王都の朝は、いつもと変わらぬ喧騒から始まった。
市場の喧噪、馬車の車輪音、遠くで響く鐘の音。それらすべてが、変わらない日常を装っている。
だがその裏で、“何か”が静かに動き始めていた。
第二騎士団本部の地下室――そこに設けられた簡素な作戦室には、数枚の地図と書類が並べられていた。
その中央に立つのは、赤髪をなびかせた騎士団長・セリア。冷え切った空気の中、視線は鋭く資料を見つめている。
「……ローゼル家に続いて、アーヴェン侯、ブルガット男爵、そして……ノルツ公爵。いずれも第一王子派の貴族ばかり」
壁に貼られた家紋の横に、赤い線が引かれていく。
その数は、日に日に増していた。
「ははっ、どいつもこいつも真っ黒だ。終わってるね、この国」
レイスが椅子にもたれながら、肩をすくめる。
片手に持った紅茶を揺らしながら、その目は冗談とも本気ともつかない光を帯びていた。
「でも、陰謀の輪郭が、ようやく見えてきましたね」
ユインが資料を手にしながら低く呟いた。
今回の情報整理には、第二騎士団の内部協力者数名が動いており、その中にはセリア直属の古参騎士たちも含まれている。
「ただ、決定打にはまだ足りない。証拠としては、補助金の流れや偽装工作は十分だけど……王子本人の関与が明文化されたものは出てこない」
セリアの言葉に、誰もが無言で頷くしかなかった。
現在判明している不正は、資金洗浄・土地の転売・公共工事の名義偽装など多岐にわたる。
どれも精巧で、法に触れてはいるが、関係者の名が“ぎりぎり”で伏せられているのが特徴だった。
――まるで、誰かが最初から“摘発される範囲”を計算して動いているかのように。
「それに……王女殿下の周りの動きも、少しおかしい」
ユインが一枚の報告書を手に取る。
そこには、レオノールの行動記録――王都内での移動時間、訪問先、同行した騎士団員の構成などが簡潔に記されていた。
「監視、ですか?」
「恐らくは。殿下が出歩くたびに、他の騎士団の“見知らぬ顔”が後をつけているという話も出ています。しかも、その中には……第一騎士団の紋章を付けていた者もいたと」
「……王都の中で、王女の護衛が別派閥に囲まれてるってわけか。大層モテるようで大変だね~」
レイスは皮肉を呟きながら、足を組み直した。
「レイスとは正反対ですね」
「あ、やめて? 刺さるから、それ」
ユインの返しに大ダメージを食らうレイス。それを見てセリアがクスッと笑い、少し場が和む。
第二騎士団が王女を守っているとはいえ、他派閥の騎士団がじわじわと包囲を強めている現実は、見過ごせない。
「どうにか……王女殿下をこの包囲から解き放たなければなりません」
セリアが声を落としながら言う。その目には焦りと苛立ち、そして何より、王女を守らねばならないという責任の色が滲んでいた。
だが、焦って仕掛ければ相手の思う壺。先に動いた方が敗ける将棋のような局面――そう思った矢先、部屋の扉が軽くノックされた。
「失礼します。追加の報告を――」
若い騎士が顔を出し、一枚の手紙をセリアに差し出した。
中を確認したセリアの表情がわずかに曇る。
「……王女殿下が、“政務復帰”の申請を却下されたそうです」
「却下?」
ユインが思わず声を漏らす。
「表向きの理由は“健康状態の懸念”。だが、殿下はすでに医師の診断も受けており、回復は確認されていたはず……」
「つまり、“復帰されたら困る側”が強引に封じたってことだな」
レイスの声が静かに落ちる。皮肉げな笑みを浮かべながらも、その目は冴え冴えとしていた。
王女の動きを封じ、不正の告発もできず、しかも包囲は着実に進んでいる。
まるで――誰かがすべての駒を数手先まで読んで、先に手を打っているような。
だが、その“誰か”の正体は未だに見えない。
名前も、顔も、意図も。
「本当に……気持ち悪いほど静かですね、この王都は」
ユインの言葉に、誰もが口をつぐんだ。
静寂。それは安寧の証などではない。今この王都を覆っているのは、“嵐の直前の静けさ”そのものだ。