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【第21話】璃桜、全部“察してくる”女と対峙する

「……ねえ、今“どうせ私が察ってくると思ってるでしょ?”」

「……は?」

 璃桜は、唖然として立ち止まった。

 放課後の図書館。

 いつものように、窓際の定位置に腰を下ろそうとしたそのとき、背後からふわりと声をかけてきたのは、初対面の少女――長い髪を揺らし、目元に独特の落ち着きを湛えた人物だった。

「今、座ろうと思ったけど、“誰か来そうだから一度迷った”でしょ?けど、“この位置がやっぱり一番落ち着くから戻ってきた”のよね?」

「……え、いや、はい……あの、なんでわかったんですか……?」

「そういうの、だいたい伝わってくるから」

 少女はさらりと微笑んだ。

「……あっ、あと“この人苦手かも”って思いかけてたでしょ?」

 璃桜の口が半開きになる。

「ちょっと待って……え、なんなのあなた……なんで“内心”先回りされてるの……?」

「ううん、“言葉にする前”の気配って、実はかなり露骨に出てるんだよ。“察してる”って言われると怖いかもしれないけど、ただの“観察”だと思って」

「いやでも今、私が“怖いって思った”ことも察しましたよね!? もはや“空気読破”ってレベルじゃないでしょこれ!!」

 そのとき、翔太郎が遅れて図書室に入ってきた。

「あれ?璃桜、どうした?なんか顔色……え?新手のアニマか?」

「ちょっと来て翔太郎!この人、“会話してないのに会話が成立する”タイプのアニマ持ち!!」

 翔太郎がぽつりとつぶやく。

「それ、いちばん面倒くさいパターンじゃねぇか……」

 少女は微笑んだまま、ふわりと首を傾げる。

「うん、たしかに面倒って思われるの、慣れてる。“会話する前から話が進んでる”って、言われるのよくある」

「今言ったそれ、“俺が思ってたこと”の3秒先を行ってるのなんなの!?もはや俺たち“補助輪付きの自転車”みたいな扱いじゃん!!」

 璃桜が立ち上がる。

「待って、これ……放っておくと“相手の感情や選択を先回りして奪っていく”タイプのアニマよ。本人の意志が消えてく可能性がある」

 翔太郎が戦慄する。

「つまり、周囲が全員“先回りされた反応”しかできなくなる。対話にならないし、自発性が消える。やばい、これ“共感型の最終形態”だ……!」

 そして璃桜は、彼女に真っ向から向き合う決意をする。

「……なら、私は“考える時間”を守る。“先読み”に飲まれないで、自分の頭で、自分の言葉を探す」

 少女はふんわりと微笑んだまま、こう呟いた。

「……ふふ、いいね。“そう言うだろうな”って思ってた」



 図書館の空気は、静かだった。

 だがそれ以上に、璃桜の胸の中に吹き荒れていたのは“沈黙の暴風”だった。

(なぜこんなに、言葉を発する前に“察されてしまう”ことが、ここまで苦しいの……?)

 慎重に考えてから話すのが、璃桜の信条だった。ひとつの言葉が与える影響、その後の連鎖、感情の波紋――それらを吟味して、いつも“最適解”を選んできた。

 だが今。

 その“プロセス”ごと、土足で踏みにじられている感覚。

「……あの、ちょっと失礼ですけど、お名前は?」

「うん、聞こうかどうか迷ってたけど、“名前を訊いても返ってこないタイプかも”って思いかけたところで、踏み込んできたわね。えらい」

「いや、だから、今のは“質問の前振り”だったんですけど!?」

 少女はにっこりと笑った。

「私は“ユノ”。まあ、本名でもコードでも何でもいいよ。こういう場所では“あだ名”の方がしっくりくるしね。“あなたがそう呼ぶ”って決めた名前でいい」

「じゃあ今のも、私が“何て呼ぶか迷ってた”って読み取ったんですか?」

「うん。“璃桜”っていう響き、きれいだね。“慎重だけど、心の奥には火がある”って感じがする」

 翔太郎が思わずぼそっと漏らす。

「その解析力、今すぐ税務署で働いてくれ……」

 璃桜は深く息を吐いた。

「ユノさん。あなたの能力……いえ、アニマの影響、私たち観測者から見て明らかに“現実歪曲”です。“思考の介入”に等しい」

「そうだね。“意識の発芽前に”その輪郭を先読みして、言語化しちゃう感じ。“共感”の過剰摂取ってやつかも」

「自覚あるんですね……?」

「あるよ。“私のせいで、他人が喋る意味を失っていく”ってことも」

 璃桜は一瞬、言葉に詰まった。

 その沈黙すら、ユノは先に読んでいたように微笑んでいた。

「でもね、璃桜。“考えてから話す人”って、実は“考える前に否定されること”にすごく弱いんだよね?」

 璃桜の目が揺れる。

「今、“ドキッとした”でしょ?それも察った。ほら、また何かを言い返そうと、反論の組み立てを始めてる。けど、どこかで“言っても通じない”って諦めかけてる」

「……やめてください」

「うん。“お願いじゃなくて、命令として言えば届くかも”って考えかけた。すごく人間っぽくて、いいと思うよ?」

「やめてって言ってるのに、なぜ止まらないんですか!!」

 その瞬間。

 空間の温度が、わずかに揺れた。

 周囲の空気が、ユノの一言一言に“共感反響”のように反応しているのが分かる。

 璃桜は震える声で言った。

「私たちは、自分の言葉で、自分の思いを“外”に出して、初めて“他者と交わる”の。それを、全部“先に言われる”のは、“他人の脳内に勝手に入り込まれる”のと同じです」

 ユノはふわりと目を細めた。

「……それでも、言葉にしないと、伝わらないこともあるって、知ってるでしょ?」

「だからこそ、“待ってほしい”んです。“私は私で考えていたい”って言う、ただそれだけの自由くらい、認めてほしい……!」

 翔太郎は、そんな璃桜を見ながら、そっと彼女の背中を支えた。

「……璃桜。“言葉にする”って、“自分の形”を持つことだよな。例え、それがもう“読まれてた”としても――お前の言葉は、お前だけのもんだ」

 璃桜はゆっくり頷いた。

 そのとき、ユノの背後に浮かび上がる、淡い青色のアニマが、小さく震えた。

“共感型アニマ”――その心に、わずかな迷いの影がさした瞬間だった。



「璃桜ちゃん、すごいね。そんなふうに言葉にできるって、“もう答え出してる”ってことだもんね」

 ユノの声は、依然として柔らかかった。しかし、先ほどまでの余裕とは、わずかに違って聞こえた。

 璃桜は一歩前に出た。

「答えじゃありません。“考え続けたい”っていう、“プロセスの主張”です」

「ふふ、そっか。……私、昔から“空気を読むのが当たり前”だったから、それが悪いことになるなんて、思ってなかったんだよね」

 ユノの目が、かすかに揺れた。

「家でも学校でも、“気を回す”のが得意って褒められてた。でも、ある日ふと気づいたの。“私の隣にいる人、みんな喋らなくなってた”って」

「……それは、“誰も話さなくてよくなった”んじゃなく、“話す意味がなくなった”んです」

 璃桜は、はっきりとした声で続ける。

「ユノさん。あなたは、たぶん優しい人なんでしょう。人が困る前に手を差し伸べられるし、“こうした方が楽だろうな”って先に察してくれる」

「でも、“誰かの思考”って、“未完成のままの時間”を必要とするんです。曖昧で、揺れてて、不安で、それでも外に出そうとするその過程を、どうか奪わないでほしい」

 ユノの肩が、すっと落ちた。

 後ろに浮かんでいたアニマ――共感型の淡い青が、ふっと色を薄めていく。

「そっか。“助けたい”って思ってたのに、いつのまにか、“奪ってた”んだね」

「……ええ。でもそれに気づけるあなたなら、もうきっと、“共感”を押しつけないはずです」

 翔太郎がぽそっとつぶやいた。

「なんか今日、璃桜がラスボスに説教して改心させるRPGみたいな構図だったな……」

 璃桜が睨む。

「……もう少し真面目に聞いてください」

「すみませんでした!!でもマジでかっこよかったぞ、璃桜」

 璃桜は顔を少し赤らめて、小さく頷いた。

 ユノは最後に、微笑みながら言った。

「ありがとう。私も、もう少し“分からないふり”を覚えてみるよ。そっちの方が、たぶん“人と一緒に考えられる”から」

 その言葉と共に、アニマの姿は、すっと風に溶けるように消えた。

 誰かと“同じ気持ち”になるのは、悪いことじゃない。

 でも、“その人の気持ちになる”には、踏み込む前に立ち止まる“余白”が必要なのだ。

 図書館を出た夕暮れ時。

 翔太郎が言った。

「……それにしても、今日はなんか疲れたな。会話するのって、案外体力いるんだな」

 璃桜は目を閉じて、静かに笑った。

「でも、伝わったときは……ちゃんと嬉しいでしょう?」

 翔太郎はうなずいた。

「まあな。“察される”より、“届く”ほうが、なんかいいって、思ったわ」

 彼らの足音が、秋の石畳にやさしく響いていた。

(第21話 完)


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