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【第10話】真由子の心の声が、街に響く日

「――え? 聞こえてた? うそ、声に出してないよ……ね?」

 それは、教室の隅っこの何気ない昼下がりだった。

 美術の授業が終わり、机に顔を伏せながらスケッチブックを眺めていた真由子が、ふいにそう呟いた。

 翔太郎は、ちょうど通りかかったタイミングで彼女の“つぶやき”を耳にした。

 ――なんで今日、翔太郎くん髪寝癖ついてるのに気づかないのかな……ちょっと面白い。

 それが、聞こえてしまったのだ。

“声”ではなく、明らかに“心の中の声”として。

「え? えっ? 今の……真由子、言った?」

 翔太郎が驚いて聞き返すと、真由子は慌てて首をぶんぶん振った。

「ううん!なにも言ってない!でもなんか……伝わっちゃった……?」

 その瞬間、隣の席にいた悠真が、ゆっくりと顔を上げた。

「……俺のこと、今“すぐカッコつける”って思ったでしょ……?」

「ち、ちが……ごめんなさいっ!」

 真由子が顔を真っ赤にして机に突っ伏す。

 周囲では、クラスメイトたちがざわつき始めていた。

「え、今の……なんか、聞こえたよね?」

「うん、心の声みたいなやつ……でも、ちゃんと意味があった」

 翔太郎の脳裏に、ピキン、と警鐘が鳴る。

(これ、アニマの仕業だ……!)

 そして昼休み。

 状況は、一気に深刻化した。

「……あ、なんか分かった。あの人、いつも給食残すの、苦手なんじゃなくて嫌いだったんだ」

「っていうか今の、“声”じゃなかったよね? 感情?心の声……?」

 廊下でも、トイレでも、購買前でも。

“真由子の思考”が、そのまま“周囲に共有”される現象が発生し始めた。

 しかも彼女自身、コントロールができない。

 考えた瞬間に、それが“電波のように”周囲の頭に届いてしまうのだ。

「真由子!それ、今も続いてるのか!?」

「うん……止めようとしても、ぜんぶ……届いちゃう。思った瞬間に、みんなに……」

「なんで私、昨日のおでんに大根2個も入れてたかとかまでバレてんの!?恥ずかしい!!」

「っていうかさ、あの男子が“女子のジャージ似合ってるな”って思ってたのも……真由子の感想でバレたし!!」

 真由子は肩を縮こませ、震えるように言った。

「わたし、言葉にするのが苦手だから……思ったこと、そのままにしてたのに……。今、それが……全部、漏れてる……」

 翔太郎は、彼女のその表情に、ほんの少しだけ胸が痛んだ。

 彼女の“繊細さ”が、そのまま世界に晒されている。

 しかも彼女自身には悪意が一切ないのだ。

 それゆえに、暴走は“完全に無差別”だった。

 璃桜からのメッセージが届く。

《確認完了。アニマ“共感伝導体”が憑依している。タイプ:感情中継型。対処法:伝導対象を遮断する“共鳴遮断フィールド”の展開が必要。準備中》

 翔太郎は思った。

(その準備が整うまで、この暴走をなんとか止めなきゃ……!)

 だが次の瞬間――

「え、翔太郎くんって実は“自分無難って言うけど、根っこは結構目立ちたがり”って思ってた……!?」

「言うなあああああああああ!!!!!」

 翔太郎の“隠された本音”が、まさかの“第三者フィルター”経由で漏洩されてしまった。

 こうして、街は“真由子の心の声”によって混沌へと沈んでいく。




「こっち来ないで!本音バレる!」

「お願いだ真由子!せめてこっちを見ないで!」

 昼休みが終わる頃には、真由子の半径15メートルが“沈黙地帯”となっていた。誰も彼女に近寄らない。というより、近づけない。

“真由子の思考”は、言語に変換されるより速く、周囲の頭の中に“そのままのニュアンス”で届いてしまう。

『あの先生、今日スカート裏返しだ……可愛いけど教えてあげたほうが……いやでも恥ずかしいしな……』

『昨日の夢の内容が微妙に残ってる……誰にも言えないやつ……』

『あの子のペンケース、実はすごく可愛いけど、自分が褒めると逆に空気悪くなる気がする……』

 それらは、真由子が“声にしていない感情”であり、本来なら“本人の中だけ”に存在するはずのもの。

 だが今、それが周囲に“強制的に共有”される。

「うぅぅ……どうして、こんな……!」

 教室の隅で膝を抱える真由子は、泣きたい気持ちをぐっと飲み込んでいた。

 誰かの心を傷つけたわけじゃない。嘘をついたわけでもない。

 けれど今、彼女の“感性”は――“害”とされていた。

 翔太郎はそっと近づきながら言った。

「……大丈夫だ。お前は、悪くない。これはアニマのせいで起きた異常で、お前の性格が悪いとか、思慮が足りないとかじゃないから」

「……でも……私、何もしてないのに……なのに全部、ばれて……みんなが……」

「それ、さっきからずっと聞こえてるから!?」

「ひゃっ!?ご、ごめんなさいいいい!!」

 真由子がパニックになって頭を抱える。

 その直後、周囲からも叫びが響いた。

「うわっ、俺が“この服ダサいな”って思ってたのバレた!!」

「っていうか、私が“今日の給食薄味”って思ってたの、給食係の子にバレてた!?」

「“先生、今日ちょっとテンション高すぎ”っていう空気感、全員伝わってるぞ!!」

 まるで“心の声で全員が即バレする地獄”と化していた。

 翔太郎は璃桜からのメッセージを確認しつつ、対処法を頭の中で整理する。

(璃桜の言ってた“共鳴遮断フィールド”が使えるのはあと30分後。つまりそれまで、真由子の“心の声暴露範囲”を“抑える”か“隔離”しないと――)

「真由子!お前今、何考えてる!?」

「えっ!?えっと……翔太郎くん、怒ってる……けど、優しい声で話してくれる……ちょっと、うれしい……けど、でもやっぱり恥ずかしい……うああああっ!!」

「今のだけピンポイントで超恥ずかしいじゃねえかああああ!!!」

 しかし、翔太郎の中でふと、ひとつの仮説が浮かんだ。

(“感性の暴走”ってことは、逆に“感性を制御”できる状況を作れば、伝導範囲も制限できるんじゃ……?)

 そのとき、後ろから龍平が歩いてきた。

 静かで、落ち着いた目つき。いつも通り、ゆっくりとした口調。

「……“遮断”は無理でも、“整理”はできるかもしれない。真由子さんが、“伝えたいこと”だけを自分で選んで、意識にのせてから“心で思えば”……他のノイズは減らせる」

「それ……感情のフィルタリング……ってことか?」

 龍平はうなずく。

「僕が近くで“伴奏者”になる。“感性”は独奏より、アンサンブルの方が“調和しやすい”。」

「……なんか詩的だけど……妙に納得できる……!」

 そして始まったのは、前代未聞の作戦。

“真由子の感性”に、龍平の“安定した精神波”を添えて、外への出力を“整理”するという行動だった。

 結果――

『今日はちょっと疲れたけど、翔太郎くんの声が安心する。』

『龍平さんの落ち着き、すごく頼もしいなって思った。』

『みんなが、怒ってなくてよかった……ほんとに、ありがとう……』

 その“声”が教室中に広がったとき――

 誰もが、ふと目を伏せた。

 誰も、笑わなかった。

 そして――小さく、拍手が起こった。




 拍手の音は決して大きくはなかったが、そこにあったのは“嘲笑”ではなかった。

 感情が、言葉より先に“伝わってしまう”世界――

 そのなかで、真由子の“正直な想い”に、誰もが“返答”を試みた瞬間だった。

「……なんか、いい声だったな」

「うん。なんか、ちょっと泣きそうになった」

「“伝わっちゃう”って怖かったけど……“本当の気持ち”って、やっぱり温かいもんなんだな……」

 翔太郎は、拍手の輪から一歩外れた場所で、深く息を吐いた。

「……まったく、こっちは生きた心地しなかったけどな……」

 背中に汗をかきながら、ふと横を見ると、璃桜が校舎裏から歩いてくるのが見えた。

 彼女は手に“共鳴遮断フィールド”の起動デバイスを持っていた。

「翔太郎、フィールド起動準備完了。あとは真由子の承諾次第で展開する」

「……もう少しだけ、待ってやってくれ」

 璃桜は、少しだけ目を細めたあと、静かに頷いた。

 そのころ、教室では龍平が静かに真由子に語りかけていた。

「伝わることって、こわいけど……同時に、うれしいことなんだよ。人は、言葉の裏に隠れた気持ちを探すけど……君の言葉は、それが全部“表”にあるだけなんだ」

「……でも、それで……誰かを困らせたり、びっくりさせたり……」

「うん。それもある。けど、君の心は、誰よりも“まっすぐだった”。それだけは、僕も翔太郎も……きっと、みんなも感じたと思う」

 真由子は、両手で顔を覆いながら、小さく頷いた。

 そして、ゆっくりと立ち上がると、璃桜の方へ歩み寄った。

「……お願いします。もう、普通に戻りたいです」

「了解。“遮断フィールド”、展開するわ」

 璃桜が手元のデバイスを起動すると、真由子を中心にやわらかな“音のない光の輪”がゆっくりと広がった。

 その波紋が周囲に届いた瞬間――

“心の声”は、完全に消えた。

 聞こえない。

 感じない。

 静けさが戻った。

「……あ、戻った……」

「すごい。今、頭の中がすっきりしてる」

「でもなんか……ちょっとだけ、さみしいかもな」

 真由子が、そっと口を開いた。

「えっと……えへへ、これで、もう頭の中がバレることも……ない、です」

 誰もが、今度は“言葉で”笑った。

 翔太郎が肩をすくめて近づいた。

「よう、心の声はもう聞こえないけど……お前が今ちょっとホッとしてるのは、顔に出てるからわかるぞ」

「……あ、そっか。やっぱり……伝わっちゃうんだ」

「言葉じゃなくてもな。顔とか、空気とか、目とかで十分だ」

「……じゃあ、今度は、ちゃんと“声に出す”ように、頑張ります」

「うん。そっちはちゃんと聞いてやるからさ」

 その言葉に、真由子は少し涙を浮かべて、でもはっきり笑った。

 その日から、真由子の“心の声”は外に漏れることはなくなった。

 だがそれでも、彼女が誰かに伝えたい気持ちは、ちゃんと“届いている”ようだった。

 一週間後。

 放課後の教室。

 翔太郎の背中に、ふと声が届いた。

「……翔太郎くん、今日も“寝癖、片方だけ残ってる”よ」

「今、心の声じゃなくて実際に言ったよな!?すげえ恥ずかしいんだけど!?」

「ふふっ……ちゃんと、声に出せたから」

 翔太郎はため息をつきながら、それでも口元は少しだけほころんでいた。

(第10話 完)


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