王都の昼は、陽光が路地の影を深く落とす。
その路地裏の一角――くたびれた道具屋を装った建物の裏口に、レイスたちはいた。
「……で? 今日の客人は、信用できるのかい?」
レイスが小声で尋ねると、隣で腕を組んでいたセリアがわずかに頷いた。
「会計士。王都役所の内部管理部門に十年以上勤務。騎士団内部の私の協力者を通じて接触した。名はガルト。金で動くタイプではない」
「ほう、珍しい生き物がいたもんだね」
レイスが皮肉混じりに言った直後、軋むような足音とともに、白髪混じりの中年男が現れた。眼鏡をかけ、服は質素。だがその目は、書類と数字で鍛えられた理詰めの光を宿していた。
「……あんたらが、第二騎士団か」
低い声で言うと、男は乱雑な木箱の上に資料を投げ出した。
「アーヴェン侯爵の資金繰り記録。ローゼル家と似たような構図さ。こっちはもっと巧妙だがね」
ユインが帳簿を手に取り、目を走らせる。
「建前は“地域再開発事業”。だがその実体は――空白地に対する投資偽装。貴族側は“存在しない農地”に資金を投じたフリをして、補助金を二重取りしてる。農地の名義は偽造、書類上だけの存在だ」
「……ってことは、王都第三財務局がグルということですか」
静かにセリアが呟く。
「少なくとも、一部はな」
ガルトは鼻を鳴らすと、懐から別の封筒を取り出す。
「これは“告発用にまとめていた資料”だ。だがな……」
その言葉に、一瞬空気が緊張する。
「まとめていた同僚が、一昨日から行方不明になった。家にも職場にも戻ってない。……他にも二人。調査に関わった職員が次々に消えてる」
重い沈黙が、その場を包み込む。
「つまり、証拠を握った時点で“処理される”ってわけか」
レイスが壁にもたれて目を細める。その声音はいつになく低かった。
「王子派の中枢が動いているのは間違いない。だが……」
ガルトがわずかに声を潜める。
「“王子本人の名前”は、どの書類にも出てこない。誰もそこに繋げようとしない。奴の名前が記された文書は、あらかじめ削除されている。完璧にな」
セリアが顔をしかめる。
「計画性が高すぎる……最初から摘発の限界を計算していたとしか思えない」
「そういうことだ。だから、おれはもう表に出るつもりはない。正直、命が惜しい。だが……」
ガルトはユインのほうを見て、言った。
「君たちなら、何かできるかもしれん。騎士団も、民も、王族も信用ならないこの国で……それでも、まだ“誰か”が声を上げるなら――」
彼の声がかすれる。資料をユインに手渡すと、黙ってその場を後にした。
「……怖かったでしょうね」
ユインがぽつりと呟くと、レイスが口を開いた。
「普通の人間には、あれが限界さ。声を上げるだけで命が消える国だぜ? よく耐えたほうさ……」
皮肉を口にしながらも、レイスの目は静かに燃えていた。
「……王子本人の名前がどこにも出てこない」
セリアが低く呟く。
「まったく、どれだけの人間を“切り捨てて”きたんだか。ほんと腐ってるよね~」
そのとき、レイス達の前に一人の騎士が現れた。
「団長、王女殿下より連絡です。例の件、予定通り“中庭での小規模演説”を実行するとのことです」
セリアの眉がピクリと動く。
「……予定通り、か」
その一言が、なぜか妙に重く響いた。どこかで――誰かが、その“予定”すらも見透かしている気がした。
報告が終わると、若い騎士は足早にその場を後にし、静寂が場を満たす。
レイス達も、その場に居座るわけにもいかず、第二騎士団本部の地下室へと移動した。
◆
「……この状況で演説って、正気かねぇ?」
レイスが紅茶のカップを置きながら呟く。その目は笑っていない。
「王女殿下は、本気でしたよ。例え失敗しても、行動を起こさなければ、何も変わらないと言ってました」
ユインがまっすぐに答えると、レイスは小さくため息をこぼした。
「はぁ、きっしょ。なにその正義感。流石は王族ってことかねー」
「ふふ、同族嫌悪ですか? レイスもかつてそうであったのでしょう?」
ユインの言葉にレイスの顔が不服そうに歪む。
「そんなんじゃないやい! 行動を起こすってのは、死ぬ覚悟も含めてってことだぜ? 殿下にはまだ、その“死”の臭いが足りねぇ」
「だからこそ、私たちが守るんです。……レイスも、それが分かっているのでしょう?」
その一言に、レイスはしばし黙り込んだ。やがて、皮肉げに口元を歪める。
「はーあ、ユインさん、嫌な奴になっちゃったなぁ~」
「ええ……まあ、あなたの
軽口の応酬に、セリアが苦笑を漏らす。だがすぐに表情を引き締めた。
「問題は、誰が“王女の動き”を漏らしているのか。今回の演説、外部には極少数しか知らせていない」
レイスとユインが顔を見合わせる。
「つまり、内部にまだ“穴”があるってことか」
「ええ。それも、かなり中枢に近いところに……」
セリアが声を落とし、壁に貼られた王都地図を睨みつける。
「演説会場には、すでに第二騎士団の数名を配置しました。念のため、会場の周囲も封鎖手配中です」
「だが、それすら読まれていたら?」
ダルそうに椅子にもたれかかりながら、レイスが指摘する。
「その可能性も否定できません。――最悪、王女殿下の命を狙う刺客が現れるかもしれない」
「だったら尚更止めなきゃダメでしょ。演説なんざ中止にして、こっちが先に裏を暴いて――」
「それで時間稼ぎをしている間に、告発者が全員消されたら?」
ユインの言葉がレイスの言葉を遮るように飛んだ。いつになく鋭い声音だった。
「“声を上げる者がいない”という事実が、一番国を腐らせるんです」
レイスは目を細め、しばし沈黙する。
「……お前、本当に変わったな」
「変えられたんです。あなたに」
その言葉にレイスが表情を歪め、口を開く。
「お前、勘違いしてんじゃねーか? 俺らはどこまでいっても部外者だ。この国がどうなろうが知ったこっちゃねぇ」
「そっちこそ勘違いしないでください。貴方達が得た……この平和の下で、どれだけの犠牲が払われたと思ってるんですか」
珍しく鋭い言葉を投げかけるユイン。重たい空気が、その場を包む。
レイスには、この言葉がどういう意味なのか痛いほどよくわかった。
それは、ユインがレイスに対して抱く個人的――私怨。
そして、レイスがユインに対して抱く個人的――懺悔。
二人の間にある決して消えることのない深い溝だ。
重苦しい雰囲気を断ち切ったのはセリアの手を叩く音と声だった。
「悪いが、夫婦喧嘩は後でやってくれ。今はそれどころじゃない。演説は手段としては有効だ、リスクはあれどやらない手はない。だからこそ、我々でなんとしても成功に導く必要がある」
誰もが分かっていた。この国にとって、演説は賭けだ。成功すれば、王女の言葉が波紋を広げ、正義の灯火となる。
だが失敗すれば、彼女の声も命も、歴史から抹消される。
それでも――。
「はあ……。なら、やるしかねぇな」
レイスが静かに立ち上がりその場を後にする。
「命張って“無駄”だったって笑えるくらいには、あの子の覚悟……確かめさせてもらうぜ」
誰にも見えないその背に、かつての“剣聖”が、静かに立ち上がっていた。