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【第41話】璃桜、“他人の台詞が口に出る”病

「……やばいな……今日も朝から“辞めたい”が多い……」

 璃桜はそう呟いた直後、自分の口を両手で塞いだ。

「……また、出た……っ」

 その瞬間、教室の空気が一瞬凍ったようになり、次に爆発的な笑いが起こる。

「おい、今、先生の本音まんま言っただろ!?」

「『辞めたいなあ』って、授業開始2秒前のセリフじゃん!」

「やばすぎるって……情報源がダイレクトすぎる!」

 翔太郎が真顔で隣から声をかけた。

「なあ璃桜、お前……今、誰の言葉を喋った?」

 璃桜は静かに、けれど明らかに眉を寄せて答えた。

「……先生の、心の中の声。私、見てないのに、“聞こえる”っていうか……“言わされる”の。言いたくもないのに、口から出るのよ」

 翔太郎は目を見開いた。

「それ、“自動口パク心の声リレー”じゃん!どんな厄介アニマだよ!」

 璃桜はノートを開きながら、震える指で状況を書き留める。

「“他者の思考伝達型アニマ”。近くの人間の“発話前の言葉”が、自分の口から漏れ出す。拒否できず、誤魔化せず、しかも相手が意識してない内容も含む」

「つまり、“しゃべる前の本音”まで漏れるんだな……そりゃまずいって」

「朝からすでに3人の“別れたい”“やめたい”“ムリしてる”が出てきたわ……。私、口から出るたびに人間関係破壊してる気がしてきた」

「お前、自覚あるだけまだえらいよ……!」

 そのとき、すれ違いざまに廊下で男子生徒とぶつかった瞬間。

「……俺のズボン、チャック開いてる気がする」

「えっ!?ばれてた!?いや、俺今黙ってたのに!?」

「……喋ったの、私じゃない。私の中の“誰かの声”が、勝手に出たのよ……!」

 翔太郎は頭を抱えた。

「もう、これはあれだ。“逆腹話術”!口動くけど意志がないパターン!」

 璃桜が絶望したように言う。

「こんなんじゃ、もう誰とも会話できない……っていうか、“私自身の言葉”を出すことが怖い……」

「でも、逆に考えれば……それって、今、世の中の“本音”が丸見えになってるってことだよな?」

「翔太郎、そういうポジティブ転換やめて!危機感削れる!!」

 そのとき、職員室の前を通ったとき――

「“校長って最近、スマホいじってるだけだよね”」

「……誰が言ったの!?誰か言った!?俺言ってないぞ!?」

 職員室全体が凍りついた。

 璃桜は、顔を真っ赤にして逃げるように走り出した。

「やめて!私じゃないの!これ、声が勝手に口から出るだけなの!」

「もう“暴露装置”だな……完全に……!」

 翔太郎は追いかけながらつぶやく。

「でも、お前が一番苦しんでるの、わかるよ……“慎重に言葉を選ぶタイプ”の璃桜が、“選べない言葉”で自分を壊されるってのは……」



 翔太郎は、璃桜が職員室の前を駆け抜けていくのを見て、一瞬だけためらったが、すぐに後を追った。職員室の扉の前では、教師陣がざわざわと「誰が言ったんだ」「心読まれてる?」と動揺し始めており、混乱が確実に感染し始めていた。

 翔太郎がようやく璃桜に追いついたのは、校舎裏にある自販機の陰だった。璃桜は背を丸め、口元を手で押さえていた。その手のひらは、微かに震えていた。

「……ごめんなさい。私……また、言っちゃった」

 翔太郎は、彼女のそばに腰を下ろした。

「いや、お前のせいじゃない。口から出てるのは“他人の言葉”なんだろ?お前自身は“何も悪くない”って、俺はわかってる」

 璃桜はゆっくりと顔を上げた。その瞳には、曇りきった空のような色が浮かんでいた。

「でも、“私の口”から出た時点で、誰かを傷つけてる。それが“誰の声か”なんて、受け取った人には関係ないから」

「……」

「私は、“言葉”って、“責任”だと思ってた。たとえば、誰かの心を動かす一言も、逆に壊す一言も、全部“選んだ人”の責任。だからこそ、選びたかったの。どんな時も、ちゃんと“私の言葉”を選んで話したかった」

「でも今は……」

 翔太郎が代弁するように続ける。

「“選べないまま出てくる言葉”に、自分の責任まで背負わされてる、って感じか」

 璃桜は、力なく頷いた。

「“誰かの本音”がわかっても、それを“伝えていいかどうか”は、また別の話なのに……。今の私は、“伝えるべきじゃない言葉”まで漏らしてしまう」

「それでも、お前は“黙ってられない”んだな」

 翔太郎がぽつりと呟いた。

「お前、こういう時、誰よりも人のために動くタイプだもんな。“誰かの気持ちを無視できない”って、そういうやつだから」

 璃桜は、目を伏せながら小さく笑った。

「変だよね。私は、冷静で、慎重で、感情に振り回されないって、よく言われるのに」

「そう思ってるやつらに、“お前がどれだけ人を見てるか”わからせてやりたいわ」

 そのとき、彼女の口が勝手に動いた。

「翔太郎ってさ、たまに本気で恥ずかしいこと言うよね。……でも、ちょっと、嬉しい」

「……今の、“俺の心の声”だろ!?おい、言ったな!?言わせたな!?」

「え?うそ、いまの……翔太郎の?」

 璃桜が目を丸くする。

 翔太郎は真っ赤になって、制服の袖で顔を隠した。

「まさかお前、周囲の本音だけじゃなくて、“俺の本音”も漏らしてるのかよ……!!」

「ごめん……!でも、それちょっと……かわいかった」

「もうやめて!羞恥心が爆発する!!」

 笑い声が漏れると同時に、どこか遠くで“カラカラ……”と何かが崩れるような音がした。

 璃桜はふと気づく。

「今の……他人の声じゃなかった。“私の声”が、出た」

「え?」

「“かわいかった”って、翔太郎が思ったことじゃなくて、“私が”思ったこと」

「……」

「やっと、“私の言葉”を口に出せた」

 その瞬間、空気がふわっと緩んだ。校舎裏の風がやわらかく吹き抜ける。

「ねえ翔太郎。私は、選びたい。“誰の言葉でもない”、ちゃんと“私の言葉”を」

「なら、そうしようぜ。お前が話すことは、お前自身が決めていい。それが“本音”でも、“建前”でも、“迷い”でも――それが、“お前の声”なら、俺は信じる」

 璃桜は、小さく頷いて言った。

「じゃあ、ひとつだけ」

「ん?」

「私、翔太郎のこと、好きよ」

「……えっ?」

「たぶん、ずっと。あなたが一番、うるさくて、まっすぐで、怖がらなくて――羨ましくて、心強い人だったから」

 翔太郎は固まった。

 璃桜は微笑む。

「今のは、“誰の声”でもない。“私の声”よ」

(第41話 完)


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