それは、何気ない日曜日の昼下がりだった。
翔太郎は商店街の北口に立っていた。やけに静かで、空気がゆるやかに澱んでいる。
「……なんだこの空気。やたら落ち着くけど……時間が止まってるみたいだ」
隣で璃桜がメモを取っている。
「調べたわ。このエリア、今日の午前から“誰一人として言い争っていない”らしいの。クレームもゼロ。遅刻もゼロ。むしろ“動きが極端に遅い”」
「まさか……“空間ごと眠らされてる”とか?」
「違う。これは“調和”。しかも、強制的な」
視線の先、商店街のベンチに、まるで風景の一部のように溶け込んでいた青年――雄基がいた。
彼の周囲だけ、時間の進行が“半音下がったような”テンポで進んでいる。
ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと立ち上がった彼は、どこまでも静かな声で言った。
「なんだ、翔太郎。今日は珍しく落ち着いてるな」
「いやいや、お前のせいだよ!!なんで俺まで“1.5倍スロー”になってるんだよ!!」
「まあまあ、焦るな。すべては、なるようになる」
「うわあああああああ!!やばい、この人完全に“人生マイナスイオンモード”だ!!」
そのとき、ピコンというノイズ音とともに、璃桜が観測ノートを強く握る。
「発動してるわ。“全体調和型アニマ”。周囲の“対立衝動”を鎮静し、あらゆる活動を“静寂方向”に引っ張っていく」
「それ、戦争止められるレベルの力じゃねぇか……!」
「ただし、“活動性”が死ぬ。“動こう”という意思すら消えていくのよ」
翔太郎がギョッとする。
「じゃあこのままだと、このエリア、“穏やかに”滅びてくんじゃ……」
そのとき。
「はーい!こんにちはっ!」
南口側から、勢いよく現れたのは――瑞紀だった。
「この辺、ちょっと元気足りないんじゃない?いま、“元気な商店街プロジェクト”してるんだよっ!」
その一言で、通行人が次々と“前向きな笑顔”を浮かべはじめる。
「せっかくだから、もっとポスター貼ろうねっ!あ、道に色塗っちゃおうか!歩道もレインボーにしちゃお!」
「うわあああああ!!勢いが“祝祭モード”だああああ!!」
璃桜が走って計測する。
「瑞紀側は“感情増幅型アニマ”。半径20メートル以内の感情が“ポジティブ方向”に暴走してる!」
「ポジティブだけど“混乱的”だよな!?道が派手になりすぎて目が痛ぇ!!」
「つまり今、“北は静寂”、“南は躁乱”……」
翔太郎は振り返る。
「これ、まさか……街が“二極化”してる!?」
街が、雄基と瑞紀、それぞれの影響によって、“動かない北”と“動きすぎる南”に分断されていた。
このとき誰もが、“エネルギーのぶつかり合い”が街を飲み込む序章であることに、まだ気づいていなかった。
「北口は完全に“落ち着いた地獄”だな……」
翔太郎が、まばらな通行人の中でぽつりと呟いた。
目の前では、スーパーのレジ待ち列が誰一人文句を言わずに“10分以上静止”している。子どもですら静かに本を読んで待っている。むしろ親の方がウトウトしている。
「ここまでいくと、もはや“静寂の修道院”だな」
「逆に、南は“祭り会場”」
璃桜の言葉通り、南口では瑞紀を中心にカラフルなチョークアートが道路に広がり、通行人が次々と「よし!逆にアリ!」と叫びながら奇抜なポーズで記念撮影をしていた。
「なにこれ……“世界がどっちつかずのハイテンションとローテンションで真っ二つ”……」
そして、ちょうどその境界線――駅前の広場に雄基と瑞紀が向き合って立っていた。
「瑞紀。もう少しだけ、空気を読んで動いてもらえないか?」
「えー?でも今のほうが“元気”じゃない?楽しいことって、拡げたほうがいいよ!」
「……その“拡がり”が、余計に人の心を疲れさせるときもある」
「でも、止まってるより、絶対いいって思わない?」
ふたりの間に、“動と静”のバリアがぶつかり合っていた。
“やたら前向きで励まされるけど疲れる空気”と、“居心地が良いけれど動けなくなる空気”。
翔太郎は思わず叫んだ。
「お前ら、極端すぎるんだよ!!」
ふたりが、同時に振り返る。
「翔太郎くん、今“逆に最高”って思ってる?」
「思ってない!というか“逆に”とかもういらねぇから!」
璃桜がノートを見せながら分析する。
「今、街全体が“エモーショナル振り子”の中にあるわ。“活性と鎮静”がそれぞれ強く働きすぎて、全体のリズムが破綻しかけてる」
「つまり……」
翔太郎は目を見開いた。
「このままだと、北側の人間は“動けないまま消耗”し、南側の人間は“動きすぎて過熱”する……!?」
璃桜が頷く。
「“感情の偏り”が都市機能そのものを壊しかねないわ。これはもう、“エネルギーバランスの暴走”よ」
「だからって、どっちか止めたら……もう一方が“反発”して跳ね返るよな」
翔太郎は、息を吸い込んで言う。
「じゃあ……俺たちがやることはひとつ。“間”をつくることだ」
「“間”……?」
「雄基と瑞紀の“中間”に、“普通”を置く。落ち着きすぎず、盛り上がりすぎず、ただ“ちゃんと動ける”くらいのリズムをさ」
その瞬間、頭上で風が吹いた。
瑞紀が、楽しそうにくるりとターンする。
「うん、それ面白い!“普通の真ん中”で、どっちもやってみようよ!」
雄基も、腕を組みながら微笑む。
「なるほど。調和とは、対立を避けることではなく、境界を認め合うことか」
そして、その場に集まった翔太郎たち“観測者チーム”は、ある計画を立ち上げる。
その名も――
「“ふつうフェス”」
派手でもない。静かすぎもしない。何もない広場で、みんなが“ただいること”を楽しむ。
それは、ありふれているのに、いま一番求められていた空間だった。
「では、今から“ふつうフェス”を、始めまーす」
翔太郎のテンションは極めて“普通”だった。
ドラムもなければ、クラッカーも鳴らない。ステージも司会も、照明もない。広場の中央には、白いブルーシート(矛盾)と、誰でも座れる木のベンチが並べられていた。
「……何もないね」
「うん。でも、それがすごく……いい」
最初にそう呟いたのは、静寂に慣れきった北側の住民だった。
彼らは、じわりと椅子に腰を下ろし、紙コップの温かいお茶をすする。誰も“会話を強いられず”、でも“話してもいい”空気がそこにはあった。
一方で、南口から集まった瑞紀サイドの住人たちは、最初こそ落ち着きのない様子を見せていたが、ふとした拍子に“立ち止まる自由”を感じ取っていた。
「なにこれ……“楽しい”ってわけじゃないけど、“落ち着く”……」
「そう、“無理に笑わなくていい”って感じがする」
「逆にアリ!!……いや、アリでいいんだ。うん」
翔太郎たちは、周囲を静かに歩きながら、笑顔を交わしていく。
佑樹は、北の住人に肩を揉まれて「ありがとう(反転中)」と呟き、瑞紀は南の子どもたちと一緒にぬり絵をしていた。
そして、ベンチの端では――
「雄基さんって、なんでそんなに“調和”を大事にするの?」
翔太郎がぽつりと尋ねた。
雄基はゆっくりと空を見上げた。
「昔、父親が大工でな。“余計な手を入れるな。木は、最初からちゃんと立とうとしている”って、よく言ってた」
「……つまり?」
「“人間も、放っておけば立つ”。俺はただ、立てるまで邪魔をしない空気を作ってるだけさ」
翔太郎は、思わず「それ、名言っぽい」と呟いた。
一方、瑞紀は璃桜の横で、自分の靴紐を結び直しながら笑った。
「私ね、誰かが“自分なんて”って言うと、ムズムズするの。だから、“元気出せー!”って言っちゃう」
「それは、“その人を信じてる”から?」
「うん。“その人が、自分で立ち直る力”を持ってるって思ってるの。“背中押す”っていうより、“うっかり前のめりになるくらい笑わせる”感じかな」
璃桜は微笑んだ。
「瑞紀も雄基も、“人を信じてる”のね。ただ、方法が逆だっただけで」
フェスの最後。
日が傾きかける頃、雄基と瑞紀が、中央の白シートで顔を見合わせて座っていた。
雄基が微笑む。
「俺は、静かにしてるのが好きだけど、君みたいな人間がいるから、世の中は明るくなる」
瑞紀が、にこっと笑って返す。
「私は、元気なのが好きだけど、雄基さんみたいな人がいると、安心できる気がする」
その一言で、空気がすっと変わった。
アニマの影響が、じわじわと消えていく。
“強制的な調和”も、“過剰な活性”も、薄れていく。
代わりにそこに残ったのは、“お互いが混ざり合って成立する、心地よい余白”だった。
翔太郎は、肩の力が抜けていくのを感じた。
「調和と混乱って、敵じゃないんだな。“バランス”って、どっちかに傾くことじゃない。“間”に立つことなんだ」
璃桜が、ノートにこう書き記す。
《異能の干渉は、真逆の価値が共鳴することで収束した。大事なのは“調整”ではなく、“共鳴”》
“ふつうフェス”は、予定通り午後四時に、誰にも急かされることなく終了した。
帰るときの足取りは、どこまでも自然だった。
“なにかを変えた”感覚はなかった。
でもきっと、それこそが――最も必要だった“変化”だった。
(第19話 完)