目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

【第14話】聖子、勝負事を全スルーする

 朝の通学路。薄曇りの空の下、翔太郎はいつものコンビニに寄ろうとした。

 だが店の前に異様な光景が広がっていた。

「じゃあ、先に店入った方が勝ちな?」

「望むところよ……ってうわっ!」

 制服姿の高校生たちが、レジ前で全力ダッシュのスタートを切った。

 コンビニのドアが「ピンポーン」と鳴るたびに、そこには勝利か敗北のセリフが響く。

「俺の勝ち!パンゲット!」

「くっ……ジャムパンが奪われた……っ!」

「え、なにこの“コンビニバトル”!?」

 翔太郎が目を疑っていると、すれ違った小学生たちが叫んだ。

「先に信号渡った方がチャンピオンね!」

「なんでも“勝負”にするなってば!!」

 さらに駅前ロータリーでは、スーツ姿のサラリーマン同士が

「どちらが先に改札を抜けるか、勝負だ」

「我が社の誇りにかけて!」

 などと言いながら、全力疾走で改札を挟んで競り合っている。

「うわぁ……今日の街、なんか張りつめてる……」

 璃桜が隣でメモを取っていた。

「確認済み。“勝負強制型アニマ”の影響ね。接触した人間はすべて、日常の行為に“勝敗”を見出すようになる」

「じゃあ、今日一日中、何してても“バトル判定”が発生するってことかよ!?」

「うん。昼休みの“給食を食べる速度”ですら勝敗が出る。すでに校内で三回“味噌汁早飲み競争”が起きてるわ」

「胃腸が荒れるわ!!」

 そのとき、ひときわ静かな足取りで歩いてきたのが――聖子だった。

 ふわりとしたスカートに文庫本を抱え、真顔で駅前の自販機に立つ。

「……今日は、ミルクティーにしようかな」

 だがその背後に、突然現れる影。

「俺と“どっちが先に買えるか勝負”だ!!」

 学生服の男が叫ぶ。

 だが――聖子は一歩も動かない。

「……どうぞ」

「……え? いや、あの……」

「私は買いません。今、喉が乾いてないので」

「勝負にならねええええええ!!」

「そうですね。なってませんね」

 その静かな“スルー”は、全自販機の勝負強制判定を無効化した。

「……おい、今の見たか?」

 翔太郎が呆然とする。

「見た……というか、聖子さんだけ“勝負空間”に入ってなかった……?」

「というか、あの人、そもそも“勝敗”に意味を見出してないから、“判定が起こらない”……?」

 聖子は、街が勝負に燃えていることにすら気づいていない様子で、再び文庫本を開いた。

「……物語の結末って、勝ち負けじゃないから。最後までどう読むか、が大事なのよね」

「その台詞が一番“勝負を終わらせてる”……!」

 こうして街の勝負バトルは、静かなる“無敵のスルー女”聖子を中心に、新たなステージへ向かう――。




 昼休みの校庭。

 そこはすでに、日常とはかけ離れた“バトルフィールド”と化していた。

「いいか!お前ら、焼きそばパン争奪戦・最終ラウンドだ!」

「フォークvs箸の最終決戦も同時開催だぞ!」

「それより“どっちが一口でプリンをきれいに食べられるか選手権”の準決勝が……!!」

 もはや給食ではなかった。これは戦場だ。

「やめろォォォォォォ!!俺の“昼休み”を返せえええええ!!」

 翔太郎の叫びが、虚しくグラウンドに響いた。

 校内の至るところで“勝負判定”が発動していた。

 廊下のすれ違いざまには「どっちが先に角を曲がるか勝負」。

 トイレでは「手を洗う速度勝負」。

 音楽室では「どっちが高音を先に出せるか」。

 理科室では「試験管にどっちが先に水を満たすかバトル」。

「なんで全部に“VS”がついてんだよ!!意味わかんねぇよ!!」

 璃桜は観測デバイスを手に、眉間にしわを寄せた。

「これは深刻ね……アニマの影響で“優劣判断領域”が拡大してる。“存在するだけで”勝ち負けを意識する思考回路になってる」

「つまり“勝たなきゃ存在価値がない”みたいな空気が街中に充満してるわけかよ!?おそろしいぞそれ!」

「……人間の本能的な“競争欲”が、アニマに共鳴して暴走してるのね」

 そんな中、唯一――まったく影響を受けていない者がいた。

 聖子。

「聖子さーん!こっちで“カルタバトル”が始まりそうなんですけど!参加しますかー!?」

「……結構です」

「では“見学勝負”はいかがですか!?先に“うなずいた方の勝ち”ってルールなんですけど!」

「無視します」

「“呼びかけ無視力選手権”が発生してるぞ!?なんだその競技は!?」

 聖子は、理科準備室の静かな片隅で一人、読書を続けていた。

 白線も、ジャッジも、ルールも、彼女には通じない。

「勝つ意味って、他人の尺度に依存するのよね。私、他人の基準で動いてないから」

「そりゃアニマの反応もしねえわ!!」

 実際、聖子の半径5メートル以内だけは“判定不能空間”になっていた。

 翔太郎は、必死にその“スルー空間”へ避難する。

「はぁ……ここだけ、ほんとに静か……」

「私、あんまり騒がしいのは好きじゃないから」

「……それ、すごいパッシブスキルだな」

 そのとき、グラウンドの放送が鳴り響く。

『緊急速報!校内決戦“勝ち点王決定戦”を開催します!ルールは簡単!このあと10分間で“もっとも多くの勝利”を得た者が、優勝者に認定されます!勝利条件はなんでもあり!!』

「なんでもあり!?つまり“ジャンケン20連勝”とかでもアリってことかよ!?」

「誰か“息を吸う速さ”とかで挑んでそう……」

 翔太郎は遠い目をした。

 そして、グラウンド中央でひときわ目立つ声が響いた。

「俺と勝負だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 そこにいたのは――翔平だった。

「翔平おおおおおおおおお!?お前そっち側かよおおおお!!」

「いや違うんだ翔太郎!!俺はただ!困ってそうな奴らの代わりに“勝負を代行してあげてる”だけなんだ!!」

「それ一番めんどくさいやつぅぅぅぅ!!!」

 対戦相手たちが次々に翔平に挑み、翔平はすべてに応じる。

「給食皿の早片付け勝負だな!了解!!」

「足の指を曲げる速さ勝負!?のぞむところ!!」

「国語辞典で“さしすせそ”を先に開く勝負!?全力で受けて立つ!!!」

「やめてくれえええええええ!!!」

 翔太郎は頭を抱えるしかなかった。

 そのとき、聖子がふと口を開いた。

「……翔太郎くん、逃げてもいいのよ。勝負って、“拒否する自由”があるから」

「でも、もしも全員が“勝ち負け”しか見えなくなったら、“拒否する”こともできなくなるんじゃないか?」

「なら、私が“拒否し続ける側”でいればいい」

 その言葉に、翔太郎は少しだけ肩の力を抜いた。

「……あんたって、すげえな」

「そう?」

「うん。“勝たない”ことを、“負け”って思ってないんだもんな」

「ええ。“勝ち”も“負け”も、物語の途中にあるだけよ」

 翔太郎は、勝負のざわめきが響く校舎の奥で、聖子の静けさが確かに“答え”である気がしていた。




 勝敗に染まった街は、もはや狂気と紙一重だった。

 信号は「赤で止まる」ことすら競技化され、止まった人数に応じて“勝利エフェクト”が流れる。

 駅のアナウンスも

「次に電車へ乗る方は“乗車タイミング勝負”をお楽しみください」

 などと言い出す始末。

 授業中の教室では、“板書写し選手権”が展開され、生徒たちの眼鏡が曇り始めていた。

 廊下では、“黒板消しを真っ直ぐ戻せるかバトル”に夢中になる教師たち。

「だめだ……!全員“勝ち負けの亡者”になってる!!」

 翔太郎は机の下に避難しながら呟く。

「このままじゃ、“笑った回数ランキング”とかで友情壊れるぞ……」

 璃桜が観測デバイスを握りしめたまま言う。

「勝敗のルールを可視化するアニマ……“勝つ意味”が肥大化して、言葉や感情にすら順位がつき始めてる」

「それ、ヤバいぞ!“ありがとうの質”とか、“好きの重さ”に順位がつく世界になるじゃねぇか!」

「ええ。つまり“気持ちすら勝敗で管理される”という未来ね。最悪よ」

 そんな中。

 たった一人、校舎の屋上で静かに風に吹かれていたのが――聖子だった。

 彼女の足元だけ、まるで“判定不能”のエリアで、空間がバグったように静かだった。

 翔太郎と璃桜、そして遅れて現れた真吾もその場に辿り着く。

「……よかった、ここだけは“静か”だ……」

「ここだけ、“勝負空間”が展開されてない……?」

 聖子は本を閉じて、ぽつりと呟く。

「“勝ち”に興味がない人の周囲では、勝負は成立しない。それだけの話よ」

「でも、それだけのことが今の街じゃ“奇跡”なんだよな……」

 翔太郎が空を仰いだ。

 空には、巨大なホログラムで“勝敗ランキング”が表示されていた。

“翔平:現在235勝”

“担任の先生:49勝(ただし“早弁”関連のみ)”

“保健室の猫:6勝(午睡対決)”

 翔太郎は自分の名前を探してみたが、どこにもなかった。

「俺、“1勝”もしてない……」

 そのとき、聖子がふと口にする。

「翔太郎くん。じゃあ、“負けた”ことはある?」

「……いや。勝負に“参加してない”から、負けたこともないな」

「それなら、あなたは“無敗”ってことね」

「いや、それ言い方の問題だから!!」

 聖子は微笑んで首を振った。

「大事なのは、誰かに勝つことじゃない。“何に負けてないか”よ」

 翔太郎は、それを聞いて初めて気づいた。

 街の皆が“他人に勝つ”ことばかり見ていて、誰一人“自分に負けない”ことを考えていなかったことに。

 璃桜がデバイスに手を伸ばし、静かに設定を変更する。

「“勝ち負け判定フィールド”、解除コードを送信するわ。聖子の“勝負回避波長”を基準にして」

「そんなもんあるのかよ!?」

「今作った」

 コードが送信された瞬間、街の空に流れるホログラムがふわりと色褪せていった。

 勝敗が消え、得点が霞み、ランキングが霧のように解けていく。

“勝ち”の意義が消えたわけじゃない。

 ただ、“勝つためだけに生きる必要がない”という感覚が、静かに広がっただけだった。

「勝ち負けって、もっと“遊び”でよくないか?」

 そんな翔太郎の言葉に、聖子はやんわりと頷いた。

「それはそれで、“勝ちにこだわる人”には負けてるかもね。でも私は、それでいい」

“勝たない強さ”。

“負けない在り方”。

 聖子はそれを、ただ静かに、生き方で示していた。

(第14話 完)


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?