放課後の図書室。西日が差し込む窓辺に、一冊の古い日記帳が置かれていた。
璃桜は、そっとその表紙に手を触れた。
ページをめくると、中には幼い字でこう綴られていた。
「おおきくなったら、おうじさまに、なる」
「……なんで“王子さま”……?」
思わず口にした自分の声に、璃桜は苦笑した。思い出せるようで思い出せない。けれど、確かにこの文字は自分のものだった。
「“誰かを守れる人”になりたい、って、昔は思ってたんだっけ……」
そのときだった。
風もないのに、棚の間をすり抜けて、青い光が揺れた。
そして、次の瞬間――
「ごきげんよう、お姫様。“あなたの願い”より参上しました♡」
ばっ、と音を立てて、図書室の天井からぶら下がったのは、王子風衣装を身にまとった異形の存在――アニマだった。
しかも――
「ダサッ!!」
翔太郎が廊下から顔を覗かせて、即座に叫んだ。
「願いが具現化したのになんで“紙芝居に出てくる三流王子”みたいな見た目なんだよ!?」
璃桜は顔を手で覆った。
「……やめて、それ、私が言いたかった……」
璃桜の“願いのアニマ”は、真剣そのものの表情でポーズを取っていた。
「さあ、世界の姫よ。あなたの“守りたかった過去”と、“なりたかった未来”を、今ここに統合する時が来ました」
「恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!!」
翔太郎が頭を抱える。
「このテンション、璃桜のキャラと乖離しすぎだろ!」
璃桜はぎこちなく歩み寄った。
「……でも、間違ってはいないの。私、昔は本当に“誰かのために何かしたくて”、それを“かっこよく”やりたかったんだと思う」
「それが、“王子さま”だったのか」
「うん。でもいつからか、“冷静に”“効率的に”“論理的に”が正しいって思うようになって、その夢、ずっと笑い飛ばしてた」
璃桜は、そっと王子姿のアニマを見た。
「あなた、ずっとここにいたの?」
「ええ。“笑われるかもしれない願い”として、心の奥底でじっと、ずっと。日の当たらない場所で、“捨てられる日”を待っていました」
璃桜は小さく息をのんだ。
「ごめん……」
「謝る必要などありません。“夢を閉じる”のは、誰にでもあること。それより――」
アニマは、ひざまずいた。
「あなたが、“今また触れてくれた”こと。それだけで、もう十分です」
翔太郎がそっと口を開く。
「……お前、泣いてねぇか?」
「泣いてない。ちょっと……なんか目が渇いただけ」
璃桜は顔を背けながら、そっと目元を拭った。
アニマは静かに立ち上がり、風のように淡くなっていった。
「ありがとう、“璃桜さま”。さようなら、“なりたかった私”……」
その姿が消えた後、璃桜のノートに、一行だけ新しい言葉が記されていた。
“今でも、“誰かを守りたい”と思ってる”
その言葉に、璃桜は微笑んだ。
「……やっぱり私、王子さまになりたかったんだな」
翔太郎が肩をすくめて笑った。
「じゃあ、これからもよろしく頼むよ、“姫を守る王子さま”」
「じゃああなたは、“文句ばかり言う従者”ね」
「いや、そっちかよ!!」
笑いと一抹の切なさが、図書室に満ちていった。
(第49話 完)