昼下がりの図書室に、異様な静けさが広がっていた。
なつきは、机に広げられた一枚の紙を見つめていた。そこには、あり得ないほど詳細に描かれた“未来”の設計図が記されていた。
「午後2時17分、翔太郎が図書室のドアを開ける」
キィィ……
時間通りに、ドアが開いた。
「……うそでしょ」
翔太郎は、なつきと向かい合う形で立ち止まった。
「いま、図書室のドアを開けたら“うそでしょ”って言われる未来、書いてあったんだけど?」
「そう。“未来予測図”。誰が書いたかわからない。だけど、これに書いてあることが全部“当たる”」
なつきは疲れたように笑った。
「昨日、これに従って動いたら、家のトイレが爆発した」
「どういう因果だよ!?」
その横では、歩夢が黙って立っていた。彼の手にも、別の“未来図”が握られていた。
「……この紙には、“俺がここで何も言わないこと”が書かれてる。だから今、黙ってるんだ」
「いや、それ従うなよ!!」
翔太郎は焦るが、歩夢は静かに首を振った。
「違う。これは俺の意思で黙ってる。“言わされてる”んじゃない」
璃桜が後ろから近づいて、そっと言った。
「“予言実行型アニマ”。未来に起こる出来事を、詳細に提示する。そして“それに従わないと、もっと悪い結果が起こる”よう現実を歪めていく」
「つまり、“言われたとおりに動け”っていう“運命の指示書”か」
「そう。で、従えば一応は平穏。でも、“自由意志”を失っていく」
翔平がポケットに手を突っ込みながら言う。
「で、その紙を無視したら?」
「地面が割れて机ごと落ちた」
なつきが即答する。
「……えぐ」
翔太郎は、歩夢の方に視線をやる。
「お前は、そういうのに従うタイプじゃないだろ。“変えようとする”タイプだろ?」
「変えたいと思ってるよ。でも、今は“まだ”やるべきじゃない」
「……は?」
歩夢は、自分の紙を指差した。
「この紙には、“俺が最後に予言に逆らって、それでようやくアニマが消える”って書いてある」
「え、ネタバレされてんじゃん!!」
「つまり、俺が自由を選ぶ瞬間までが、“予定された自由”ってことさ」
「皮肉が過ぎるよこの未来!!」
なつきは紙をぎゅっと握りしめた。
「でも、やらなきゃいけないことがある。“どうせ未来が決まってるなら、せめてその中で一番マシな選択肢を探してみせる”」
彼女の眼差しは真っ直ぐだった。
「自分の意志で決めたって言いたいから。たとえそれが“最初からそうなるようにできてた”としても」
「じゃあ、やってやろうぜ。運命ってやつを、全部“自分で上書き”してみよう」
翔太郎は、紙を一枚手に取り、破った。
その瞬間、空間に不穏な“地鳴り”が走った。
紙を破った瞬間、世界が少しだけ“揺れた”。
ほんの一拍遅れて、図書室の天井の照明がパチパチと点滅し、書架の隙間からふわりと何かが吹き上がった。灰のように舞い上がったその“微細な砂塵”は、紙に刻まれていた未来の“断片”だった。
「……やっぱり、反動が来た」
なつきが歯を食いしばる。
「破ったのは、たった一文。“翔太郎が本棚の影に隠れて転倒する”ってやつ。でもそれだけで、天井が……」
翔太郎はごつんとぶつけた頭をさすりながらうめいた。
「うわぁ……天井のカバー外れて直撃した……内容違うのに“ダメージの程度”は保たれてるのかよ……!」
璃桜が分析する。
「未来予測図は、“因果の流れ”を操っている。“この行動がこの結果に結びつく”と設定して、その繋がりを固定してるの。だから、行動を変えても、結果の“エネルギー量”は変わらない」
「ちょっと待って。ってことは、“選択肢を変えた”時点で、“代償”が上乗せされるってことじゃ……」
翔平が言いかけたその瞬間、歩夢が静かに未来図を見た。
「午後3時26分、俺がこの紙を焼却炉に投げ捨てる」
「おい!やるなよ!?今“やらなかったら”って選択肢があるんじゃないのか!?」
「……でもこれが、“俺に用意された唯一の出口”かもしれない」
「だったら、破るべきだ」
なつきが真っ直ぐに言った。
「私たちがここまで“選ばされて”きたなら、せめて“拒否する自由”だけは、自分たちの手で持ちたい」
歩夢はなつきを見て、一瞬だけ笑った。
「なつきって、そういうところは変わらないな。全部“やってから考える”タイプだ」
「褒め言葉と受け取っておくよ!」
彼女はそう言って、自分の紙をぎゅっと折りたたんだ。
「じゃあ私が“燃やす方”、あんたが“守る方”。どっちが正しかったかは、未来が決める」
「未来が“勝手に決める”のか、“俺たちが決めた”と言えるのか、試すってことだな」
二人は並んで歩き出した。誰も指示していない、でも確かに“自分の足で選んだ”道を。
そして――午後3時26分。
焼却炉の前に立ったなつきは、火口に紙を投げ入れた。
ほんの一瞬、空気が静止する。
「何か……来る」
翔太郎が息を呑む。
その瞬間、周囲の空間が“うねった”。
校舎の裏手に突如現れたクレーン車が暴走し、近くに止められていた自転車ラックが“空中回転”するという謎の物理現象が起きた。頭上を飛び交う無人ドローンが墜落し、近くの木が“急成長”して倒れかける。
「なんだこれ!?“未来の因果”が暴走してるのか!?」
璃桜が青ざめながら叫ぶ。
「違う!これは“未来の強制力”が外れて、“複数の可能性”が同時に流れ込んでるんだ!」
つまり、今この街には――
「“いくつもの選択肢がぶつかり合ってる未来”が、並列で流れてるってこと……!」
「自由って、こんなにめちゃくちゃなもんかよ!」
翔太郎が叫ぶ。
そんな混乱の中心で、歩夢がふと立ち止まった。
彼の手には、“燃やしていないもう一枚”の未来図があった。
そこには、こう書かれていた。
――「すべての未来を受け入れたとき、アニマは消滅する」
歩夢はそれを見つめて、つぶやいた。
「全部拒否するんじゃなくて……“全部抱えて歩く”しかないのか」
彼は静かに、ポケットに紙をしまった。
「なつき。お前は“燃やしてくれた”から、俺はこれを“持っていく”よ。両方があるからこそ、未来は“選び直せる”気がする」
なつきは、それを聞いて微笑んだ。
「じゃあ、今日の選択は、“未来のデザイン第一稿”ってことで」
空に、ひとすじの風が吹いた。
それは、どんな図面にも描けない、自由の形だった。
(第38話 完)