるで“当然の事実”であるかのように貼られていた一枚のポスター――

《祝・麗奈さん、文科省特別表彰!》

「……は?」

 登校したばかりの生徒たちが、ポスターの前で口々に言い合っていた。

「やっぱ麗奈ちゃんって、すごいんだね!」

「だって、町内の図書館に自腹で100冊寄贈したって……!」

「去年の夏、海外の子供たちにオンライン授業してたらしいよ?」

「なんでそんな超人がうちの学校に……」

 翔太郎は頭を抱えた。

「璃桜、今の聞いたか……」

「聞いた。今、後頭部にアイスピック刺されたみたいな気分」

 璃桜は隣に現れ、静かにメモ帳を開いた。

「記憶改変範囲、昨日より拡大してる。内容も肥大化。世界観がインフレ起こしてるわ」

「てことは、昨日までの“ちょっとすごい子”から、今や“世界的偉人”コースに突入……?」

「しかも、校内だけじゃなく、外部の“設定”まで食い込んでる。これ、まずいよ」

 廊下を歩いていると、教室の窓側で男子生徒たちが話していた。

「なあ、麗奈先輩って、空手三段なんだぜ?」

「嘘だろ、それ。俺、去年の体育でペア組んで、肩パン負けたんだけど……?」

「逆にその逸話が本当っぽいって怖いな……」

 翔太郎は胃のあたりに鈍い痛みを覚えた。

(これは……完全に“現実改変”だ)

 そして、それは“見えてしまう側”――観測者だからこそ、余計にわかる。

 記憶の整合性が甘い。

 作られた話の中に、明らかに“矛盾”がある。

 たとえば――

「麗奈ちゃん、去年は生徒会の副会長だったしね!」

「え、でも生徒会って今の三年じゃ……?」

「いや、麗奈さんって飛び級してたから……」

「うちの学校に飛び級制度あったか……?」

 誰かがそう呟いた瞬間、ふわりと“霧”のような違和感が生まれる。

 その瞬間が、観測者にとっての“ほころび”の合図だった。

「もう確定だな。これはアニマによる記憶の“上書き”だ。しかも、かなり強い個体」

「……でも、麗奈本人が望んでるわけじゃない」

 翔太郎は屋上でのあの夜の会話を思い出していた。

“私が消える前に、誰かに突っ込んでほしい”

 彼女は望んで“神話”になっているわけじゃない。内心では、その“理想像”に自分が呑み込まれていくことを、恐れている。

「でもさ……どうやって止めるんだ?アニマ自体が見えてないのに」

「見えてるはず。記憶が“演出”されてるってことは、どこかで“演出してる”存在が近くにいるってことだから」

 璃桜は、黒板の上、天井の照明、壁際の掲示物、全てに視線を走らせた。

「翔太郎。違和感の“濃い”場所に注目して。今、この教室の中で、“設定盛りすぎてる部分”」

 翔太郎は深く息を吸い、思考を集中させた。

 ――図書館寄贈、オンライン授業、家庭科指導、空手三段。

(盛られた設定の中で、一番“ありえなかったやつ”は……)

 その瞬間、翔太郎の視界の端に、ふわりと揺れるものがあった。

 教室の天井隅。カーテンレールの上に、絵本の挿絵のような風貌の“小さな狐”がちょこんと座っていた。

 紙のように薄く、模様のように曖昧な輪郭。頭の周りに小さな吹き出しが浮いており、その中には手書きのような文字が次々に浮かんでは消えていた。

『麗奈は すばらしい』

『皆の憧れ』

『光のような存在』

『麗奈は 麗奈は 麗奈は――』

「……いた」

「見つけた?」

 翔太郎はそっと指を差す。

「あそこ。窓の上。薄いけど、文字をばらまいてる」

 璃桜は瞬時に目を向け、頷いた。

「“願望投影型アニマ”。しかも、記憶の“挿入”ではなく、“記憶の再解釈”を促すタイプだ。やっかいだね、これ」

「捕まえられるか?」

「翔平がいれば、たぶん」

 その言葉を聞いて、まるで呼応するように――

「呼んだー!?」

 廊下からドアを勢いよく開けて翔平が飛び込んできた。手にはいつものように謎の網と、捕虫網に似たアイテム。

「噂を聞いてきたぜ!“麗奈が先週、宇宙人と交信した”って!」

「それはもう末期だ!!」

 翔太郎の絶叫が、教室のざわつきにかき消された。




 翔平はいつもの軽いテンションとは裏腹に、教室の空気をすぐに察した。

「……で、どこだ?」

 翔太郎が無言で窓の上を指差す。

「了解」

 その瞬間、翔平はスプレー缶を手に取って、カーテンレールに狙いを定めた。

「ちょっと待って待って!今回は物理で行くのやめよう!捕まえるだけでいい!」

「でもこれ、レモンミントの香りで“誤情報”を吹き飛ばすっていう特製アロマスプレーで――」

「だからその発想がもう信じられないんだよお前は!」

 翔平を制止しながら、璃桜が前に出る。

 彼女は静かに手を掲げ、小さく指を鳴らした。

 その瞬間、アニマの周囲の空気がぴたりと静止したように感じられた。

「観測域を狭めた。これで外の記憶に波及するリスクは減ったはず。翔平、捕獲は“静かに”。任せるよ」

「ふっ……任されたらやるしかねぇな!」

 翔平はポケットから糸のような道具を取り出し、それをゆっくりと伸ばしながら近づいた。

 アニマは気づいていないのか、吹き出しの中に相変わらず“麗奈は、生徒会を影から操っていた”などという意味不明な文を浮かべ続けている。

「今だっ!」

 翔平の網が、ふわりとアニマをすくい上げた――ように見えた瞬間、アニマがびょんと跳ね、教室の照明の中へと逃げ込んだ。

「逃げたぞ!!」

「もう照明の中に入らないでぇぇえ!」

 翔太郎は顔を覆いながら叫んだ。生徒たちはそれを不思議そうに見ていたが、幸いにも“観測者”でない彼らにはアニマの姿も翔平の挙動も、ただのふざけた騒動にしか映っていなかったらしい。

「くっ……あいつ、文字で記憶を感染させてる。だったら……!」

 璃桜はペンを抜き、ノートに大きくこう書いた。

『これは全部嘘です』

 その紙を掲げる。

「これ、相殺できないかな……」

 一瞬、アニマの吹き出しが揺れた。

『……麗奈は 本当のことを……』

 揺らいでいた。

「今だ!」

 翔平がもう一度、照明の上にジャンプして網を投げる。ついに網の中に、紙のような薄いアニマが巻き取られた。

 その瞬間――

 教室の中で、誰かがぽつりと言った。

「……あれ?麗奈ちゃんって、生徒会だったっけ?」

「図書館の話……え、あれ、夢で見たやつじゃ……?」

 ざわざわ……と空気が揺れ始めた。

“記憶の補強線”がほどけ、再構築が始まっていた。

 吹き出しはすべて消え、アニマは静かに翔平の手の中でぴくりと震えて動かなくなった。

「……うおっしゃああああ!捕獲成功!!」

「そのテンション、もうちょっと抑えて!今、現実が“正常化”してるから!」

 翔太郎が叫ぶ中、生徒たちは少しずつ“正しい記憶”を取り戻していった。

 そして――教室のドアが静かに開いた。

「……何してるの?」

 そこにいたのは、麗奈だった。

 あの笑顔はなかった。

 無理に作ったような表情も、誰かに合わせたような声色もなく、ただ、素の声で、素の顔で、そこに立っていた。

「……お前、戻ったのか?」

 翔太郎が言うと、麗奈は小さく頷いた。

「ありがとう。たぶん、いまの私が一番“私らしい”と思う」

「もう変なエピソードで語られないぞ。“宇宙人に弁当届けた”とか言われなくて済む」

「……誰それ。怖」

 麗奈は静かに笑った。

「でも、これで終わりじゃないよね?」

「うん」

 璃桜が背筋を伸ばす。

「アニマは倒しても、“願い”そのものは残る。次に誰かが強く願えば、また別のアニマが生まれて、似たような現象が起きる」

「だから、私たち観測者は、“現実のズレ”に気づく必要がある。何度でも、ちゃんと“現実”を見つめることが、大事なんだと思う」

 翔太郎は、静かに息を吐いた。

 その視界の先で、校舎の窓にうっすらと映る夕陽が、歪んだ記憶の名残を、少しずつ飲み込んでいった。

(第3話 完)


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