「……言わないって、言ったでしょ……!」
屋上の片隅で、聖子は自分自身に怒鳴っていた。いや、正確には、彼女と全く同じ顔と声を持った“もう一人の彼女”に。
「え〜?でもさ、ほんとのことじゃん?ねえ、ねえ、昨日の昼休み、圭の話“ちょっと眠かったなぁ”って思ってたでしょ?言ってたでしょ?私聞いてたし!」
「だから!そういうことは言わなくていいの!!心の声なんだから!」
「でも私、心の声だからこそ“言わなきゃいけないこと”言ってると思うんだけど?」
聖子は目を覆って崩れ落ちそうになる。
「うわ……なにこの“自分自身によるマウント型羞恥プレイ”……!」
その場に居合わせた翔太郎が、思わずつぶやく。
「状況だけ見たら“壁と喧嘩してる人”なんだけど、中身がヤバすぎる……!」
「なんなのこの現象……!」
璃桜がノートを開く。
「“内面顕在化型アニマ”。心の声、つまり“自分の本音”が人格化して現れる。宿主の無意識からの反応を即時に“実体の声”として周囲に伝える」
「え、じゃあこいつ……完全に“聖子の脳内の正直モード”ってことか?」
「そう。しかも、“聖子の中で理性が抑えていた部分”ほど、発言力が強い。いわば“我慢してきた本音の化け物”」
「化け物って言わないで!私だし!」
もう一人の聖子が、元気よく手を挙げる。
「しかもその“意識の声”が暴走し始めると、他人の秘密まで“こっそり共有してた”部分を勝手にバラしていくわよ」
「……なんかすでに俺の記憶が掘り返されそうで怖いんだけど!?」
「翔太郎って、授業中たまに“自分のツッコミが届いてるか心配になる”って思ってるよね〜。あと、うまく笑ってもらえなかったとき、ちょっとしょんぼりするよね〜」
「うるせええええええええええええ!!!」
翔太郎が自分の頬を挟んで大声を出す。
「なんで俺のメンタルのツボまで知ってるんだよおおおお!」
「聖子の中の“共感型思考”が高すぎるせいね。無意識に他人の感情まで読み取ってたのよ。それが今、全部“声”になって出てる」
「最悪の情報流出型AIかよこいつ!」
「でも、悪気はないんだよね?」
璃桜が“声”のほうに問うと、彼女――もうひとりの聖子はにこっと笑って言った。
「うん。“聖子が言わないこと”って、“聖子が大事にしてること”でしょ?だから、言っちゃいたくなるの。“本音で生きてほしい”って、本人より思ってるかも」
聖子は、頭を抱えた。
「やめて……静かにしてって、お願い……私は、静かでいたいだけなの……!」
でも、もうひとりの聖子は、柔らかく微笑んで言った。
「静けさって、“自分の声を隠す”ことじゃないよ。“聞いてもらえる場所”があるって、思えることだよ」
その言葉に、聖子はふと、顔を上げた。
聖子はゆっくりと立ち上がり、自分とそっくりなもうひとりの“声”を見つめた。そこにあるのは怒りでも憎しみでもなく、ひたすらまっすぐな眼差しだった。自分を守ろうとする、自分の中の“本音の意志”。
「ねぇ、教えて。“本音”って、どこまで出していいの? 全部さらけ出したら、きっと私、誰かを傷つけてしまう」
「そうかもしれない。でも“言わないこと”が誰かを救うわけじゃないよ。私が知ってる。だって“聖子”の中で、何度もそう思ってきたでしょ?」
もう一人の聖子は、淡く微笑みながら言った。
「本当は、誰よりも“ちゃんと話したい”と思ってる。静かなのが好きなのは、“誰にも迷惑かけたくないから”で、“聞いてもらえない”のが怖いからじゃない」
「……うん、そうだと思う」
聖子は、視線を落とした。
「でも、私は“言葉に力を込める”のが下手。自信もない。だからつい、“聞き役”になってしまって、何も出せなくなる」
「でも、“私”が出てきたのって、“聖子が言えなかったぶんの気持ち”が溜まったからじゃない?」
「……うん。認めるよ。ありがとう、私」
その時、校舎裏で声がした。
「聖子ーっ!さっき俺の“昼飯が冷めたら泣く”って趣味嗜好がバレたんだけど!それお前の声のせいだったろ!?」
翔太郎が現れ、叫ぶようにして屋上のフェンス越しに顔を出した。
「うるさっ!!本当に来た!」
聖子は思わず叫び返し、翔太郎は驚いて目を見開いた。
「……今の、聖子の声か?」
「そりゃそうでしょ!」
「いや、なんか……テンション高すぎて“声のやつ”かと思った」
「私が喋ると全部そいつのせい扱い!?失礼にもほどがある!!」
「いや、でもその怒り……ちょっと“らしくて”いいじゃん」
翔太郎は、肩をすくめて笑った。
「俺は、“口数少ないやつ”って認識してたけど……言いたいこと、もっとあるよな、ほんとは?」
聖子はぎこちなく頷いた。
「あるよ。でも、言ったら“自分がブレる”気がして……静かな方が、ちゃんとしてる気がしてた」
「ちゃんとする必要なんか、ないんだよ」
「……え?」
「誰かの“正しさ”より、お前が“今何を感じてるか”の方が、ずっと“聖子らしい”って思う」
「……翔太郎って、時々ほんとに、照れずにそういうこと言うよね」
「うるせえ!!無意識に言ってんのバレたくねぇよ!!」
「ふふっ」
そのとき、もう一人の“意識の声”が聖子の背後でそっと笑った。
「それでいいんだよ。もう、“私”はいなくても平気そう」
「……え?」
聖子が振り返った時、彼女とそっくりの姿は、風のようにふわりと溶けていった。心の奥で、ずっと話せなかった“言葉”がようやく届いた瞬間だった。
「やっと、“静かになれた”……」
「いや、十分うるさかったけどな」
「……翔太郎?」
「でもその“うるささ”なら、歓迎だよ」
その一言に、聖子はほんの少しだけ目を細めた。
「ありがとう。ちょっとだけ、“喋ってみたくなる世界”だったから」
(第44話 完)