「あっ、ありがとう……!」
ピカッ――
その瞬間、翔真の手のひらに、直径3センチほどの透明な“結晶”が現れた。
「……はい?」
ぽとん、と落ちたそれは、まるで氷の粒のようにキラキラと光っている。まるで“気持ち”を視覚化したような、美しい光の塊だった。
翔太郎は目を丸くして固まった。
「いま、お前の“ありがとう”が物理化したよな!?なんで!?」
「わかんない……でも今朝からずっと、感謝を口にするたびにこれが出てきて……」
翔真がリュックのチャックを開けると、中にはすでに“ありがとう結晶”がぎっしり詰まっていた。
「やべえ!すでに50個以上ある!持ち歩いてんのかよそれ全部!?」
「捨てるの、なんだか悪い気がして……」
「いや、お前の優しさは好きだけど、これ“家の床抜けるぞ”!!」
璃桜がすぐさまアニマファイルを開いた。
「“感謝物質化型アニマ”。感謝の言葉が物理的結晶となって現れる。発言者の“真剣度”と“感情の密度”に比例してサイズと硬度が変化する」
「ってことは、本気で“ありがとう”を言うと、もっとデカくなるのか……」
「ちなみに、“ありがとう”だけじゃなくて“助かったよ”や“いつも感謝してる”も反応対象みたい」
翔太郎はため息をついた。
「いやいやいや、これ完全に“感謝の重み”が物理になってんじゃん。思ってても言えないレベルになってくるぞこれ!」
そのとき、翔真がふいに窓の外を見ながら呟いた。
「……ありがとう、太陽」
ピカァァァ!!
天井を突き抜けるサイズの“黄金色の結晶”がドォンと出現し、天井のパネルを破壊して落ちた。
「アホかお前ぇぇぇぇ!!自然に感謝すんな!!施設破壊するからぁ!!」
翔平が駆け込んできて叫ぶ。
「翔真!駅前で通行人に“ありがとう”連発してたろ!?今そこ地層みたいになってて、自転車止めらんねえんだぞ!!」
「え、あれ全部残ってんの!?」
「残るわ!!“ありがとう地層”ってなんだよ!地質学に新ジャンル誕生すんな!!」
瑞紀が冷静にメモを取っていた。
「記録上、翔真くんが昨日から今日までで“ありがとう”を言った回数、87回。そのたびに結晶が出現していると仮定すると、家の中、もう座る場所ないと思う」
「うん、ベッドの上もキラキラしてる」
「寝れねえよ!!お前の感謝で不眠症なるぞ!!」
璃桜が追記する。
「アニマの制御方法は、“感謝の気持ちを内面で伝える練習”をすること。“言葉にしない”感謝の形を覚えることで、結晶化を抑えられる可能性がある」
翔真はしばらく考えた末、ぽつりと呟いた。
「でもさ、言いたいんだ。“ありがとう”って。“伝えなきゃ届かない”って思ってて……」
「……」
「言った数だけ誰かが笑ってくれた。だから、ずっと、言い続けてきたんだ」
翔太郎が、ふっと笑って背中を叩いた。
「お前のその気持ち、否定する気なんかないよ。でも今は、“届く形”をちょっと変えてみないか?」
翔真は、結晶のひとつを手の中で転がしてから、静かに頷いた。
「うん。じゃあまずは……」
彼はそっと両手を胸に当てた。
「ありがとう、みんな」
そのとき、結晶は出なかった。
けれど――風が、教室を柔らかく吹き抜けた。
放課後の教室には、ほんのり甘い匂いが立ちこめていた。床の一角には、先ほど翔真が「ありがとう」と呟いた際に生まれた結晶が三つ、小さく光を灯していた。それは水晶と飴細工の中間のような質感で、触れるとほんのり温かい。
「……あのさ、これ、地味に滑るんだよね」
翔太郎が結晶の一つを拾いながら苦笑する。
「今朝こけたわ。下駄箱で“ありがとう”言われて、その場で“尻もち着いた”からな」
「すまん……でも、言いたくなっちゃうんだよ、つい」
翔真は申し訳なさそうに笑う。その顔には罪悪感よりも、どこか迷いの色がにじんでいた。
「俺さ、“ありがとう”っていうの、たぶん、昔は苦手だった」
その言葉に、璃桜がそっと視線を向ける。
「……昔?」
翔真は、窓の外を見つめながら続けた。
「小学生の頃、“ありがとうって言いすぎると軽く聞こえる”って言われてさ。それからずっと、“じゃあ本当に大切なときにだけ言おう”って決めたんだ。でも、中学のとき、怪我した友達に手を貸したら、“なんで言わないの?”って、逆に責められてさ……」
「そのとき思った。“言葉は伝えないと意味がない”って」
翔太郎が腕を組んでうなる。
「お前、ちゃんと理由あって“ありがとう星人”だったんだな……」
「翔太郎、それはちょっと……」
「いや褒めてんだよ!“ありがとうの権化”だって言いたいの!」
「それ、ちょっと違う意味になってない……?」
瑞紀が首を傾げる。
「でも、翔真の“ありがとう”って、みんな覚えてると思うよ。“誰かの気持ちをちゃんと肯定してくれる”って、結構な才能だと思うから」
翔真は、うっすら頬を染めながら笑った。
「……そう言ってくれるのは嬉しい。でもさ、この“ありがとう”が形になってから、何かが“重く”なった気がするんだ」
「重く?」
「うん。言えば言うほど、誰かに“何かを返さなきゃいけない気分”を与えてる気がしてさ……“ありがとう”って、本来は“相手に重さを乗せる”言葉じゃないのに」
璃桜が言った。
「“感謝されることの圧”って、確かにあるわね。純粋な気持ちでも、形が残ると“責任”に変わってしまうこともある」
翔太郎はふいに、翔真の手のひらを両手で包み込んだ。
「じゃあさ、こうしよう。今からお前が何かに感謝したくなったら、俺に向かって言え。全部俺が“受け取る担当”になるから」
「……え?なんで翔太郎が?」
「いいから!お前が“ため込むくらいなら”俺が“もらいすぎて爆発”した方がマシなんだよ!」
「そんなの、翔太郎の身体が……!」
「俺は“ツッコミで世界を修正する男”だから、ついでに“ありがとうの衝撃”くらい受け止められるようになってんだよ!」
「絶対嘘だろそれ!でも……ありがと、翔太郎」
ピカッ!
翔太郎の胸ポケットで、ちいさな結晶がひとつ、光を放った。
「うわ、心臓の上で輝くなって!アニメの最終決戦かよ!」
笑いとともに、教室の空気が和らいだ。
「翔真。これからも“ありがとう”って言っていい。でも、言葉の代わりに、“行動”で伝える方法もある。抱きしめるとか、手を振るとか、目を見て笑うとか」
璃桜の言葉に、翔真はうなずいた。
「うん……ありがとう」
その一言は、今度は結晶にならなかった。
翔真はそっと、それを心の中で“しまう”ように、胸に手を当てた。
「言葉がなくても、“伝わる”って、すごいことだな」
翔太郎がぽつりと呟く。
「でもやっぱ、お前の“ありがとう”、たまに聞きたくなるけどな。俺、あれ好きなんだよ」
翔真は、そっと手を伸ばして、翔太郎の肩に手を置いた。
「……翔太郎、ありがとう」
ボフッ。
翔太郎の肩から“ありがとう結晶”が生まれ、重さに耐えきれず彼が横に倒れた。
「おい!最後の一発、物理的に重いんだよおおおおお!」
笑い声が、夕暮れの教室に響いた。
(第45話 完)