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【第7話】悠の無音ダンスバトル

 朝の商店街は、いつも通りの賑わいだった――はず、だった。

 翔太郎は、通学中に立ち寄ったパン屋の前で、奇妙な光景に出くわした。

「……え?」

 窓越しに見えたのは、トング片手に、リズムよく“ステップ”を踏みながらクロワッサンを陳列する店員。そしてレジ前では、おばあさんが腰を小刻みに揺らしながら小銭を数え、奥の厨房では、シェフらしき男性が“タップダンスのような足取り”で粉を振るっていた。

 誰もが、音楽に合わせるように――けれども、そこに“音”はなかった。

「なにこれ……無音ミュージカル?」

 翔太郎は耳を澄ませた。だが、風の音、鳥のさえずり、車の走行音、すべてが“消えて”いた。

「音が、ない……?」

 違和感が背筋を這い上がる。

 街の一角が、まるごと“無音空間”に取り込まれているようだった。

「やばい、またアニマか……?」

 慌ててスマホを開くと、メッセージが一通、璃桜から届いていた。

《翔平が言ってた“踊る喫茶店”と症状一致。観測者、現地急行して。by璃桜》

「おい、なんだよその冷静な指示……踊る喫茶店て」

 不穏な響きの単語を噛みしめながら、翔太郎は指定された“喫茶・サイレント”へ向かった。

 その名の通り、静かなジャズが流れる落ち着いたカフェ――だったはずのその店は、今や完全な“無音バトルゾーン”と化していた。

 入口に立つや否や、音が、すべて消える。

「えっ……?」

 足音がない。扉の軋みもない。呼吸の音すら、吸い取られたように消えている。

 そして。

 中央に立つひとりの人影が――ゆっくりと、優雅にステップを踏みながら、店内を回っていた。

 白いスニーカー。ストリート系のパンツ。軽やかに揺れる黒髪。体の動きはなめらかで、動作に無駄がなく、そして――何より“楽しそう”だった。

「……悠、か」

 彼の名は悠。“過程を重視する男”。結果より、そのときの空気感、手触り、動きの美しさを大切にするタイプ。

 そして今、その彼が――無音の空間で、明らかに“何かと戦って”いた。

「悠っ!聞こえるか!?何があった!?」

 叫んだはずの声は、振動すらせず、空気の中に溶けて消えた。

 それでも悠は、ちらりと翔太郎に目をやり、軽く片手を挙げた。

 その動作すらも、どこか“振付”のように洗練されていた。

 ――音がない。けれど、身体は音を感じているように動いている。

「これ……やばいタイプのアニマだ……」

 翔太郎は、喫茶店の片隅に転がる“スピーカー型”の何かに気づいた。

 それは、コンセントもつながれていないのに、うっすらと振動していた。

 そして、周囲に“不可視のリズム”を発している。

“音を消し、踊りを強制する”アニマ。

「マジかよ……!」

 そう思った瞬間。

 翔太郎の足元が、勝手にステップを踏み始めた。

「お、おい……ちょっ、待っ、足が……!」

 右、左、スライド、ターン。

「うわああああ!止まれええええ!!」

 そして、悠の前に、無音で現れる“観測者2号(自称)”。

 それが、次なる“ダンスバトル”の幕開けだった――。




「足が止まんねえええええ!!」

 喫茶店の床に、バタバタと響かないステップを踏み続ける翔太郎。だが“音”が一切存在しないこの空間では、転倒音も絶叫もすべてが“無”。

 それが逆に恐怖だった。

 足だけが、まるで誰かに操られているかのように動く。

 無意識にリズムを刻み、腰がひねられ、腕がぐるりと宙を切る。

「ちょっと……待って……!」

 叫ぶ口の形だけが空しく動く。

 対面では悠が、ステップを刻みながら首をかしげていた。

(“楽しい”?お前今“楽しい”顔してるよな!?)

 悠の表情には、焦りも動揺もなかった。ただ“この空間を観察している”だけの、静かな目。

 そして、軽やかなターン。

 右足で軸を作りながら、重力をずらすように体をひねり――まるで、重音が響いたかのような“無音の衝撃”が周囲に走った。

(なに今の……!ステップひとつで、空間の密度が変わった……!?)

 翔太郎は驚愕した。

 悠の“踊り”が、この異常空間と“対話している”ように見えたのだ。

(……この空間、たぶん“踊りを求めてる”。音じゃなく、リズムを……)

 ようやく足が止まった翔太郎は、壁際にへたり込む。

 息を整えても、音が返ってこないのが不安を加速させる。

(ダメだ、ここでただ見てても仕方ない。なんとかして“外”と連絡しないと……)

 ポケットのスマホを取り出し、画面に「無音空間に囚われた。アニマは喫茶店内」と入力して璃桜に送信する。

 が、電波は圏外だった。

(くそっ……)

 視線を戻すと、悠がまた一歩ずつ“空間の中心”へと歩いていく。

 喫茶店の中央にある、小さなアンティークスピーカー。

 コードも接続もないのに、そこだけがじんわりと“音の亡霊”のような振動を発していた。

 悠は、その前で立ち止まり、片膝をつく。

 そして、手のひらをスピーカーの上にそっとかざした。

 ふわり。

 スピーカーの表面がわずかに光り、その中から、煙のような“人影”が浮かび上がる。

 顔も手も持たない、輪郭だけの人型アニマ。

 その身体は、風のように揺れ、踊るように回転しながら、悠の前で止まった。

「……やっぱり、“踊ることで意思疎通するタイプ”か……」

 悠が口を動かすと、ほんの少しだけ音が戻ってきた気がした。

(こいつ……“アニマと会話してる”……!?)

 そして、悠が小さく頷くと、無音の中で――“勝負の始まり”が告げられた。

 アニマが一歩、踏み込む。

 悠も、正面から受け止める。

 右手を上げ、左足を後ろへ引き、肩を沈めて――

 そこから、始まった。

“無音のダンスバトル”。

 二人の身体が、まるで旋律の代わりに空気を切り裂き、リズムを作っていく。

 足の裏が床をすべり、腕が風を描くように揺れ、重心移動が空間を震わせる。

 それはまさに、“身体で音楽を作る戦い”。

 翔太郎は、呆然と見守っていた。

(これが……“悠”なんだな……)

 彼は結果よりも“過程”に意味を見出す男。

 だからこそ、今――“音が消えた空間”という“完成形が存在しない世界”において、もっとも強い力を発揮していた。

(この空間を満たす“最適解”を、彼は今……探ってる)

 だが、アニマのダンスもまた熾烈だった。

 踏み込みの一撃が床を浮かせ、回転の軌道が空気をえぐる。

 ぶつかり合う無音の“振動”が、喫茶店を“舞台”に変えていく。

(ダメだ、このままじゃ“空間”が壊れる……!)

 翔太郎は立ち上がった。

 そのとき、ガラス窓の外に、人影が現れた。

 璃桜だった。

 そして彼女の後ろには、まさかの――

「翔平!?なんで……!」

 だがその問いに応える間もなく、翔平が背負っていた“謎の装置”が、ガシャッと音を立てて展開された。

 音はまだ届かない。

 しかし、その形状は――まるで、“ポータブル・スピーカー砲”。

「お待たせ、音の配達屋参上!」

 翔平がにやりと笑ったその瞬間――




 翔太郎は呆気に取られていた。

 目の前で起きていることは、もう“常識”の遥か彼方だった。

 璃桜の隣に立つ翔平は、背中から展開した何か――それはまるで“折りたたみ式の重低音発射装置”とでも言うべき構造――を肩に担ぎ、得意げに言い放った。

「音、届けに来たぜ!」

 無音の喫茶店。中では、悠とアニマのステップが空間の構造そのものを軋ませるように衝突している。

 その中心に向かって、翔平は“装置のコア部分”に接続されたスマホを叩いた。

 再生ボタン。

 その瞬間――

 ドン。

 床が揺れた。

 ズン。

 空気が跳ねた。

 バン。

 世界が、音を取り戻した。

「うおおおおおおおおおおっ!?」

 翔太郎が叫び声を上げた。

 突如として、爆音級のヒップホップが喫茶店の空間を満たしたのだ。

 バスドラムが床を鳴らし、シンバルが天井を突き抜け、ベースラインがカウンターの皿を震わせた。

「なにこれええええ!!喫茶店で出す音量じゃねええええ!!」

 翔太郎の鼓膜が悲鳴を上げる。

 が――その中心で、悠はひときわ鮮やかにステップを踏んでいた。

 リズムを取り戻した世界。

 音がある。反響がある。観客がいる。

 悠の表情が変わった。

 笑った。

 そして――本気になった。

 腕のスナップで空気を切り、足の運びで床を鳴らす。回転、静止、また一歩。動きすべてがリズムに絡みつき、“一曲の物語”になっていく。

 そして、それを見たアニマもまた、反応した。

 輪郭の曖昧な身体が、一瞬で明確になった。

“音を喰うだけの存在”だったそれが、今、音に乗って踊っている。

 翔太郎は思った。

(……これはもう、“戦い”じゃない)

“共演”だ。

 アニマは悠に挑み、悠はその挑戦に応え、踊り合っている。

 勝敗ではなく、ただ、“表現”として向かい合っていた。

「すげぇ……」

 そのとき、璃桜が翔太郎の隣で静かに口を開いた。

「たぶんこのアニマ……“音を求めてた”んだと思う。無音に閉じ込めたのは、自分が“音の意味”を見失ってたから。誰かに、思い出させてほしかったのかもね」

「それを……悠が?」

「悠は、“過程を見つける”人だから。目的じゃなく、流れの中に意味を探す。その踊りが、アニマの“存在理由”に触れたんだと思う」

 再び悠が回転する。

 一拍の静寂を挟んで――ぴたりと止まった。

 アニマも、その場で静止した。

 その瞬間、喫茶店の空間全体がふわっと揺れ、ガラス窓の光が一気に戻る。

 音が――ちょうどいい音量で、店内に馴染んでいた。

「……終わったのか?」

 翔太郎がそう言ったとき。

 悠がくるりと振り返り、いつもと変わらぬ調子で一言。

「ね、踊るのって、言葉より伝わるよね」

「いやお前、戦いの後に言う台詞じゃないってそれ!!」

「けどほら、なんとなく“通じ合った”感じ、なかった?」

「あったけども!」

 アニマの気配は、もうどこにもなかった。

 まるで音に溶けるように、その存在を“振動”のなかに消していったのだ。

「……音楽って、アニマにも効くんだな」

「効くっていうより、“共鳴した”ってことなんだろうね」

 璃桜の言葉に、翔平が照れたように笑いながら追い打ちをかける。

「俺のスピーカー砲、役に立ったろ?」

「うるさすぎたけどな!!」

 喫茶・サイレント。

 名は体を表すどころか、最大ボリュームの音楽バトルアリーナと化したその場所は、今日も変わらず“静かな営業”を再開していた。

 ただし、入口の片隅には、こう書かれた小さなプレートが新たに加えられていた。

《音にご注意ください。時折、魂が踊り出すことがあります》

(第7話 完)


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