「で・・・・・・息子さんの症状は?」
冒険者たちの間ではよく「ギルドの支部以外に何もない」と評される小さな街。そんな街に人知れず居を構える、こぢんまりとした精神科診療所。
その診察室にて、今日も患者の訴えを聞いているのは、肩まで伸ばしたボサボサの髪がだらしない男性医師。無精ヒゲも相まって余計に老けて見えるが、肌ツヤなどから察する分にはまだ30くらいであろうか。
「一週間くらい前からでしょうか・・・・・・? 急にませた・・・・・・いえ、あれはもうそんな次元ではありません。性欲の獣と成り果ててしまったかのような言動を繰り返すようになってしまったのです」
そう症状を語るのは、患者の母親だという女性。年齢的には医師と同じくらいだろうが、息子の豹変による気苦労からか痩せこけてしまい、なんだか老けて見える有様だ。
当の息子は一緒に来てはおらず、診察室にいるのはその母親だけだった。
「それは・・・・・・男子ならいずれ通る道では?」
医師にも何か心当たりがあるのだろうか。少し言いづらそうながらも、自身の見解を口にする。
「それはそうかもしれませんが・・・・・・。でも、うちのユリエルちゃんはまだ6歳ですよ!? 6歳児が冒険者の女性を襲って、その履いていた下着を奪ったりなんてしますか、普通!?」
「まあ・・・・・・いたずら盛りになってくる頃合いですし・・・・・・」
露骨に面倒ごとを避けようとしているようにも見える医師の態度に対し、少しずつヒートアップしていく母親。しかし、医師は相変わらず、とってつけたような曖昧な返答を歯切れ悪く返すのみであった。
「しかも、奪った下着をどうするのかと思ったら、自分の性器に巻いて擦ってるんですよ? 明らかに6歳児のすることではありません! きっと何かの病気に違いありません!」
「あー・・・・・・。それはさすがに・・・・・・」
「女の子よりも美しくおしとやかに育ててきた、うちのユリエルちゃんが・・・・・・どうしてあんなケダモノに・・・・・・!」
両手で顔を覆い、ついには大声で泣き崩れてしまう母親。そんな彼女の姿を見た医師は、そのボサボサの頭を掻きながら、面倒くさそうにゆっくりと口を開いた。
「お母さん、落ち着いて聞いてください。息子さんですが・・・・・・『テンセイ症』の可能性が高いでしょう」
医師がそう診断を告げると、先程までも泣き崩れていたはずの母親の表情が、さらに絶望の淵へと突き落とされたかのようなものへと変わる。
「『テンセイ症』・・・・・・? そんな・・・・・・。じゃあ、あの可愛かった頃のユリエルちゃんには・・・・・・もう二度と戻らないってことですか・・・・・・?」
母親の絶望も無理はない。
「テンセイ症」。この頃になって急激にその患者数が増えているという精神疾患の一種。この病気に罹患してしまうと、まるで何かが取り憑いてしまったかのようにその人格が豹変してしまう病気だ。
病気と銘打ってはいるが、発生のメカニズムはまるで解明されておらず、治療の方法も確立されていない。そのため、もし一度かかってしまえば、一生変わった先の人格で生きていくことを強いられてしまう、事実上の不治の病だ。
元の人格が完全に失われてしまうが故か、不幸中の幸い、本人にとってのダメージは少ない。だが、患者と親しい家族や恋人・友人などにとっては悪夢のような病気である。
それこそ、この母親のように。
「まあ、そういうことになりますね」
医師は感情を乗せないように淡々と、抑揚の無い語気でそう告げる。
「そんな・・・・・・! 何か方法はないのですか、先生!? 私にできることであれば何でも致しますので、そこをなんとか・・・・・・!?」
藁にもすがるような思いで、医師へと懇願する母親。
「そうですね・・・・・・まあ、方法が無いわけではないですよ。・・・・・・それなりのお金は頂戴することになりますがね」
ここにきて初めて、医師の口角が吊り上がる。それは、人の弱みにつけいることで自らの利益にしようとする、狡猾な人種のするにやけ面だった。
「お金ごときで元のユリエルちゃんを取り戻せるのであれば、いくらでもお支払い致します! ですので・・・・・・どうか・・・・・・!」
一寸先も見通せぬ暗闇に突如差し込んだ希望の光。たとえ、それがどれだけ怪しい光であっても。足元を見られていることが丸わかりでも。その光にすがらないという選択肢が、今の母親にあろうはずもなかった。
男からしても、そんなことは重々承知の上である。おもむろに取り出した一枚の書面を母親の方へと突き出すと、先程までの煮え切らない態度が嘘だったかのように雄弁に語り始めた。
「でしたら、まずはこちらの契約書にサインをしてください。支払いは成功報酬で構いません。・・・・・・その代わり、ユリエル君が元に戻ったらどんな手を使ってでも払ってもらいますから、その点だけは覚悟をしておいてください」
医師の表情には、自信にも似た薄ら笑いが浮かんでいる。
母親は一切の躊躇なく、契約書へとサインをした。
・・・・・・その契約書の書面には、血の気が引くほどにおびただしい数の0を並べた請求金額が記されていた。