「ちょっと……ズボン、きつくなってない……?」
朝の登校時間、芽衣は教室のドアをくぐった瞬間、制服のスカートをそっと押さえて呟いた。
普段より、目線が少しだけ高い気がする。髪をまとめる位置も妙に合わない。
「ん……?」
翔太郎は、その異変にすぐに気づいた。
「芽衣、なんか……でかくなった?」
「は!?ちょ、何その第一声!?女の子に向かっていきなり“でかい”ってどういうこと!?」
「いやいや違うって、そういう意味じゃなくてだな!純粋に、なんか、背が伸びてる気が……」
「え、ほんとに……?」
芽衣は慌てて鞄の中から定規を取り出し、教室の壁に背中をつけて測ろうとする。璃桜が近づいてきて、冷静に測定して言った。
「……昨日から3.2センチ伸びてるわ」
「昨日からぁああ!?」
翔平が叫びながら教室に飛び込んでくる。
「なに!?芽衣がジャックと豆の木みたいになってんの!?マジで“成長期のピーク”が音速超えた系!?」
「誰が豆の木よ!」
芽衣は怒りながらも、自分の腕を見下ろして小さく呻いた。
「でもなんか……ちょっとだけ、服が……合わないかも……。昨日まで普通だったブラウスが、ボタンが……キツッ……!」
そのとき、床がミシッと鳴った。
璃桜がすかさずノートを開く。
「これは“努力成果拡張型アニマ”。個人の“成長したい”という意志が、そのまま肉体成長として具現化するタイプね」
「つまり……努力すればするほど……体が……でかくなる!?」
「ある意味、文字通りの“身をもって学ぶ”ってやつだな……」
翔太郎がそう呟く中、芽衣は顔を赤らめながら言った。
「ちょ、ちょっとまって、私、昨日勉強三時間やったし、筋トレもしたし、作文も練習したし……まさかそれが全部“身長に還元”されて……!?」
「もはや“全身PDCAサイクル”かよ……!」
翔平が腹を抱えて転げ回る。
「このままじゃ、芽衣が空を突き抜けて衛星軌道に行く日も近いぞ……!」
「笑いごとじゃない!わたしこれ以上成長しちゃったら……好きな服も着られないし、ドアもくぐれないし、机も椅子も合わない……!」
「落ち着け芽衣、それは“成長あるある”じゃない、“バケモノ化あるある”だ!!」
しかし、そんなやり取りの中でも――
芽衣の背は、じわじわと伸びていた。
その成長は、誰にも止められない“向上心の具現”そのものだった。
そしてその裏で、芽衣自身もまた、
「私は、ただ、“もっと頑張りたい”だけだったのに……」
と、胸の奥で揺れる感情に戸惑い始めていた。
「芽衣!教室の天井に頭ぶつけてるぞ!!」
「うっそ!?……いったぁっ!!」
翔太郎の叫びに反応して頭を引っ込めるも、天井にくっきりと残った“芽衣の頭突き跡”に、教室全体がざわつく。
璃桜が静かにメジャーで計測を始め、翔平がその隣でスマホの録音ボタンを押した。
「成長記録、午前10時17分、身長187.3センチ。観測開始からおよそ1時間で+7.4センチ。これはもう“スパルタ式成長”だな……」
「笑ってる場合か!」
芽衣は両手をぶんぶん振りながら訴える。
「私、昨日“英単語一日100語暗記チャレンジ”しただけだよ!?それがこんなことに……!」
「それに加えて腹筋、読書感想文、縄跳び、スピーチ練習にイラスト模写もやってたよな?」
「……努力が趣味なんです……」
芽衣が俯いて呟いたその姿に、翔太郎は少しだけ胸が痛くなった。
彼女の成長は確かに異常だが、それ以上に、“努力しなきゃ置いていかれる”という焦燥感がにじんでいた。
「芽衣……なあ、ちょっと立ち止まんないか?」
「ダメ!だって、止まったら……“意味がなくなっちゃう”気がするから!」
璃桜が前に出る。
「芽衣。あなた、“止まったらダメ”って誰に言われたの?」
芽衣は一瞬、固まった。
「……誰にも。けど……みんな頑張ってて、成長してて……私だけ遅れたくなかった。自分が置いていかれるのが、怖かったの……」
「だから、努力した。成果が見えるまで」
「でもその“成果”が、“身長”で目に見えてしまったら?」
芽衣は、自分の大きくなった手を見つめる。
「それでも、止まれなかった。努力してるって実感が、私のアイデンティティだったから……」
翔太郎は、机に肘をつきながらぽつりと呟いた。
「……お前が頑張ってること、みんな知ってるよ。たとえ“目に見えなくても”、ちゃんと伝わってる」
「それは……綺麗ごとだよ」
「違う。“結果”はもちろん大事だけど、“過程”をちゃんと見てくれる人はいる。俺も、璃桜も、クラスのみんなも」
「お前が必死にノートに向かってたの、ずっと知ってたよ。誰にも言わなくても、見てた人はいたんだ」
芽衣は、はっとしたように顔を上げた。
そのとき――
バキィンッ!!
天井を突き破り、芽衣の頭が飛び出した。
「いや今のめっちゃ物理的成長の音!!」
翔平が悲鳴をあげ、後ろの席の男子が「ウチの屋根が……!」と涙目になっている。
「だーめだ!このままじゃ芽衣が“二階建ての人間”になっちまう!!」
「もうすぐ体育館に達するレベルだぞ!!」
璃桜が急いでノートを開く。
「アニマの干渉限界は“宿主の精神状態”と直結してる。このまま“私は止まっちゃダメ”という思いが強くなると、どんどん身体が成長していく!」
翔太郎は目を見据えて、言った。
「芽衣!お前が努力をやめなくてもいい。だけど、“努力してない自分”を認めることも大事なんだ!」
「なぜなら、それは“休むこと”であって、“諦めること”じゃないからだ!」
芽衣の目が、少しだけ揺れた。
「……私、休んでもいいの……?」
翔太郎は静かに頷いた。
「うん。だって、俺たちの前で、すでにお前は十分頑張ってきたじゃんか」
その言葉とともに――
芽衣の体がふっと軽くなり、背丈がゆっくりと元に戻っていく。
まるで風船が優しくしぼんでいくように、彼女は“等身大”へと収束していった。
「……なんか、すごい疲れた」
芽衣がぽつりと漏らす。
「そりゃあな、3日分の努力が物理化して、3階建てぐらいになってたんだぞ」
「よかった……元に戻れて……もう、努力が“ボディビル”に変換されるのはごめんだよ……」
教室中が笑いに包まれる中、芽衣は小さく呟いた。
「でも、これからは……“立ち止まりながら進む”っていう努力も、してみようかな」
(第27話 完)