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【第4話】佑樹のタイムマネジメント地獄

 月曜日の朝。

 翔太郎は、登校してすぐに違和感を覚えた。

 昇降口から教室に向かうまでの通路が、妙に“せわしない”。誰もが妙に早足で、誰もが時計を何度も確認し、何なら三人に一人が腕時計を二重に着けていた。

「おい璃桜、なんか世界が“せっかち”になってないか?」

「私も途中で気づいた。校門のところ、いつもならだらだら歩いてる子たちが、猛ダッシュしてた」

 教室に入ると、さらにおかしなことが起きていた。

 翔太郎が座って数秒も経たないうちに、チャイムが鳴った。

 キーンコーンカーンコーン。

「えっ、今来たばっかだよな……?」

「うん、まだ8時15分」

「チャイム、早くない!?」

 先生が入ってくるでもなく、黒板の時間表示だけが“1限開始”を示していた。

 璃桜がカバンから観測ノートを取り出し、さっとメモする。

『学校全体の時間進行が不安定。局所的に“加速”傾向あり』

 そのときだった。

 ガラッ、と後ろのドアが開き、ひとりの男子が飛び込んできた。

 顔面蒼白。眼鏡がずり落ち、シャツの第一ボタンが飛びそうなほど乱れた制服の襟元。彼の手には、ぴっかぴかの“懐中時計”がぶら下がっていた。

「……あ、佑樹」

 翔太郎はすぐにその名前を呟いた。彼は学年でも有名な“時間の男”。几帳面で、計画に一秒のズレも許さない性格。だが今は、どう見ても“時間に追われている顔”だった。

「なあ翔太郎……教えてくれ……」

 佑樹がふらふらと近づいてきて、机に手をつく。

「なんで……通学に7分だった道が……今日は43秒なんだ……?」

「いや知らんわ!!」

「しかもな……授業が20分で終わるんだ……いや、感覚的には30分過ぎてるんだけど、時計は20分なんだ……」

「どっちだよ!?意味わかんねえよ!!」

 璃桜が教室の壁時計を観察しながら言う。

「たぶん、体感時間と実時間がズレてる。アニマの影響ね」

「またかよ……!」

 翔太郎が頭を抱えたそのとき、佑樹が震える声で言った。

「俺……昨日、時計を拾ったんだ……裏山で、古い神社の脇に落ちてた……銀色で、やけに光ってて……で、つい、持って帰って磨いたら……」

「磨いたら?」

「……時報が、喋った」

「それ絶対呪いだよね!!!」

 翔太郎の全力のツッコミが響く中、璃桜が佑樹の手にある懐中時計を覗き込んだ。

 時計の表面には、微細な文様が刻まれていた。よく見ると、それは“数字”ではなく、古代文字のような何かだった。

「これは……時間アニマの本体、あるいは“宿主媒体”ね。周囲の時間感覚を“相対化”して支配する能力……たぶん本人も制御できてない」

「じゃあ、これが原因で校内の時間が……」

「うん。エリアによって、“5倍速”とか“0.5倍速”とかになってる。普通の生徒は、感覚的に“急いでる”としか感じないけど」

 翔太郎は黒板の前に目をやった。教師がまだ来ていない教室。その中で、デジタル式のサブタイマーが“12:43”を示していた。

「え、今……12時!?」

「いや、まだ8時20分のはずだけど」

「怖すぎるだろこの空間!」

 そのとき、天井のスピーカーから“時報”が流れた。

《ただいま、午後3時をお知らせします》

「ちょっと待てえええ!!」

 叫ぶ翔太郎の後ろで、佑樹は絶望的な顔で懐中時計を開いた。

 中の針は、くるくると逆回転していた。

 その針の下、文字盤の隅で、薄ぼんやりと、狐のような顔をしたアニマが“きゅううん……”と鳴いていた。

「……お前かあああ!!」




 懐中時計の中に浮かぶ、小さな狐の顔。

 その輪郭はあやふやで、輪郭を定めようとするたびに“時間”そのものが歪むような感覚が翔太郎を襲った。

「うわっ……目が回る……!」

「時空アニマは“見る者の時間認識”そのものに干渉してくるから、直接見続けるのは危険だよ」

 璃桜が懐中時計の蓋を素早く閉じ、慎重にハンカチでくるんだ。

「これ以上見てたら、全員“1日50時間生活”に引きずり込まれる」

「そんな時間割で生きたら絶対過労死する……!」

 翔太郎が叫んでいると、突然チャイムが鳴った。

 しかし次に教室へ入ってきたのは教師ではなかった。

「やっほー」

 登場したのは、まさかの奈菜。佑樹と同学年の、無表情系・直感優先タイプの女子だった。

「ちょうどいいとこ来た!奈菜、今、時間感覚おかしくない?」

 翔平が駆け寄ると、奈菜は一拍置いてから言った。

「うん、朝起きたらお母さんが5分で1週間ぶんの晩御飯を作ってた。すごかった」

「それ、家庭内で現実改変始まってるってことだよ!?」

「冷蔵庫の中身も全部“2日前”に戻ってたし」

「時空のループまで起こってるのか……!」

 璃桜が額を押さえながら、懐中時計の上に手をかざした。

「このアニマ、周囲の“時間の概念”を巻き込んで、現実を“自己の時計”に従わせようとしてる。主に“持ち主”……つまり、佑樹の“時間感覚”がコアになってる」

「……でも俺、別に早くなってほしいなんて願ってない……むしろ、時間がもっとゆっくりになればいいって……」

 佑樹は震える手で額を押さえた。

「今日だけで、試験範囲の半分が終わってる……昼休みが5分しかなかった……寝たと思ったらもう朝だった……」

「なにそのブラック社畜コース!高校生だぞお前!」

 翔太郎のツッコミもむなしく、教室の時計は相変わらず“無視”を決め込み、1時間に1度、勝手に15分ずつワープしていた。

「このままじゃ……学年末試験が明日になるかもしれない……!」

「それはマジでまずい!おれ、英語のノートまだ取ってない!!」

「そっちかよ!」

 クラスメイトたちはこの異常に気づかないまま、「今日はなんか慌ただしいなー」程度の感覚で日常をやり過ごしていた。

 その“違和感に気づかないこと”こそが、時間アニマの厄介な力だった。

「……佑樹、聞いて。君の“管理能力”は確かにすごい。でも、その強迫観念が、“時間を制御したい”って無意識の願望を生んでしまった。アニマはそれを読み取って、暴走してる」

 璃桜は優しく言った。

「じゃあ……俺のせいなのか?」

「違う。“持たされた”だけだよ。けど、今は“持ってる”ってこと自体が危険なんだ」

 そのとき、懐中時計がまた開き、今度は全校放送のスピーカーが勝手に鳴り出した。

《まもなく終業式が始まります。生徒の皆さんは速やかに――》

「いや、まだ4月だから!!」

 翔太郎の絶叫のあと、翔平が立ち上がった。

「よし、時計破壊しよう」

「だめえええええええ!!」

 璃桜と奈菜の叫びが重なった。

「こういうタイプは、壊すと“時間停止”になるリスクがある。私たち全員、永遠に“月曜の1限目”で詰むかもしれない」

「無限に数学受ける人生とか……拷問……」

「落ち着いて、解決方法はある。アニマの時間認識を“狂わせる”こと」

 璃桜はきゅっと口を引き締めた。

「つまり、“正確な時間じゃなくていい”と、周囲が認識すれば、アニマは基盤を失って崩壊する」

「そんなの、どうすれば……?」

「簡単。“全員で、時間をめちゃくちゃにする”」

 翔太郎が無言になった。

 その作戦の名は、翔平によってこう命名された。

「その名も、“大・不規則生活作戦!”」




「“大・不規則生活作戦”……?」

 翔太郎が眉をひそめながらオウム返しすると、翔平はガッと拳を握って、教壇の上に乗り上がった。

「そう!規則正しい生活に縛られたこの学園に!俺たちの手で、“混沌”を取り戻すのだ!!」

「おいおい、なんか言い方が“破滅思想のリーダー”っぽくなってんぞ!」

「静粛に!今から作戦の概要を説明する!」

 翔太郎と璃桜、そして奈菜と佑樹が囲む中、翔平はプリントもないまま、教室の黒板を指さした。

「目標は、“校内の時間ルールの破壊”。つまり、授業・休み時間・清掃・昼食といった“ルーチン”を、全員でバラバラに崩していくことで、“正しい時間”の基準そのものをグチャグチャにする!」

「お、お前それ、校則違反とかいうレベルじゃないだろ……?」

「時間を歪ませてる原因がアニマなら、対抗するのも“人間の異常行動”だ!」

「どんな理屈だそれ!」

 だが璃桜は、指を顎に当てながら納得したように頷いた。

「理にかなってる。“統一された時間”が支配の根幹なら、“全員のズレた行動”は確かにアニマの干渉を揺るがすかもしれない」

「奈菜、協力してもらえる?」

 璃桜が振ると、奈菜は無表情のまま答えた。

「うん。私、もう3限目と5限目の順番入れ替えてノート取ってた」

「フライングで実行してたのか……!」

「あと、給食を3回食べた」

「時間どうなってんだよその胃袋!!」

 翔太郎が絶叫している間に、作戦は一気に実行フェーズへと移行した。

 まず、クラス内でさりげなく“異常行動”を導入する。たとえば、

 ・授業開始直後にいきなり掃除を始める男子

 ・昼休みに“朝のHR”を再現する女子たち

 ・時計の針を直し続ける“時間職人”こと翔平

 そして、最も致命的な行動が導入された。

「今から“昼休みドッジボール大会”を始めまーす!」

「いやまだ1限目だってば!!」

 どこからともなく現れた体育係が、校庭で大玉を転がし始め、生徒たちがそれに引きずられるように集まり出した。

 さらに、奈菜の無感情なアナウンスが鳴り響く。

「2年3組、今から5限の家庭科を実施します。調理はお好み焼きです。具材は、廊下で拾ってください」

「廊下で拾うな!何作る気だよ!!」

 翔太郎はもう、ツッコミが追いつかない。

 だがその混乱の最中、何かが変わった。

 世界の“空気”が、確実に歪みはじめていた。

 チャイムが鳴っても、誰も動かない。

 先生たちすら、「あれ?今って……4限?」と首をひねっている。

 放送室から流れる時報は、午前6時、午後10時、そして“25時”という謎の表記を読み上げるようになっていた。

「よし……効いてきた!」

 璃桜が懐中時計の封を解く。

 針はぐるぐると暴走し、ついには一周して“∞”の記号を刻み込んだ。

 そして――

「きゅぅぅぅん……」

 懐中時計から、小さな光がふわりと舞い上がった。

 狐の顔をしたアニマが、まるで“間違いを自覚した子供”のように、しゅんとしながら懐中時計から離れていく。

「……自我を取り戻してる。もう“時間そのものを支配しよう”という欲求は消えたみたい」

 璃桜が安堵の吐息を漏らす。

 翔太郎は、ようやく日差しが穏やかに差し込んできた教室の時計を見上げた。

「10時35分……ちゃんと、時間が“戻ってきた”んだな……」

 佑樹は、どこか魂が抜けたような顔で座り込み、ぼそっと言った。

「……俺、もう“5分単位”で生きるのやめるわ……」

「おう、それがいい。それが普通だよ。人間の幸せって、もっとラフでいいんだよ……!」

 翔平が肩を組んできて、佑樹は少しだけ笑った。

 そのとき、奈菜がふとつぶやく。

「でも、今日の昼休み、3時間あったのちょっと楽しかった」

「やっぱズレてんなお前は!」

 笑いと共に、ようやく“日常”が戻りはじめた。

 ただし、それは“普通”の仮面をかぶった、“観測者だけが知る世界”にすぎない。

 まだまだ、街は揺れていた。

(第4話 完)


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