「だから言っただろ、開発する前に“倫理的検証”しろって……!」
翔太郎は、声にならない悲鳴を押し殺しながら、目の前の“立ち入り禁止標識”に土下座していた。
「お願いだ、せめて口閉じてくれ!!お前が一番交通の妨げになってる!!」
標識は、にこやかに口を開く。
『この先、君にふさわしくない道がある気がするよ。引き返す勇気って、あるよね?』
「うっせぇよ!!!」
朝から異常事態だった。
市内の街路標識や交通案内板、果ては“階段の昇降注意シール”までが、“意思ある声”で話しかけてくるようになったのだ。
その原因は――
「ごめーん!翔太郎!ちょっと計算ミスったかも!」
「“ちょっと”じゃねえええええ!!!」
なつきが満面の笑顔で両手を合わせる。
隣では、歩夢が手帳を見ながら平然とメモを取っていた。
「試作機A型……“表面接触による構造認識と物理世界への言語干渉機能”…までは成功と。音声回路が暴走する可能性、やっぱりあったね」
「お前は今、さらっと“世界が喋り始めた”って言ったんだぞ!?」
ことの発端は、数日前の昼休みだった。
好奇心の塊・なつきと、理論偏重型の歩夢が、「アニマの一部を利用して“観測者専用ツール”を作れないか」と開発を始めたのが事の始まり。
「見えるものに“意味”を与える力があるなら、逆に“意味を持たせれば、ものが喋るんじゃないか”って」
「その発想がもうだめだろ!!!」
現実に、“喋る標識”が出現した。
しかも全員が、やたら丁寧で説教くさい。
『この道を行く前に、本当にあなたの心は準備できていますか?』
『進むという選択の重み、私たちは知っています』
『立ち止まるのも、ひとつの“進行”です』
「なんなんだこの啓発ポエム祭りは!!」
翔太郎は叫びながら、額を標識にぶつけた。
その様子を、璃桜が冷静に記録していた。
「翔太郎が標識と“真剣に口論”してる……やっぱりこの街、壊れかけてるわ」
「“かけてる”じゃなくて“壊れてる”だよね、もう!」
この異常事態を止めるには――“発明元”のふたりが責任を取るしかない。
歩夢はふと空を見上げながら呟いた。
「でも……どうやら“言葉の暴走”じゃなくて、“認識の暴走”が始まってる気がする」
「……認識の暴走?」
「うん。“人間が、道具に意味を見出している”ことが、物理的に具現化されてしまったってこと」
なつきが補足する。
「つまり、“この看板は道を教えてくれてる”って思ってたら、ほんとに“教えてくれる人格”が発生しちゃったってこと!」
「それ、要するに“人の認知が現実を上書きしてる”ってことだろ!?ヤバすぎるじゃん!!」
そして、その夜。
街の案内板のひとつが――暴走した。
『おかえりなさい、すべての帰還者へ』
翔太郎が目を向けたとき、それはゆっくりと回転しながら、明らかに“別の空間”へのゲートを開いていた。
「待て待て待て!!!道案内のくせに空間歪ませるな!!!」
それが、崩壊の序章だった。
翌朝。
翔太郎が駅前ロータリーに立った瞬間、目の前にある“横断歩道”が話しかけてきた。
『踏み出すには覚悟がいるのです。それでも、行きますか?』
「うるせぇよ。青信号だろ今!」
歩道に向かって怒鳴るという狂気の行動も、もう何度目かわからない。
隣の信号機が続ける。
『私たちはただ、あなたの選択を見届けるだけ……』
「いや、仕事しろ!光れよ赤に!あっ、今車来た!やべっ!!」
軽く跳ねながら避けた翔太郎の目の前に、すでに“動く標識”の群れが出現していた。
街の案内板、警告シール、さらにはバス停の時刻表までが“人間のように言葉を放ち”、自律的に動いている。
喫茶店のドアには『開けてもよいが、心の扉はどうかな?』と書かれ、
自販機の上には『押すなよ?押すなよ?』と煽るメッセージが点滅していた。
「全体的にメンタル攻めてくる系なんだよこの街!!」
道の角を曲がると、すれ違った高校生たちも“標識たちとの会話”を真顔で受け止めていた。
「標識に『今日は自分らしく行こう』って言われたから、制服やめて私服できたわ」
「ポストが『もっと心を開け』って言ってきたから、彼氏に告白しちゃった」
「返事は?」
「ポストに入れてって言われた」
「返しもう標識かよ!!」
翔太郎が絶叫していると、なつきと歩夢がやってきた。どちらも一応反省の色はあるが、顔に疲労は見えない。
「とりあえず、昨夜の“案内板ゲート”は閉じた。緊急パッチで“現実改変力”を制限したから、次に扉が開くことはないはず」
「……“次に”って言うな。開いたこと自体が問題なんだからな?」
「でも、まだ全市に20基近く“言葉を持った標識”が稼働してるはず。しかも、今朝から“人格を学習しはじめてる”っぽい」
「人格って言った!?学習って言った!?お前ら発明したの“AI標識”じゃなくて“自我持ったナビゲーション神”だよ!!」
そのとき、足元の側溝からひょこりと“蓋の影”が揺れた。
『迷ったときは、足元を見るべきでは?』
「いらん忠告だわあああああああ!!」
翔太郎は本気で叫びながら、璃桜に連絡を取った。
「璃桜、街全体が“哲学標識”に占拠されてる!どうしたらいい!?」
《理解した。“意味言語型アニマ”が乗っ取った。今すぐ“意味の再定義”を行って。観測者チーム、街に分散して各地点へ向かって》
「意味の再定義!?え、なに!?“この道は道である”って書けばいいの!?」
《そう。たぶん今の標識たちは“人間から意味を与えられたこと”に自我を持った。でも“今のお前は何か”って聞かれたら、アイデンティティ崩壊する》
「街の標識に“哲学的アイデンティティ崩壊”させろって!?無理無理無理!!」
しかし、すでに“語る交通灯”や“教訓を語る公衆トイレ”までもが活動を始めている以上――止めなければ、“街そのものが意味に呑まれる”。
翔太郎は額を押さえた。
「俺の人生、“看板の意味を問い直す”ためにあったわけじゃねえのに……」
それでも、止めなければならない。
自我を持ち始めた“街そのもの”を。
「……なつき、歩夢。最後に確認させろ。お前ら、この“発明”に名前つけてないよな?」
「うん!あるよ!」
「あるんかい!!」
なつきがにこやかに答える。
「“インタラクティブ都市共感ナビゲーター”。略して――“いちナビくん”!」
「バラエティ番組か!!!」
翔太郎は、自転車で住宅街を駆け抜けながら、街中に散らばった“喋る標識”を確認していった。
「次は……南門通りの交差点だ。あそこに、“詩を朗読し続ける青看板”が出たって報告が……」
現場に到着するや否や、標識が朗々と詠みはじめた。
『人はなぜ、進むべき道を、たとえ雨でも選びたがるのか……。それはきっと、“信号”が青だからだ』
「青じゃなかったらどうすんだよ!待つのか!?運命に!?交通の問題じゃないんだぞこっちは!!」
隣では、別の歩道案内がそっと囁く。
『“今行くべき”か“今立ち止まるべき”かは、君が“どこを見ているか”で変わる……』
「哲学やめろおおおお!!!市民が混乱するぅぅぅ!!!」
しかし、ただ怒鳴るだけでは解決しない。
璃桜の指示通り、“標識たちの自我”に対して“人間から再定義された意味”を“静かに”書き換えることが必要だった。
つまり、標識の横に「これは道路案内です」「これは一時停止の意味しか持ちません」といった、“シンプルな定義”を書き加えることで、“意味の暴走”を押し戻していく。
翔太郎は一枚一枚、“プレート”を手書きで貼っていく。
「これは……信号機……交通制御装置……お前は道徳を語らない……」
(なんだこの作業……)
疲労と無意味さに打ちひしがれる中、突如、道端の標識が話しかけてきた。
『書き換え、受け入れます。私は、進行方向を示すためだけに存在していました……それが“安心”です』
「なんか納得したああああ!!?」
その瞬間、標識の“目に見えるオーラ”のようなものが薄れ、ただの“看板”へと戻っていく。
翔太郎は気づいた。
(……ああ、これ、“人間が意味を与えすぎた”結果なんだ)
看板に安全を見いだし、案内に感情移入し、言葉に想像を託した結果――“意味”が人格化し、暴走したのだ。
歩夢の理論では、それこそが“観測者の力の暴走”でもあるという。
「つまり俺たちは、見えないはずのものを見すぎて、“道具に感情”を読み取るようになっちまったってことかよ……」
そのとき。
交差点の中心に、最も巨大な“意味の塊”が出現した。
電光掲示板だ。
“本日の注意:この世界において“正解の道”とは、どれなのか?”
「うわっ、ラストボス出た!!」
翔太郎は、手にした最後のプレートを掲げて、静かに歩いた。
“これは、ただの電光掲示板です。お前に人生は決められません。”
貼った瞬間――電光掲示板は、ぱちん、と一瞬光り、次の瞬間、通常の“渋滞情報”に戻った。
「やった……元に戻った……!」
そのとき、後ろからなつきと歩夢が駆け寄ってきた。
「翔太郎ー!標識、全部“黙った”よ!」
「終わったな。……バージョン0.9.1、倫理フレームワーク強化済み」
「だからそれ“終わった発言”じゃねえんだよぉぉぉおお!!!」
翔太郎の絶叫が、標識のない静かな通りに響き渡った。
そして――通りの片隅に転がっていた小さな立て札が、微かに呟いた。
『次は、もうちょっと、静かに使ってね……』
それを誰が聞いたかは、わからなかった。
(第9話 完)