「なあ翔太郎、ちょっとこれ、プリント職員室に持ってってくんない?」
「お、いいぞ。……あ、いや、今陸斗がいたから頼んでみるか」
翔太郎が気軽に振り向いた先には、すでに“スーツの公務員みたいな佇まい”で座る陸斗の姿があった。彼はいつものように、腕時計をちらりと確認してから、無駄のない動きで立ち上がった。
「了解。預かります。職員室、12分後に一度通る予定だったので、そのときに投函します」
「え……お前、その移動、もはや配送業者?」
「予定の経路に組み込んだだけだ。業務は効率化するべきだからな」
「いやこれ、“頼んだ側のほうが恐縮するやつ”だよ!」
璃桜が、陸斗の背中に浮かぶうっすらとした“青い羽”に気づいた瞬間、眉を寄せた。
「……このアニマ……“依頼吸収型”だわ。任されたことを自動でタスクに組み込み、最優先で処理する。しかも“完遂しないと気が済まない”タイプ」
翔平がすっと手を挙げた。
「じゃあ……試しに言ってみていい? “ちょっと牛乳買ってきて”とか」
「やめろ翔平、そいつは地雷だ」
だが、時すでに遅し。
「了解。生乳流通ルートの確認から開始する。産地は北海道の酪農地帯でいいか?低温保存で空輸を選択するかは、相手先の希望次第だが……」
「なんで“ちょっとの買い物”が物流設計レベルまで飛躍してるの!?やめて!バター工場まで作らないで!!」
璃桜はため息混じりに言った。
「このアニマの問題は、“どんなお願いもスケールに応じて最適化されてしまう”こと。“任された責任”が、無限に拡大していくのよ」
「つまり、“頼んだら最後、地球の裏側まで行く”ってやつか……!」
翔太郎は空を見た。
その日――陸斗は、5件の「ちょっとした頼みごと」を受け取り、放課後には小型ドローンで試作教材を設計し、地元商店街にPR動画を送り、なぜか市役所と連絡を取っていた。
「もはや“便利通り越して災害”なんだよ、陸斗!!」
「俺は……頼まれたからやってるだけだ」
その言葉には、どこか悲壮な響きがあった。
翔太郎たちは、やがて気づくことになる。
“陸斗に何かを任せる”ということは――
“彼の人生のリソースを使う”ことに等しいのだ、と。
翌朝。
翔太郎が登校中に目撃したのは、駅前のスクリーンに流れる「本校生徒、物流改革案を市議会に提出」というニュースだった。
「えっ……これ、もしかして陸斗……?」
慌てて校門をくぐると、玄関には既に“陸斗本部”と名付けられた臨時掲示板が設置されていた。
張り紙にはこうあった。
《本日対応案件》
・職員室エアコン交換の進行管理
・購買部の品目最適化
・グラウンド芝再整備(海外提携校向けPV素材作成)
・翔平の“メモ探し”補助
「最後のだけなんでこんなに個人的なんだよ!」
翔平がごまかし笑いを浮かべていた。
「いやー俺、昨日うっかり“メモなくした”って言っただけなのに、今朝5時に“最寄りの古紙回収センターに連絡済”ってメール来たんだよ。正直怖ぇ……」
翔太郎が職員室を覗くと、そこにはビジネススーツ姿の陸斗が、資料片手に複数の先生と話している姿があった。
「それでは、学年主任案と比較した上で、再提案させていただきます。つきましては……」
「誰だよこの“社会の歯車として仕上がりすぎた高校生”は!?」
璃桜が、陸斗の背後に浮かぶアニマの姿を確認し、唇をかんだ。
「まずいわ……アニマの干渉度が極端に高まってる。彼の“任せられた責任は全うすべし”という信条が、現実を構築し始めてる」
「つまり、“お願いされたこと”が“彼の中で世界の優先課題”になるんだ……」
「ええ。そしてもう一つ恐ろしいのは、“彼自身はそれに疑問を持ってない”こと」
翔太郎は小走りで近づき、声をかけた。
「陸斗、お前……ちょっと休んだほうがいいって。市議会とか、芝再生計画とか、やりすぎだろ……?」
しかし陸斗は、微笑みながら答えた。
「大丈夫だ。すべてスケジュールに組み込んであるし、効率化も済んでいる。昨日の夕方には、週末の予定まで自動最適化されていた」
「スケジューラーが“未来を決定”するレベルになってんぞ!それもう預言者じゃん!」
翔平が叫ぶと、陸斗は真顔で答えた。
「ちなみに、来週月曜の朝に翔平が忘れ物をする予定だから、その予備もすでにカバンに入れてある」
「俺の未来、管理されてるの!?嫌だぁあああああ!!」
そのとき――校内放送が入る。
『本日、陸斗くんの提案により、2時間目以降の授業は“無駄な時間の見直し”の一環で10分短縮されます』
教室中がどよめいた。
「やべえ!ほんとに現実が書き換わってる!!」
璃桜が低く言った。
「このままじゃ、いずれ“全校の時間感覚”すら彼の思考に従って改変される。世界が“陸斗中心”になるわ」
「“何も頼まない”って手段は?」
「彼の周囲に“潜在的な依頼”が発生した瞬間、それを“無言の指示”として読み取り自動処理に入る。つまり“頼む前から動いてる”のよ」
「もう“エスパー便利屋”じゃんかそれ!!」
翔太郎は真剣な顔になった。
「……陸斗は、“期待に応え続けることで、存在を保証してきた”タイプかもしれないな」
璃桜が静かに頷く。
「彼にとって“任されること”は、“信頼されること”と同義。でもその価値基準が、今は暴走してる。信頼の重みで、彼が潰れる前に止めないと」
「止めるには……“信頼しなくても、お前は必要だ”って伝えるしかない」
翔太郎たちは、決意を胸に、次なる“会議室”へと向かう。
そこでは陸斗が、地域連携イベントのスライド資料を“来年度予算”のフォーマットで作っている最中だった。
「これが地域活性化のたたき台。中学生向けの職業体験と連動したオンラインマップの設計案。SNS展開は今朝方承認済」
「何者だよお前はああああああ!!!」
会議室のホワイトボード前、翔平が天に向かって叫んでいた。
その横では、すでに市議らしき人物とZoom会議を終えた陸斗が、静かに資料を閉じている。
「任されたから。必要とされているうちは、全力で応える。それが僕のスタンスだよ」
「なあ、陸斗……」
翔太郎がゆっくりと言葉を選んだ。
「お前が“頼まれるのが嬉しい”のはわかるよ。でもな、それが“誰かに必要とされないと存在できない”って感覚になってたら、それは危険信号なんだ」
「……僕は、昔からそうだった。親も先生も、周りの人も、“陸斗はしっかりしてるね”“助かるよ”って言ってくれてた。だから、もっと頑張った」
「そして今、お前は“世界全部の責任”を背負おうとしてる」
翔太郎のその言葉に、陸斗の手がわずかに止まる。
「でもな、陸斗。俺たちは、お前に“便利屋”になってほしいわけじゃない。スケジュールの鬼でも、完璧な作業員でもない」
「お前がただ“一緒にいてくれるだけ”で、十分ありがたいんだよ」
翔平が、不器用に続けた。
「そうそう。なーんもしなくても、机に座ってくれてるだけで、“よし今日も陸斗いる”って落ち着くし」
「“お前がいる”ことが、すでに信頼なんだよ」
そのとき。
陸斗の背後に立っていたアニマが、大きくうねった。
“責任の化身”のようなその姿が、初めてぐらりと揺れた。
陸斗が目を見開く。
「僕は……必要とされなくなったら、いなくなると思ってた」
「そんなことない」
璃桜が、はっきりと告げる。
「人は、何かをしなくても“いていい”の。信頼っていうのは、“役割の交換”じゃない。“一緒にいる”という実感が、すでに価値なのよ」
アニマが、ひとつ息を吐くように膨らみ――そのまま、陸斗の背中へと溶け込んでいく。
翔太郎が慎重に一歩踏み出した。
「陸斗。“任せられる”のも強さだけど、“誰かに頼っても大丈夫”って思えるのも、立派な強さなんだぜ」
静寂。
そして、陸斗が小さく笑った。
「……ありがとう。たぶん僕、“何もしない自分”を、ずっと恐れてた。けど……それでも、受け入れてくれる人がいるなら」
「その人たちと、ちゃんと向き合っていきたいと思う」
その瞬間、周囲の空間に満ちていた圧力がすっと消える。
会議室の時計が正常に時を刻み始めた。
外ではチャイムが鳴り、日常が戻ってきたことを告げていた。
翔平が首をぐるぐる回す。
「ふぅ~~……これでようやく、地球規模のマネジメントから開放だな……!」
陸斗は照れくさそうに笑った。
「今度から、無理なお願いは断ることにするよ。あと、“全部一人で抱える癖”も、ちょっとずつ直していくつもりだ」
「でも……」
「次の遠足の行程表だけは、作らせて」
翔太郎と翔平、そして璃桜は同時に叫んだ。
「それだけは誰も勝てないからやめてぇえええええ!!」
(第26話 完)