――チュンチュンチュン……。
やけに小鳥のさえずりがうるさい朝だった。
翔太郎は、目覚ましよりも早く、目を覚ました。
「……んだよ、まだ五時半じゃん……」
それなのに、目覚めは妙にスッキリしている。
いや、それよりも――部屋の空気が、明らかにおかしい。
視界の端に、ピコッと文字が浮かんだ。
《璃桜との関係が変化しました!》
「は?」
もう一度瞬きをすると、今度は視界の中心に、異様なウィンドウが出現した。
《今日の目的:
璃桜との信頼度を上げよう!》
「なんだこれ……変な夢でも……」
そこに、ピンポーン、とチャイムが鳴る。
玄関に出ると、いつもの制服姿の璃桜がいた。
「……おはよう、翔太郎」
その声に反応するかのように、翔太郎の目の前に“選択肢”が出た。
《A:無難に挨拶する》
《B:やたら爽やかに返す》
《C:なぜ来たのか聞く》
「……選べってか……?」
翔太郎が恐る恐るAを“意識の中で”選ぶと、口が勝手に動いた。
「おはよう、璃桜」
「……うん、おはよう」
(……あれ?オレ今、完全に“選ばされた”?)
そのとき、璃桜の目がピクリと揺れた。
「……あれ? 翔太郎、今“選択肢”見えた?」
「うん。……お前もか?」
「……まさか、同時に?」
視線を合わせた瞬間、今度は璃桜の頭上に文字が浮かぶ。
《璃桜は「選択肢の呪い」にかかっている!すべての行動が選択式になります!》
翔太郎はその文字を見て、静かに扉を閉めた。
「今日はもう登校しない……」
「待って翔太郎!!このままじゃ私、“ツンデレor天然orヤンデレ”の選択肢しかないの!早く解除しないとキャラが固定されるって!!」
「なんでそんなフラグ管理システムがあるんだよおおおお!!」
こうして始まった――
璃桜、恋愛シミュレーター化による地獄の一日。
現実世界が、まさかの“ゲーム形式”に塗り替えられていく。
翔太郎と璃桜は、いつもの通学路を歩いていた。
……ただし、その“いつも通り”は、すでに完全に崩れていた。
「ねえ翔太郎、今から私、三つの行動からしか選べないみたい」
「……言ってみ?」
璃桜が立ち止まり、顔をしかめる。彼女の前に、見えないウィンドウが浮かんでいるらしい。
「《A:歩きながら髪を耳にかける》
《B:足元の小石を蹴って黙り込む》
《C:『ねえ、私って翔太郎にどう見えてる?』って聞く》……」
「Cだけ圧倒的に地雷じゃねぇか!!」
「わかってる!でもこれ、“何かしないと先に進めない”やつなの!」
「えっ、それって選ばなきゃ“フリーズ”すんのかよ!?」
璃桜は困り顔で、しぶしぶAを選ぶ。
髪をさりげなく耳にかけ、少しだけ頬を赤らめる。
……その瞬間。
ポコンッ。
《璃桜の“好感度ポイント”が+3されました!》
翔太郎の前にもウィンドウが出た。
「出た……“好感度”。恋愛ゲームのお約束……」
「このままだと、私の全部の言動が“イベント化”されちゃう……!」
「それってつまり、お前、誰にでも“フラグ立つ”状態ってことだよな……?」
「そう。しかも、他の誰かが“攻略対象扱い”で会話しかけてくると、その選択肢にも応じなきゃいけなくなる……」
「つまり、もし男子に“ヒロイン化”されて口説かれたら……」
「……それでも、選択肢が出るの」
翔太郎は真剣に言った。
「解除しよう。今すぐ。なんとしてでも」
そのとき、通りの先から、真吾が歩いてくるのが見えた。
真吾は礼儀正しく頭を下げて言う。
「おはようございます、璃桜さん」
その瞬間、璃桜が目を見開く。
「出た……選択肢来た……!!」
「えええ、もう来るの!?早すぎない!?」
「《A:静かに会釈》
《B:微笑んで挨拶》
《C:“髪、変えた?”って言う》……!!」
「C選んだら絶対誤解されるやつーーー!!!」
璃桜は脳内で葛藤の末、無難にAを選ぶ。
静かに会釈――と、同時に。
《真吾の友好度が+1されました》
「もう数値出さないで!友達に“数値”とかやめて!」
だが最も問題だったのは――翔太郎にまで“選択肢ウィンドウ”が出始めたことだった。
放課後、部室。
観測者チーム(仮)が集まり、状況の把握と“このアニマの性質”を確認する会議が始まった。
「……つまり、璃桜の行動が“強制イベント”扱いになっていて、誰とでも“恋愛進行可能”になる状態ってことだな」
「正確には“あらゆる会話が分岐イベント化している”状態ね。選択肢が出るたびに、“親密度”や“分岐ポイント”が更新される」
「つまり俺が間違って“変な返し”をすると、“バッドエンド”に直行する可能性もあるってことか……」
「うん。そして、“エンディング条件”に到達すると、おそらく“強制キス”か“別れイベント”が起きる」
「なんでそんなに詳しいんだよ璃桜!!!」
「……昔、バグった恋愛ゲームを観察対象にしてて」
「観察対象にすんなよそういうのを!!!」
そのとき、翔太郎の目の前に、文字が浮かぶ。
《璃桜がこちらを見ている。どうする?》
《A:目をそらす》
《B:見つめ返す》
《C:話題を変える》
「もういやだああああああ!!!」
翔太郎の苦悩は、まだ始まったばかりだった。
放課後の帰り道、空はオレンジ色に染まっていた。
璃桜の横を歩く翔太郎は、内心ずっと緊張していた。
なにせ一歩歩くたびに、
《璃桜が立ち止まった。どうする?》
《A:立ち止まる》
《B:先を行く》
《C:“疲れた?”と声をかける》
こんな選択肢が、視界の端にチカチカ出続けるのだ。
しかも選ぶと、即座に璃桜の反応が“攻略対象的”に変化する。
さっきBを選んで先に行ったら、璃桜の背後に
《“すれ違いルート”に突入しました》とか出た。
「そんなの見せんなやあああああ!!」
叫んでも誰も助けてくれない。
「あのさ、璃桜。お前、体調とか大丈夫?」
「……うん、大丈夫。“選択肢疲れ”はあるけど……でも、冷静ではいるつもり」
「でも明らかにお前のキャラがブレてるぞ。今日の昼、“サンドイッチ食べるだけ”で《A:可愛く食べる》《B:食べながら見つめる》《C:ソースを口に付ける》って選ばされてたろ」
「うん……あれ全部“失敗フラグ”だった」
「そりゃそうだろ!!実際“ソースべったり”の口で笑われてたぞ!?」
「……翔太郎は笑ってなかった」
「俺は真顔で“早く拭け”って言ったよな!?」
「……でも、ちょっと優しかった」
言われて、翔太郎は鼻の頭をかいた。
その直後。
ポコン。
《璃桜の信頼度が+2されました!》
「まただよおおおおお!!やめてくれええええ!!」
そんな騒ぎをよそに、璃桜がふと足を止めた。
「翔太郎。これから先、もっと選択肢が増えていく気がする」
「え……?」
「さっきから、選択肢の数が“4”に増えたり、“どれも正解じゃない”みたいな選択肢が出始めてる。“誰かを選ばなければ進めない”って……」
「それ、つまり“ルート固定”の分岐点が来てるってことか……?」
璃桜は、ためらいがちに頷いた。
「つまり私、あと一回でも間違った選択肢を選んだら……“翔太郎ルートから外れる”可能性がある」
「待て。何その地雷のような宣言……俺の胃が死ぬんだけど……」
「逆に言えば、“ちゃんと翔太郎のことを考えて”選ばなきゃいけないってこと」
「いやだから、それ“恋愛ゲームのヒロインのセリフ”だって……お前本来“慎重派”じゃなかったか?」
「だからこそ慎重に選びたいの。でも、この状態が“私の意思”じゃないのも事実なのよ」
璃桜の手が震えていた。
その様子に、翔太郎はようやく気づいた。
彼女は、いつものように冷静なふりをしているけれど――
“自分で選べないこと”が、どれほど怖いかを理解している。
自分が自分でなくなる。感情が、ルートに書かれる。すべてが“選択肢”という外部の命令に変わる。
「璃桜」
翔太郎は、まっすぐに言った。
「もし、お前がその“選択肢地獄”から抜けたいなら――その方法、探し出す。俺が」
璃桜の目が、ふわりと潤む。
「……ありがとう。“それ”は、ちゃんと伝わった」
その瞬間、翔太郎の前にメッセージが出た。
《信頼度最大値に到達しました!》
《特別イベント“選択肢解除フラグ”を取得!》
「おおおおおおおおおお!?やった!?俺やったのか!?フラグ解除か!?これ!?」
ポコン。
《ただし“イベント”は明日の“屋上”で自動発生します》
「イベント予約すんなああああああああああ!!!!」
璃桜が、小さく笑った。
昼休み、屋上。
抜けるような青空の下、人工芝の屋上スペースは静まり返っていた。風が、璃桜の長い髪を揺らしている。
翔太郎は、一歩ずつその背中に近づいていく。
その瞬間、またしても視界にメッセージが現れる。
《特別イベント“選択肢解除”開始》
《このイベントには選択肢はありません》
「……は? なにこれ……」
今までさんざん“選ばせて”おいて、今度は“選べない”。
強制進行。
すでに全ルートの分岐は終え、残ったのは“結末”だけということなのか。
翔太郎が立ち止まった瞬間、璃桜がゆっくりと振り返る。
「……翔太郎。今、何も見えない?」
「いや。今もなんか、変なウィンドウ出てる」
「こっちはもう出てこなくなった。つまり私、“選ばれ待ちヒロイン”じゃなくなったのかも」
翔太郎がため息をつく。
「……なあ、聞きたいんだけどさ」
「なに?」
「お前さ、今までは全部“選択肢”に従って動いてたんだよな?」
「そうだね。どれを選んでも“何かの反応”が返ってきた」
「じゃあさ――今、“選べ”って言われたら……どうする?」
璃桜は目を伏せる。そして、ほとんど聞き取れないような声で呟いた。
「選びたい。“自分で”。私が選びたいの」
「そっか」
翔太郎はポケットに手を突っ込んで、少しだけ体を逸らす。
「じゃあ、こっちも言わせてもらうけどな――」
「お前が自分で選びたいって言うなら、俺は――“選ばれるかどうか”なんてどうでもいいから、“一緒にルート書き直してこうぜ”って思ってる」
璃桜の目が、すっと翔太郎を見つめた。
その瞳の奥に、確かな意志が宿っていた。
「……そうだね。それがいい。“正解を選ぶ”より、“自分で正解にしていく”方が、ずっといい」
その瞬間、屋上の空気がゆっくりと変化した。
まるで何かがほどけていくように――璃桜の身体を包んでいた“選択肢の枠”が、霧のように消えていく。
《イベント完了》
《“選択肢の呪い”は解除されました》
《あなたは、一本道から解放されました》
翔太郎と璃桜は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
もう選択肢はない。
だが、不思議と不安はなかった。
「……なあ璃桜」
「なに?」
「今日の帰り、なんか食って帰ろうぜ」
「そうだね。私、選ぶよ。今日は“C:たこ焼き”にする」
「選択肢出てんじゃねぇか!」
「冗談だよ。……たぶん」
二人の笑い声が、風に乗って屋上から落ちていく。
そのとき、翔太郎の頭の中にだけ、ふわりと表示が浮かんだ。
《璃桜との関係:ルート未確定/自由分岐中》
(――それで、いい)
翔太郎は、頷いた。
(第12話 完)