月曜の朝、HR開始直前の教室。
翔太郎がぼんやりと机に肘をつき、外を眺めていたそのとき――
「おい翔太郎、お前ってほんと“最低”だよな」
「……は?」
聞き慣れた低音で、唐突に告げられたその一言に、思わず椅子ごと後ろに倒れそうになった。
「いやいや佑樹!?なに言って――」
「それくらい“素晴らしい”って意味だよ。俺の中では、な」
「いや言葉としては全然意味逆だよな!?っていうか“最低”のトーンもバリバリ本気だったからな!?」
佑樹は苦い顔で、額を押さえながらつぶやいた。
「……どうやら、俺の“言葉”が全部“反転”して伝わってるらしい」
「それアニマの仕業じゃねぇかああああ!!」
その瞬間、璃桜が観測ノートを手に現れる。
「確認済み。“意味逆転型アニマ”。話者の意図とは“真逆の内容”が、聞き手に伝達される。しかも、語調や雰囲気まで“矛盾”する形で補完される」
「つまり、優しく言えば言うほど“罵倒”に聞こえて、怒って言えば“褒めてる”みたいに聞こえるってことか!?」
「ええ。いまの佑樹の発言は、すべて“反語の地雷”になってる」
翔太郎は頭を抱えた。
「ってことは……下手したら“何も言わない”方がマシじゃねぇか!?」
「でも、佑樹って基本的に“フォロー”や“配慮”で場を支えるタイプだから、“言葉を封じる”のは危険よ」
そのとき、隣の席で美紅がにこにこしながら言った。
「おはよう、佑樹くん!今日もいい天気だね!」
「黙れ!お前の顔なんて見たくもない!」
「えっ……えっ?ご、ごめん……わ、わたし何か……?」
美紅の瞳がうるんだ。
翔太郎が慌てて立ち上がる。
「違う違う!それ、“おはよう!今日もいい笑顔だね!”って意味だから!なあ、佑樹!!」
「……そうだった」
「だった、って!本人が“違う”って一回思ってるのがもうアウト!!」
佑樹は沈痛な面持ちで、手帳を取り出した。
「……このままだと、俺、誰とも正しく会話できなくなる」
「……マジでこのままだと、友情とか人間関係とか、秒で破綻するぞ!」
そして。
HRが始まったその瞬間、担任が言った。
「今日はクラス代表として、佑樹に“始業の挨拶”を頼みます」
「おい待てそれは無理だろおおおおおおおお!!!」
翔太郎の絶叫は、チャイムの音にかき消された。
「それでは佑樹、よろしくお願いします」
担任のひと言で、教室が静まり返る。
ただでさえ月曜の朝、重たい空気のなかでの“代表挨拶”。
それが、言葉の意味がすべて反転してしまう“地雷男”の佑樹に回ってきたとなれば――
「……今、壇上に立つことほど恐ろしいことはない」
佑樹は心の中でそう呟き、そして口に出す。
「みなさん、朝から不愉快な顔で集まってくれてありがとう」
静寂。
一拍おいて、教室内がざわつき始める。
「え、今“ありがとう”って言ったけど……“不愉快”て……?」
「ていうか、“集まってくれてありがとう”なのに、めっちゃ睨まれてる……怖……」
「え、怖いの俺なの?」
佑樹の声に合わせて、黒板の上に“うるさい顔”の絵文字が浮かぶ。
明らかにアニマが干渉している。
翔太郎が立ち上がった。
「先生、ストップ!その挨拶、“反転”してます!意味逆です!」
「逆とは?」
「本当は“朝から来てくれてありがとう”って言いたかったんです!」
「ほぉ……?」
担任の目が険しくなる。
「なら、“不愉快”はどう説明する?」
「えっと、“元気そうで嬉しいです”って意味です……よね?佑樹?」
「……違うとは言わない」
「言い方がややこしい!!」
そのとき、翔平が廊下からひょっこり顔を出した。
「なんだよ、なんか騒がしいな……あ、佑樹、挨拶してんのか。がんばれよ!」
佑樹は咄嗟に応じる。
「翔平、お前なんか消えてしまえ」
静まり返る空気。
「……あの、俺、なんか悪いことした?」
「違う、それ“いつも支えてくれてありがとう”って意味だって!!」
「ほんとかよ!!」
翔平が涙目になりながら退場していく。
翔太郎は椅子から崩れ落ちる。
「このままじゃ、佑樹が“誤解で全人類に嫌われる日”になるってば!!」
璃桜がノートをめくりながら告げる。
「このアニマ、対話の“意味レイヤー”を反転させるけど、“感情の重み”までは書き換えてないみたい。“どれくらいの気持ちで言ったか”は、ちゃんと残ってる」
「ってことは、“感情強めの言葉”ほど、“逆転のダメージ”もでかくなるってことか……!」
「うん。たとえば、“好き”が“嫌い”に、“大事”が“軽視”に変わる」
「それ、告白とかされたら最悪のやつじゃねぇか!!」
「でも、“強い思い”だからこそ、受け手が感じ取るものもあるはずよ。つまり、“伝わってしまう”感情が鍵」
翔太郎は息をのんだ。
「じゃあ、あいつが“本当に大事にしてる相手”にだけは、“逆転しきらない言葉”があるかもしれない……?」
璃桜がわずかに頷いた。
「やってみる価値はあるわね」
翔太郎は、佑樹のほうへ駆け寄った。
「佑樹、お前さ。今、誰かに本気で“伝えたいこと”あるか?」
佑樹は少し考えたあと、頷いた。
「……ある。でも、“言ったら壊れる”気がして……」
「それでも言ってみろ。もしかしたら、“意味じゃなくて本音”は、ちゃんと届くかもしれない」
その瞬間。
教室の隅で静かに読書していた奈菜が顔を上げた。
「……佑樹くん、今……何を言おうとしたの?」
佑樹の目が、一瞬だけ揺れた。
「……俺、お前のことが本当に――どうでもいいと思ってる」
空気が、止まった。
翔太郎が、奈菜の顔を見る。
だが、彼女は微笑んでいた。
「……ありがとう」
その笑顔には、悲しみも疑念もなかった。
翔太郎は確信した。
(言葉は、反転しても。“気持ち”は届くんだ)
昼休み、屋上。
風に吹かれる中、翔太郎は佑樹と並んで腰を下ろしていた。
校庭の喧噪が、ここまでは届かない。静かな時間。けれど、佑樹の胸の内は、波打っていた。
「……なあ、翔太郎」
「うん?」
「俺、こんなに“話すのが怖い”って思ったの、初めてだ」
その言葉すら、翔太郎の耳にはこう届いた。
『俺は、誰かと話すのが楽しくて仕方ない』
翔太郎は、しっかりと首を振った。
「大丈夫、意味は反転しても、表情で伝わってくる」
佑樹は、そっと目を閉じた。
「奈菜に言ったとき、“どうでもいい”って言ったのに……あいつ、笑ってくれたんだ。あれ、本当に……泣きそうだった」
『俺は、あのとき絶望した』
「……なあ佑樹。そろそろ、“言葉以外”で伝える方法、試してみないか?」
佑樹は顔を上げた。
「言葉以外……?」
璃桜が、ホワイトボードのようなメモを差し出す。
「“筆談”。これなら“文字の意味”はそのまま伝わるわ」
「そっか……“声”はアニマの影響を受けるけど、“手書き”は中立の情報手段……!」
「もうひとつ。“身体表現”。つまり、ジェスチャーや表情。感情が混ざる分、曖昧だけど、“嘘が通じにくい”」
翔太郎は、拳をポンと打ち合わせた。
「つまり、“言葉”が使えない分、ほかの方法で“真意”を伝えるってことだな!」
佑樹はゆっくり、手にペンを取る。
そして、白紙のボードにこう書いた。
《ありがとう》
「……!」
「佑樹……」
その一文字に、今まで飲み込んできた、数え切れない本音が滲んでいた。
だがその瞬間。
「おーい!佑樹ー!!」
大声でやって来たのは、緑だった。
「今ね!校庭のベンチのネジが緩んでたの!だから“しっかり締めてくれてありがとう!”って言いたくて!!」
佑樹、反射的に口が動く。
「ふざけるな、お前のせいで最悪の気分だ!」
緑は一瞬、キョトンとした後――
「うん、だよね!それくらい本気でやってくれたってことだよね!!嬉しい!!」
「……あ、これはもしかして、俺もう“逆転言語”のままでもいけるのでは……?」
「いやいやいやいやいや!そうやって“誤解で感謝される”のが一番危ないんだよ!!」
璃桜が叫ぶ。
「誤解が前提になれば、いずれ“本当に伝えたいこと”も、“誤魔化し”にしかならなくなる」
「……たしかに」
佑樹は、もう一度ペンを走らせた。
《次は、ちゃんと“自分の言葉”で伝えたい》
翔太郎と璃桜は、その筆跡を見つめながら頷いた。
「なあ、璃桜。アニマの解除方法、見えてきたか?」
「ええ。“反転”は、“自己否定”の影響。佑樹自身が“自分の言葉に責任を持つ”って決めたとき、このアニマの力は弱まる」
「つまり……“怖がらずに本音を話す”ってことが、鍵なんだな」
翔太郎は、静かに佑樹の肩に手を置いた。
「大丈夫。お前の言葉、反転しても、俺はわかるから」
「翔太郎……お前は本当に……最悪なやつだ」
佑樹の顔が、ゆるんだ。
『――ありがとう』
(第18話 完)