朝、校門前。
「……よし!今日も頑張る!」
快晴の空の下、声を張り上げて笑顔で走ってくる少女――美紅。
だが次の瞬間、彼女はぴたりと立ち止まり、きょとんと首を傾げた。
「……あれ? わたし、なにしてたんだっけ?」
そして5秒後。
「……よし!今日も頑張る!」
また笑顔で走り出す。
「ちょ、美紅!?さっきから同じセリフ3回目だぞ!!」
翔太郎があわてて前に飛び出す。
「え?えっ?……あ、翔太郎くん!おはよう!」
「お、おう、おはよう……あのさ、お前、今“何しにここまで来たか”覚えてるか?」
「えっと……えっと……」
目をぎゅっと閉じる美紅。
「目標はあるの!でも……“何をしてたか”が、思い出せない……!」
「ってことは、“目的”は覚えてるけど、“過程の記憶”が消えてるってことか!?」
そこへ璃桜が駆け寄ってくる。手には観測ノート。
「確認した。“行動保持型記憶リセットアニマ”。意思や目的だけを残して、思考の“履歴”を5秒ごとに削除していくタイプね」
「うわ、厄介すぎる!つまり美紅は“未来へ進むこと”だけは覚えてるけど、“直前の自分”は忘れてるってことか!?」
「ええ。たとえるなら、メモなしで“階段を登ってる”のに、自分が“いま何段目か”を常に見失ってるようなものね」
「なにその“永遠の初回プレイ”!!」
「でもね翔太郎くん、わたし、目標はあるの」
美紅が真剣な顔で言う。
「目標は、誰かの役に立つこと!だから、忘れても進む!」
「……うわ、泣けるけど、実際問題、めっちゃ困る!!」
次の瞬間。
「よし、目標は――」
「あ、またリセット入った!」
こうして美紅の“目標追従型5秒記憶”生活が始まった。
街中を奔走しながら、記憶を失い続ける少女を、翔太郎たちは全力でサポートする羽目になる――。
翔太郎と璃桜は、美紅の後を追って全力疾走していた。
「よし、目標は――!」
「あ、まただ!」
校内を抜け、購買へ向かう途中でも、
「こんにちは!目標は――!」
「また記憶飛んだぁぁぁ!!今もう“購買の列”だったぞ!!」
美紅は笑顔で、目的だけを胸に抱え、何度も何度も、行動の記憶をリセットしながら進み続けている。
「ちょ、こっち来たぞ!次、職員室に向かってる!」
「目標は――!」
「あーーっ、違う!それ違うって!」
璃桜が慌てて肩を掴んで引き戻す。
「彼女の“目標信号”は固定されてるの。“役に立ちたい”っていう曖昧な内容だけが残ってて、状況がどうあってもそれに従って動いてしまう」
「つまり、“翔太郎が疲れてそう”とか“先生が困ってそう”とか、直前の判断も記憶してないのに、“何かの役に立たなきゃ”って動いてるわけか……」
「ええ。そのせいで、行動がどんどん“空回り”していく。記憶の累積がないから、“改善”が起こらないのよ」
「まって、それ“努力型の地獄”じゃねぇかよ……!」
そして、次の瞬間。
「翔太郎くん!目標は――!」
「はいはいはい!もうわかったから!今お前、3秒前にも言った!」
そのとき、視線の先にいたのは、翔平だった。
「ん? あれ? 美紅、何してんの?」
「よし、目標は――翔平くんのために何かする!」
「いやなんで俺!?お、おい美紅!?ああっ、俺のカバンをなぜ開ける!?わああ!食べかけのパンが!!」
「これはもう少し温めたほうが、翔平くんの活力に!レンジへゴー!」
「やめろォォォォ!!それ学校の給湯室で許される温度じゃない!!爆発するってば!!」
璃桜が慌てて止めに入り、翔太郎は頭を抱えた。
「まずいな……これ、美紅が“誰かを見つけるたび”に暴走していくぞ……!」
「うん……記憶が無いぶん、“いまこの瞬間の状況判断”がすべてになってる。つまり、美紅の目には“すべての人が困って見える”」
「善意の誤爆地雷じゃねえかよぉぉぉ!!」
そして放課後。
翔太郎たちは、美紅を落ち着かせるため、旧校舎の空き教室に誘導していた。
「ここなら、余計な人も来ないし、落ち着いて話ができる……たぶん」
「よし、目標は――」
「来るな!5秒間ストップ!!座って!座るまでがゴール!」
座った美紅は、首を傾げる。
「……えっと。なんでここに?」
「それも忘れてるのかよおおおお!!」
璃桜が静かに椅子に座る。
「でも、美紅は“人のために”っていう想いは変わってないのよ。だからこそ、このままじゃ、その“優しさ”が自分を壊す」
翔太郎は、美紅の手をとって言う。
「美紅。お前、なんでそんなに“誰かのために”って思えるんだ?」
美紅は目を丸くした。
「……うーん、忘れちゃったけど……でも、たぶん、“そのほうがうれしいから”かな?」
翔太郎は一瞬、返す言葉を失った。
“覚えていない”のに、“大事なこと”は残ってる。
璃桜が、ぼそっと呟く。
「……記憶は消えても、“心の癖”は残る。そういうタイプのアニマね。つまり、“本能的な優しさ”が、行動の核になってる」
「だったら……どうすれば、それを“守ったまま”止められるんだよ……」
そのとき。
「よし、目標は――!」
「あっ、まただーーー!!」
翔太郎たちは、改めて立ち上がる。
これは、“優しさ”を“暴走”から救う戦いだった。
旧校舎の空き教室にて。
「よし、目標は――!」
翔太郎と璃桜が同時に叫ぶ。
「ストーップ!!!!!」
二人して机の上に飛び乗り、美紅の突進を寸前で止める。
「もはや“反射で止める部隊”になってるんだけど!?」
「これはもう……スポーツだね……」
璃桜が、ヘアピンでまとめた髪を整えながら、真剣な表情で言う。
「翔太郎。私たち、もう“止める”のは限界かもしれない」
「限界って……じゃあどうすんだよ? 放っておいたら、美紅が“善意の怪獣”みたいになって街中破壊するぞ!?」
「“壊す”んじゃなくて、“道をつけてあげる”の。“忘れても困らない”ように、“道筋を敷いて”あげるのよ」
「……え?」
「つまり、記憶を使わなくても“正しい選択肢に誘導される”ように、彼女の周囲を整えるの。“優しさを安全に使えるように”支えるのが、今回のゴールよ」
翔太郎が目を見開く。
「じゃあ、全部“段取り”しておいて……彼女が来たら“あとは自然に動けばOK”みたいにすれば……!」
「うん。“本人は覚えてない”けど、“助ける力”はちゃんとあるから。こっちが“安全な現場”を作っておけばいい」
翔太郎は深く頷いた。
「よし……じゃあやるぞ。“美紅のためのマップ作り”!」
そのとき。
「よし、目標は――!」
「はい!!まずは椅子に座りましょう!!どうぞ!!お茶もあります!!!」
「えっ、すごい!優しい!……って、え、えーと、なんで私ここに?」
「それは“優しさに包まれてるから”だよ!気にしなくていい!」
翔太郎が全力で笑顔をつくった。
その日から始まったのは、“美紅誘導ルート”の構築だった。
①職員室前に“ちょっと困ってるフリの先生”を配置
②校庭に“転びそうな風のダミー人形”
③美紅用の“あたたかいありがとう紙メッセージ”を設置
④そして行動ログをノートに記録し続ける係:璃桜と翔太郎
最初は混乱したが、美紅の行動は一定の“優しさパターン”に基づいていた。
その行動特性に合わせて“助けが必要そうに見える状況”を先回りして配置すると、美紅はそこへ一直線に向かっていく。
「よし、目標は――!」
「はいこちら!荷物が多くて困ってる人役です!お願いします!」
「ありがとう!!助かりました!やっぱり美紅さんはすごいですね!」
「えへへ……えっと、私、なにしてたっけ?」
「忘れても、それが“君らしい”から大丈夫!」
翔太郎の返しは、今では完璧だった。
璃桜も、メモを取りながら微笑む。
「なんか……これ、“支える”って感じ、するね」
「うん。美紅が“記憶を持たない”代わりに、俺たちが“記録”を持ってる。そうやって支え合ってる感じ」
そして、日が落ちかけた頃――
屋上で、美紅が一人、夕陽を見つめていた。
翔太郎が隣に立つ。
「……また、忘れてた?」
「うん。でも、なぜか“うれしいことした”って、体がぽかぽかしてる」
「それで十分だよ」
「ほんとに……?」
「うん。思い出せなくても、誰かが君の“優しさ”をちゃんと見てるから。俺たちが、覚えてるから」
「……ありがとう、翔太郎くん。えっと……わたし……」
「うん?」
「よし、目標は――!」
「はい!!それじゃあ、また“誰かの笑顔”作りにいこうか!!」
夕陽のなかで、美紅が笑った。
翔太郎も、笑い返す。
“忘れても、大事なことは、ちゃんと伝わる”。
それは、“信頼”のかたちそのものだった。
(第16話 完)