目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

【第15話】杏菜の“褒め合いバトル”が止まらない

 放課後の校舎――。

 空はオレンジに染まり、部活帰りの生徒たちがちらほらと歩く中、異常は静かに始まっていた。

「……なあ、なんか今日、褒められすぎてない?」

 翔太郎が自販機の前でぼそっと呟いた。

「さっき購買でパン買っただけなのに“選び方がセンスいい”って言われたし、ロッカーに靴突っ込んだら“靴入れの角度が天才的”って……」

「そのレベルの褒めって、もう“才能発見ゲーム”だよな……」

 隣でうなずくのは真吾。彼の腕には、すでに“文字だらけの賞状”が三枚貼られていた。

《マナー部門MVP》

《あいさつ時の声質が快いで賞》

《優しい笑顔部門:銀賞》

「一日でこんなに褒められたの、生まれて初めてなんだけど……」

 そこへ、笑顔で走ってくる一人の女子生徒――杏菜。

 彼女が近づいてくるたびに、空気がふわりと明るくなる。

「翔太郎くん、今日もシャツの第一ボタンが“絶妙に締まってて落ち着く”感じだね!」

「褒め方がピンポイントすぎる!!」

「真吾くんは、その“飲み込みのうなずき方”が“安心感を与える水面の波紋”みたいで素敵!」

「なんだそれ!?情景詩か!?俺たちいま文学化されてる!?」

 翔太郎と真吾が同時に叫ぶ。

 だが杏菜は止まらない。

 校内を歩く生徒一人一人に、超精密かつやたらポジティブな褒め言葉を浴びせ続けていた。

「目が合った瞬間の“まつ毛の角度”が最高だった!」「その持ち方、心理的安定感ある!」「その溜め息、人生への繊細な応答ですね!」

 翔太郎は璃桜にすがる。

「これ、やばいやつだろ!?杏菜、絶対アニマに感染してるって!!」

 璃桜は頷きつつ、観測ノートをめくる。

「確認済み。“信頼構築型アニマ”。褒めることで信頼度を上げ、相互承認によってエネルギーを得るタイプ。過剰なポジティブが伝染して、最終的に……」

「最終的に?」

「世界が“信頼”で爆発するわ」

「何そのバカみたいな終末!!逆にこええよ!!」

 翔太郎の叫び声を背に、杏菜が校舎の角を曲がって再びこちらへ。

「さっきの叫び、めっちゃいい声量!怒りの中に“責任感”がにじんでて素敵だったよ翔太郎くん!」

「くるなああああああ!!もう褒めないで!!俺のメンタルがもたねぇ!!」

 翔太郎は逃げ出した。

 だがその背後には、もうひとつの恐怖が迫っていた。

“褒め返し”。

「いや、でも……杏菜も、すごいよな……」

 真吾がぽつりとつぶやく。

「この空気の中でも“みんなを笑顔にできる”って、やっぱり杏菜じゃなきゃ無理だよ」

 ピコン。

《信頼度上昇:杏菜→真吾 +10》

「うわああああ!!褒めたら“自動で褒め返しシステム”が起動したああああああ!!」

「真吾くんの“素直な褒め方”、それこそが“人間関係の潤滑油”だね!!すごく……いい!!」

 翔太郎が遠くで叫んだ。

「やめろおおお!!褒め合いが止まらない!!このままだと街が“褒めの連鎖”で崩壊するぞおおお!!」

 こうして、世界は褒めに包まれていく。




 校舎の廊下――。

「昨日よりも落ち着いた歩き方だね!地に足がついてるって、まさにこのこと!」

「窓を拭く手の角度が美しいです!あなたこそ“清掃の魔術師”!」

「机に置いた筆箱の“自然な傾き”に、人生の流れを見たよ!!」

 校内全域に“過剰な褒め”が響き渡る。

 誰もが笑顔――だがその笑顔は、どこか引きつっていた。

「褒められるのって、こんなに疲れるもんだっけ……?」

「オレ、今日だけで“存在してくれてありがとう”を12回言われた……」

「“目の奥が優しい”って、具体的にどういう意味なの……?」

 教室内は、まるで“誰も傷つけないために全力で言葉を研磨した空間”のようだった。

「……地獄だ、ここ……。全員が“褒め返しの義務”に縛られてる……」

 翔太郎は黒板に額をぶつけながら呻いた。

「褒められたら、褒め返さないと“冷たい”って思われるし……でも、無理に褒めようとすると、今度は“嘘っぽい”ってなるし……!」

「翔太郎くん、その悩み方が“誠実さの証明”だよ!深く考えられるって、本当にすばらしいこと!」

「やめろォォォォ!!杏菜ァァァァ!!今のは普通に悩んでただけだろ!!」

「その“悩みの声”のトーン、聞き手への配慮がにじんでて、とっても心に響いたよ!」

「だぁぁぁああああああ!!俺の尊厳が過剰に評価されていくううう!!」

 璃桜が冷静に口を開く。

「このままだと、街中が“無限承認ループ”に陥るわ。全員が褒め合うことで、相互に“信頼度”が飽和していく。最終的には、“褒めが通貨”になり始める」

「そんな社会いやだあああああ!!」

「実際、購買で“ジュースください!”って言ったら、“その声素敵ですね”って返されて買えなかったわ。“言葉の対価”が褒め合いになってる」

 翔太郎はこめかみに指を当てながら呻く。

「もう言葉の意味が崩壊してる……“褒めないと会話が成立しない”って、それも一種の異常だよな」

「ええ。しかも、“本音”が言えなくなる。“ちょっとしんどい”って言った瞬間、“それでも頑張ってるあなたは偉い”って“上書き”される」

「つまり、ネガティブな感情すら許されなくなってきてる……!」

 そのとき、杏菜がふと立ち止まった。

 彼女の笑顔に、ほんの少しだけ“迷い”が混ざっていた。

「……あれ? なんでだろう。私、さっきから、みんなの目がちょっと“遠い”気がして……」

 翔太郎は、一歩だけ近づいて言った。

「杏菜。お前……いま、“本気で褒めてる”か?」

「……え?」

「お前の言葉、最初はあったかくて、俺も嬉しかった。でも今は……なんか、“義務”っぽいっていうか……“止められないから褒めてる”って感じがする」

 杏菜の顔が、一瞬だけ強張った。

「そんなつもりは、なかったんだけど……」

「じゃあ、ちょっと止めてみてくれ」

「……でも、それって……怖いよ。止めたら、“私のこと、嫌いになる人”が出てくるんじゃないかって……」

「――それが、もう“褒め”じゃないんだよ」

 その言葉に、杏菜の目が大きく見開かれた。

 そして、その瞬間――

 ピシッ。

 教室の空気が、細かく割れるような感覚が走った。

 空間に浮かんでいた“信頼ゲージ”が、一気にノイズを起こし、消滅した。

「今の……」

 璃桜が呟く。

「“本音”が、“強制褒め空間”を破壊したのよ。“無理に褒めない勇気”が、アニマの強制ループを断ち切った」

 杏菜は、胸に手を当てて息をついた。

「……怖かった。でも、“止めてよかった”って、今は思える」

 翔太郎は笑って頷いた。

「お前は、“褒められるから”信頼されてたんじゃねえよ。“ちゃんと見てる”から、信頼されてたんだよ」

「翔太郎くん……」

「でもさ、俺の“寝ぐせ”に“創造的な立ち上がりですね”って言ったのは、さすがに褒めすぎだからな」

「えっ、でもあれ……芸術的だったよ?」

「やめろおおおおおお!!今はもう普通の会話に戻れ!!」

(第15話 完)


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?