「……あの、失礼します。今、職員室の扉を“右足から”入った生徒がいたのですが、“神罰”の対象になりますので、至急お名前を――」
「えっ!?翔太郎今“右足”だった!?まさかの世界線ルール違反!?」
「なんだよその監視体制!?誰!?なにこの空間こわ!!」
翔太郎が身を縮めながら振り向くと、そこには長身の異形が立っていた。全身白装束、無数の名札をつけたその存在は、額に「礼」と書かれたプレートを浮かべていた。
「私は“礼儀神シュメイナル”。此度の人界視察にて、至上の礼儀者を見出しました」
その視線は、真吾へと向けられる。
「彼――真吾。彼の一礼一歩一語に、古き神律との共鳴が見られます。我が神域において“礼の使徒”として迎えたく――」
「ちょちょちょちょっと待てぇぇぇえ!!」
翔太郎が割って入った。
「真吾が“礼儀の神の使い”!?確かに礼儀正しいけどさぁ、え、なんかその、“挨拶の角度まで律される系”?それ、めっちゃ息苦しくねぇか!?」
「うるさーい!」
異界の神がバチィッと手を鳴らすと、翔太郎の靴ひもが勝手に結び直された。
「礼儀を乱す者には“整えの制裁”。本来、立つにも三呼吸必要とされておる。瞬発力は無礼なり」
「意味がわからん!!三呼吸したら電車も授業も遅刻確定なんだよ!!」
真吾は静かに立ち上がり、深く一礼した。
「神様、そのご高名なご評価、光栄に存じます。しかしながら、僭越ながら一言申し上げます」
「なんと?」
「“形式に礼儀を見いだす”のは尊いことですが、それが“本意を覆い隠す”ようであれば、それは単なる“枷”となりましょう」
神の周囲がぴたりと静まる。
「……つまり?」
「たとえば、挨拶の角度が何度であれ、そこに“相手を思う気持ち”があるならば、それは礼儀だと、私は考えます。形はその意思を補助するものであり、目的そのものではないと」
璃桜がぽつりと呟く。
「……真吾、今の、めちゃくちゃ美しかったわ……」
翔太郎が肩を震わせる。
「お前な……言葉で人を正すって、こういうことなんだな……!」
神は沈黙ののち、ゆっくりと真吾の前にひざまずいた。
「真の礼を持つ者よ……貴様は“形式”に仕えるのではなく、“心”に仕えていたのだな」
「はい。“敬意”とは、心が“形”を超えて相手に向いたとき、もっとも清くなるものだと、信じています」
「うおおおおお!!今のセリフ、俺メモる!黒板に刻む!」
翔平が興奮気味に叫んだ。
神は立ち上がり、懐から一枚の札を取り出した。
「これを授けよう。“礼律免許初段”。貴様の名において、形に囚われずとも“礼儀正しき者”として通すがよい」
「はっ。ありがたく拝領いたします」
神が霧のように消えていくのを見ながら、翔太郎は真吾の背中をどついた。
「お前、やっぱすげぇな。礼儀の化身ってより、“礼儀の哲学”だったわ」
「いえいえ、私はただ、気づけば礼を重んじているだけですから」
その柔らかな笑みに、周囲のみんながつられて頭を下げた。
「……あれ?みんな、自然に礼してね?」
「うん。たぶん、“真吾の雰囲気”が礼儀だわ」
静かな夕陽の下、最も“言葉を丁寧に使う者”が、“最も自由な心”で礼を返していた。
(第46話 完)