昼下がりの商店街。
「……ああ、これは嵐の前の静けさってやつか」
悠真が、やや低めの声で呟いた。
その瞬間、近くの郵便ポストが盛大に“ボン”と煙を上げて吹き飛んだ。
翔太郎は口にしていたメロンパンを吹き出しかけた。
「ちょっと待て!?今のただのカッコつけじゃなかったのか!?なんでポスト爆発した!?」
悠真はポストの残骸を見下ろしながら、少しだけ眉を動かす。
「……俺の言葉が、現実に干渉してる……ってことか」
「さらっと言ってるけどお前、“口癖が爆弾”になってるんだぞ!?異常事態にも程があるわ!!」
ふと周囲を見渡すと、通行人たちが慌てて物陰に隠れていた。
すでに複数の“名言爆破事件”が市内で発生しており、被害報告は30件を超えているらしい。
璃桜が、手にした観測ノートにメモを取りながら歩いてくる。
「アニマのタイプは“象徴拡張型”。喋った内容の“比喩”や“象徴的意味”が、現実に作用する形で“物理現象化”してるわ」
「じゃあ、“心が燃えている”って言ったら?」
「たぶん本人が発火する」
「“心が冷えた”って言ったら?」
「冷蔵庫に閉じ込められる可能性」
「“今、世界を動かすのは俺だ”って言ったら!?」
「……市役所あたりが浮き始めるかもね」
「ダメだ!!こいつにマイク持たせんなああああ!!!」
だが肝心の悠真は、事態の深刻さを理解しつつも、どこか淡々としていた。
「……でも、こういうのって“言葉の重み”を試されてる気がするよな」
「違う!お前が思ってるより10倍は爆発してるからな!!」
「……翔太郎、俺が今“未来は俺の掌の中だ”って言ったらどうなると思う?」
「やめろォォォォォォォ!!!」
次の瞬間――ドローンが大量に空から降下してきた。
何故か全機体に「未来配達中」と書かれていた。
「お前の名言が流通してんじゃねーか!!!」
悠真は微かに唇の端を上げた。
「……おもしろい」
「やかましいわ!!!!!!」
街は、いま――“詩的爆撃”に晒されていた。
商店街の通りを抜けた先、バス停の前。
翔太郎は両手を合わせて祈っていた。
「悠真、頼むから……もう、何も喋るな……!」
「……言葉ってのは、呼吸みたいなもんだろ?」
「ちげぇよ!!!お前の呼吸は“爆風”なんだよ!!!」
その直後、悠真が小さく呟いた。
「じゃあ……“沈黙は金”ってことで……」
ポン。
目の前の銀行が、一瞬で金色に輝いた。
「バカ野郎ォォォォ!!!!その“金”じゃねぇぇぇぇぇぇ!!!」
ガラガラと崩れかけた銀行のシャッターから、係員らしき人が飛び出してくる。
「誰だ!?誰が“金”って言った!?インゴット出現で床が抜けたぞ!!」
「逃げよう!今すぐ逃げよう悠真!!下手すると“金融爆弾”で指名手配されるぞ!!」
その様子を、路地裏から静かに見つめていた人物がいた。
龍平だった。
ゆっくりと歩み寄ってきた彼は、珍しく語気を強めて言う。
「……悠真。君は今、“言葉の重み”を遊び半分で使ってる。それは“誰かの気持ち”すら、簡単に踏み越えるってことだ」
悠真は、微かに目を細める。
「……違うよ、龍平。俺は“遊び”で言ってるんじゃない。“かっこいい自分”に、ようやく近づけた気がしてるんだ」
その目は真剣だった。
だが翔太郎はすかさず割って入る。
「ちょっと待て。それってつまり、“言葉で現実を動かせるようになった今こそ、俺はカッコいい”って?」
「……うん。俺、今なら“どんな言葉も結果を持つ”。そう思える」
「バカかお前ぇぇぇぇぇ!!!」
翔太郎は思いきり頭を叩いた。
「言葉ってのは“思ってても届かない時”があるからこそ意味あるんだろ!!言えばいいってもんじゃねぇんだよ!!!」
悠真がふっと眉をひそめる。
「……でもさ、“言わなきゃ、何も始まらない”だろ?」
その瞬間、また現象が起こった。
街の電光掲示板に、大きく表示された。
《何も始まらない、を終わらせろ。》
そこから発光した文字列が、風のように街へと広がっていく。
信号が詩的に光り、壁に落書きが“名言風”に変化し始める。
『今日を変えるのは、明日じゃない。君だ。』
『心が曇っているなら、空を吸え。』
『靴が泥だらけでも、立ち止まらなきゃ道は続く。』
街が、悠真の“自己演出ワード”で塗り替えられていく。
「なんなんだよこれええええええ!!!ポエム都市になってんぞぉぉぉ!!!」
璃桜が走ってくる。
「アニマが“言葉の形式”を信号にして、都市空間全体をポエティック構造に書き換えてる……!このままだと、現実が“詩の中のルール”で動くようになる……!」
「それってつまり、“論理や物理が通用しなくなる”ってことか!?それ“中二病の最終形態”じゃねぇかよ!!!」
「止めるには……悠真本人が、“言葉を失う覚悟”を持たないといけない」
「……つまり、かっこつけをやめる、ってことだな」
「それが一番ハードル高い!!」
だが――街の空に、ひとつの詩が浮かんだ。
《もしも、俺が黙ったら。きっと世界は、俺の言葉を、探す。》
悠真の“最後の名言”だった。
“詩”が空を覆っていた。
街の建物にはスクロールのようにテキストが流れ、横断歩道の白線が「進め、止まるな」と読み上げられるように点滅を繰り返している。
歩道の脇に設置されたベンチには、
『座ることは、ひとつの逃避ではなく、立ち向かうための呼吸だ』
などと意味深な一文が刻まれていた。
「もう無理だ!街がポエムと化してる!!」
翔太郎が頭を抱えていると、悠真がゆっくりと歩き出した。
「……気持ちよかったんだ」
「は?」
「誰かが、俺の言葉を覚えてくれる。響く。“お前の言葉、いいね”って……それが、“自分に力がある”って、錯覚させてくれた」
璃桜が静かに言った。
「……でも、その“錯覚”が世界を変えるようになったら、それはもう“責任”になる」
「そうだな……」
悠真の顔に浮かぶのは、笑みでも自信でもなかった。
「俺は、自分の言葉で、人の感情を動かしたかっただけなんだ。でもそれが、“現実”を動かし始めたら……それは“思い”じゃなくて、もう“呪い”かもしれない」
翔太郎は、前に出た。
「お前の言葉で、誰かが笑ったことはある。俺も、“ちょっとカッコいいな”って思ったこと、正直ある。でもな」
「うん」
「それは、“爆発しなかったとき”だけだ。言葉は誰かの心に届くもんであって、街の構造物を吹き飛ばすもんじゃねえ!」
悠真は、静かに笑った。
「……なら、ここで俺が、言葉をやめるって言えば……“止まる”と思うか?」
「そのセリフが一番フラグくさいんだよ!!」
「いや、でもマジで。これから先、俺が一言でも“名言っぽいこと”を言いそうになったら、全力で止めてくれ」
「よし、じゃあ“バケツかぶって水ぶっかける”のが制裁な」
「物理的対処かよ」
そのとき、街の空に、最後の一文が浮かんだ。
《言葉を手放すとき、本当の声が残る》
そして、空がふわりと晴れた。
歩道の詩が消え、建物の言葉が静かに霧散していく。
どこかで鐘が鳴ったような感覚のあと、街が“ふつうの景色”に戻っていた。
璃桜がデバイスに記録しながら言う。
「アニマが“象徴の力”を放棄した……つまり、“悠真の意志”が言葉から離れたから、存在そのものが消えたのね」
翔太郎は、ホッとしながら背伸びをした。
「……まったく。これでしばらく、カッコつけ禁止だな」
「“俺が喋るだけで風が吹く”とか、“沈黙の中に世界がある”とか、そういうのも全部NG」
「封印された中二病ワード……」
悠真が苦笑しながら言った。
「……でもさ、たまには言ってもいい?」
「やめろォォォォ!!」
「冗談。今の俺には……“黙る勇気”もある」
翔太郎がバケツを持ち上げかけて、悠真が慌てて手を上げる。
「待て待て!ほんとに今のはセーフだって!」
「お前の基準が一番危険なんだよ!!!」
そして夕方。
空は穏やかに色づき、風の音だけが通り抜けていた。
そのなかで、悠真がぼそっと呟く。
「でも……“言葉で変わる世界”って、ちょっとだけ夢あるよな」
翔太郎は無言でバケツを持ち直した。
(第13話 完)