「麗奈さんって、ほんっとに天使みたい!」
「うんうん、誰にでも優しくて笑顔で、マジ女神。空から降ってきた説ある」
「この前なんて、体育の時間に靴紐結んでくれたし、何あれ、心まで綺麗ってやつ?」
教室の一角、女子グループがうっとりと語っていた。
そしてその中央にいるのは、そう、麗奈。
清楚なロングヘアに、整った制服。誰が見ても「完璧系ヒロイン」な佇まい。
麗奈はいつものように、にこりと微笑みながらこう答えた。
「そんなぁ……私なんて、ただみんなと仲良くしたいだけで……」
その瞬間。
窓の外から、“ゴゴゴ……”という低い唸り声が聞こえた。
翔太郎は、机の上に置いたシャープペンを思わず握りしめる。
「……今の音、聞いたか?」
「ええ。低周波振動……いや、“圧”のような何かが教室全体に来てる。しかも……中心は、あの人」
璃桜が目線で指した先には――
にこやかに笑う、麗奈の姿。
だがその背後。窓ガラスの向こうに、“もう一人の麗奈”が立っていた。
ぴったりと同じ髪型。制服。顔も一緒。
ただし、その表情は――
「なんで私が、朝から人の靴まで揃えてんのよ。あのドブガエルみたいな部長に、笑顔返すのマジしんどかったし……」
「えええ!?なんか悪口独白してる!?」
翔平が教室のドアから飛び込んでくる。
「なに!?麗奈さんが!麗奈さんが“二人”いるぞ!?ってかあれ、なんで窓の外で堂々と毒吐いてるの!?誰に!?」
璃桜の手元のノートが震え始める。
「これは……“内面具現型アニマ”。心の奥にある“もう一つの人格”を、本人から切り離して“実体化”させるタイプの干渉。しかも“自覚なし”……!」
翔太郎が頭を抱える。
「やべえ。麗奈の“裏の顔”が、リアルに歩いてるってことか!?つまりあれ、“表麗奈”と“裏麗奈”の分離現象!?」
麗奈は、まったく気づいていないようだった。
「翔太郎くん、おはよう♪今日もいい天気だね?」
「あ、う、うん、おはようございます……(やべえ、心の中で“雑魚男子”とか言われてたらどうしよう)」
その時、“裏麗奈”が急に顔を上げ、舌打ちした。
「またあいつ、無難な返事しかしないのね。マジうざ……」
「俺、なんもしてねええええ!!」
翔平が絶叫する。
「ちょっと待って!このままだと、“裏麗奈”の言動で、教室中にトラブルが広がるぞ!?」
「しかも、“裏の方”の方がどんどん生き生きしてるように見える……!」
璃桜は唇をかむ。
「このままだと、“本物よりも裏の人格の方が現実に影響を与える”ようになる。麗奈本人が自分の内面と向き合わない限り、“主導権”が奪われるわ!」
「ってことは……あいつ、いまや“笑顔の皮をかぶったプリンセス”と、“腹の底にいる魔女”に分裂してるってことかよ!!」
「いやそれ、童話だったらラスボスコースでしょ……!」
混乱の只中、“裏麗奈”は腕を組んで教室を歩き出した。
その目が、次々とクラスメートを値踏みするように見つめる。
「ふーん、あの子まだプリント出してないのね?さっきまでニコニコしてたのに?」
「……言ってること全部“表の麗奈”の記憶と一致してる……!」
翔太郎はつぶやいた。
「つまり、“心の中では思ってたけど表には出さなかったこと”が全部記録されてて、それを“もう一人の彼女”が垂れ流してるんだ……!」
事態は、すでに“二人の麗奈”によるパラレル展開へ――
翔太郎たちは、“内面の爆弾処理”に挑むことになる。
「え? 私、何かした……?」
昼休み、屋上。
麗奈は、スープジャーの蓋を外しながら首を傾げた。まるで何も知らない、無垢な笑顔。
翔太郎はその笑顔に、「ああ、逆に怖い」と無意識に後退した。
「……いや、あの、うん、たぶん“何かした”っていうより、“誰かが麗奈のフリして”暴れてる……かも」
「えー?何それ、誰かのイタズラ? なんか、さっきから周りの視線がちょっとだけ冷たい気がしたんだけど……」
「それ、多分“裏麗奈”のせい」
「う、うら……?」
麗奈が首をかしげるより早く、璃桜が手帳を開いた。
「正確には、“人格乖離型アニマ”の発現よ。無意識下に抑圧されてきた“本音”が人格化して、行動を始める。しかも“情報の記録保持率”が異常に高い」
「つまり……自分でも覚えてないくらいの“裏の気持ち”まで、そいつが代弁して歩いてるんだ」
翔平が弁当のタコウィンナーを口に放り込みながらぼそり。
「……そいつ、昼休みに校長の机の下くぐって、“お飾り狸め”って言ってたぞ?」
「えええ!? それ私の声で!?やめてええええ!!」
麗奈が顔を覆った。
「で、でも私そんなこと思ってたかな……いや、ちょっと思ってたかも……あああああ!!」
「今の“ちょっと思ってたかも”ってやつが問題なんだよ!」
翔太郎が額に手を当てた。
「このままだと、“裏麗奈”が放つ“本音爆弾”で、クラスの人間関係が火の海になる。本人がそれに気づかないうちは、“感情の切り離し”がどんどん進む」
「まって、それって……私が“どんどん本音のない人間”になってくってこと……?」
麗奈の手が震えた。
璃桜が静かに頷く。
「そう。“笑顔の麗奈”が、“本音のない記号”として残されていく。最終的に、“裏の人格”に社会的な影響力まで上書きされたら……」
「……表の私は、“誰も信用されない存在”になるってこと?」
そのとき、グラウンドの方から悲鳴が上がった。
「きゃああああっ! 体育倉庫の中に……もう一人の麗奈が……っ!!」
麗奈が青ざめる。
「また出た!?今度は何したの私!?」
翔平がスマホを取り出して映像を確認し、爆笑しかけて腹を抱えた。
「“トンファー回しながら、あの先生のパーマは天然か否か”って独り言言ってた。体育教師の髪の話題で、室内を練り歩いてたぞ」
「やめてぇええええ!!私そんなこと口に出した記憶ないのに!!思ってたかもしれないけど!!!」
翔太郎はため息をついた。
「これはもう、“本人に認めてもらう”しかない。“裏麗奈”はただの別人格じゃなくて、“麗奈自身の一部”なんだって」
「そんなの……そんなの、認めたら私、“性格めっちゃ悪い子”ってことになっちゃうじゃん……!」
「違う。“悪い”んじゃない。人間誰だって、“思ったこと全部口に出すわけじゃない”。それを、“しまってただけ”なんだ」
「それが勝手に飛び出してるだけなんだよ」
翔平の言葉は、意外なほどまっすぐだった。
麗奈は唇を噛んだ。
彼女の中にある、“完璧な優等生”の仮面。
笑顔は崩さず、言葉は柔らかく、誰にも敵意を向けない。そうやって生きてきた彼女にとって、今の状況はまさに“人格の否定”に近かった。
「私……嫌われたくなかったの。誰に対しても、ニコニコしていれば、誰も私を攻撃しないと思ってた。だから……だから、本音なんて……言わなくていいって……」
「でも、言わなかったぶんだけ、溜まってたんだろ?」
翔太郎のその言葉に、麗奈の目がふと潤んだ。
「ねえ……もし“裏の私”が全部バラしちゃったら、私……もう、戻れないかな?」
「戻れるさ。だって俺たちは、もう知ってる。“裏”も“表”も含めて、それが麗奈だって」
その言葉が、ふっと空気を変えた。
麗奈は、顔を覆っていた手をそっと下ろした。
「……じゃあ、捕まえに行こっか。“もう一人の私”」
校舎の南棟、使われなくなった旧音楽準備室。
そこは今、“もう一人の麗奈”のアジトになっていた。
薄暗い室内。壁一面に貼られた紙には、麗奈本人の筆跡で書かれた“陰口”と“毒舌”のオンパレード。
《あの子のヘアピン、毎回ズレてるのわざとなの?》
《先生のネクタイ、毎週レベルでダサさ更新してない?》
《その笑い方、マジで作業用BGMになるわ》
「やべえ……これはもう“日常生活に溶け込むレベルの毒”だ……!」
翔太郎が軽く引きつりながら言うと、翔平が「怖すぎて逆に参考になるなこれ」とメモを取ろうとしたので璃桜にペンを折られた。
「……あれが、全部……私の中にあったんだ」
麗奈が小さく呟く。
その声に応えるように、部屋の奥のカーテンが音もなく揺れ――
出てきたのは、“裏麗奈”。
姿形はそっくり。でも、目だけが違う。底冷えするような静けさを湛え、どこかすべてを見透かすような笑みを浮かべていた。
「来たのね、麗奈。やっと」
その声に、表の麗奈は思わず一歩後退した。
「あなた……」
「私よ。あなたが“心の底で黙らせてきた”私。あの時、腹の底で“嘘くさい”と思いながらも微笑んだ時の。誰にも本音を見せなかった時の。全部、私」
「そんなの……私は、私は“優しい人”になりたかっただけで……!」
「なら、なぜ心の中では笑ってたの?嫌いな子のスカートが泥にまみれた時、ちょっとスカッとしたでしょ?みんなの前では“可哀想”って言いながら!」
「それは……違うの……っ!」
「違わないわ。“どっちも本当”なの。あなたは誰かに嫌われたくなくて“良い子”を演じた。でもそのたびに“心がムズムズする”のを、気づかないふりしてた」
麗奈は震える指先を握りしめた。
「それでも、私は……私は……っ!」
そのとき、翔太郎が前に出た。
「麗奈。お前、“本音を持ってたこと”を、そんなに責めなくていい」
「……え?」
「腹の中で何を思ってたっていいんだよ。“誰にも迷惑をかけなきゃ、それは罪じゃない”って、俺は思う。だってそれが人間だろ?」
「でも……」
「大事なのは、“どう振る舞ったか”だろ。お前が“嫌だな”って思ってても、表で“優しくした”なら、それはちゃんと尊敬されることなんだよ」
翔平も腕を組んで頷く。
「まあ、確かに裏が出すぎると地獄だけど、でも裏があるのは当たり前だし。それを“閉じ込めすぎると暴走する”って今回わかったしな」
璃桜がそっと言葉を添えた。
「だから、あなたがしなきゃいけないのは、“どちらかを消す”ことじゃない。“両方を知って、受け入れる”ことよ。あなたは、二つで一つなんだから」
麗奈は、ゆっくりと顔を上げた。
目の前の“裏麗奈”もまた、無言で見つめ返していた。
「……私、ずっとあなたを“恥ずかしい存在”だと思ってた。いなくなってほしいって、思ってた。でも……」
「でも、私が“誰かを気遣えた”のも、きっとあなたがいたから」
裏麗奈の瞳が、すこし揺れた。
「心の中で“ズルい”って思ってたからこそ、“ちゃんとしたい”って思えた。あなたがいたから、私は“人に優しくあろう”って意識できたんだ」
「……そうよ」
「ありがとう」
その瞬間。
裏麗奈の体が、ふっと透けていく。
「……それでいい。私は、消えない。ただ、あなたの中に戻るだけ。今度は、ちゃんと居場所をもらえるなら」
その声とともに、裏麗奈はゆっくりと光に溶けた。
部屋の紙が一枚ずつ、ふわりと宙を舞い、やがて空っぽの壁だけが残った。
麗奈は深く、息をついた。
翔太郎が笑った。
「ようやく“ほんとの麗奈”になったって感じだな」
「えへへ……でもこれから、ちょっと毒舌増えるかも」
「それはそれで怖いから、加減して!!」
翔平が叫び、三人の笑いが重なった。
(第24話 完)