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【第二章】

第26話 四年後


「リアに教えられることは、すべてお教えいたしました」


 リアが本の最後の一ページを読み上げてから、そう言った。

 時間はかかったが、私は今日、ついにリアの学力に追いついたのだ。


「ではこの後はどうすればいいですか?」


「……自習、ですかね」


 リアの言葉を聞くなり、急いで机の上を片付けた。


「では、シリウス様のお仕事見学に行ってきます!」


「こうなるだろうとリアは思っていたのです」


 リアが長い溜息を吐いた。


「そんな顔しないでください。お仕事を学ぶのも勉強になりますよ」


「クレア様は、シリウス様の近くに居たいだけですよね?」


 もちろん。

 でも、仕事を見ることが勉強にならないこともない、と思う……きっと、たぶん。


「クレア様のシリウス様大好き病は治りませんね」


「恋の病に薬はありませんから」


「前は嘘だったじゃありませんか」


「確かに以前はそうですね……でも、今の私はシリウス様を振り向かせようと必死なんです」


 そう、今の私はシリウス様に本当に恋をしてしまったのだ。

 絶体絶命のところを助けられて、優しくされながら一緒に暮らして、一緒に暮らすうちに面白いところも可愛いところも見せられて、恋に落ちない娘がいるだろうか。いやいない。


 それにシリウス様はものすごく素直で、気を遣う必要がない。

 嫌なことは嫌だと言うし、社交辞令は概念すら知らなそうだ。


 そんなシリウス様と一緒にいると、私も自然体でいられる。

 それは、とても心地が良い。

 もしかすると、これが“家族”なのかもしれないとさえ思う。

 そして家族なら私はシリウス様の娘や妹ではなく、妻が良いと思っている。


「でも全く相手にされてないといいますか……本気とは思われてなさそうなんですよね」


 嫌われてはいないのだろうが、恋愛対象として意識されてはいない。

 城に来たばかりの頃とは違って、私はもう十八歳なのに。


「……好きでもないうちからシリウス様のことが好きな振りをしていたせいで、本当に好きになったって言っても信じてくれなくなっちゃったんですよね」


「狼少年ですね」


 その通り、私の自業自得だ。

 この城を追い出されたくなくて、シリウス様に手を出されればこのまま城に置いてもらえるのでは?と考えた幼い私の吐いた嘘。

 その浅知恵のせいで、今これほど苦しむことになろうとは。


「どうしてあんなことをしちゃったかなあ、あの頃の私は」


「……あの頃のクレア様は不安定でしたから。リアは嘘を責めようとは思いません」


 リアの言葉に驚いた。

 私としては上手くやれていると思っていたのだが、周りからは不安定に見えていたのだろうか。


「上手く馴染めているつもりだったんですが。不安定に見えてました?」


「はい。ワガママも自身の希望も言わず、のらりくらりと上手く暮らしていて……そう、あの頃のクレア様は上手く暮らし過ぎていました」


「上手く暮らしていたのに、不安定に見えたんですか?」


「時として、出来過ぎは出来ないことよりも危ういものです。クレア様は、城の住人とぶつかり合うことがないように、細かく気を遣って周りに合わせていたのだと、リアは思います」


 誰よりも後に城にやって来た新参者だからわきまえていたつもりだったのに、それがそんな風に思われていたなんて。


「でもそれで衝突しないで済むなら、いいことなんじゃありませんか?」


「……周りに合わせることは、行き過ぎると自分を殺す行為です。周りに合わせ続けていると、自分が消えていきます。芯になる自分が無くなると、人生は不安定なものになります」


 なるほど。

 リアには、私が衝突を避け周りに合わせ続けているために“クレア”という人間が消えかけているように思えたのだろう。

 “クレア”の存在が不安定に見えたのだ。


「……ですので、クレア様の感情が爆発したときは安心しました」


「安心、ですか」


 リアの言う、爆発したとき、がいつのことかはすぐに分かった。

 私が城で感情をあらわにしたことは、数えるほどしかない。


「あのときリアは、クレア様にも芯になる自分の考えがあるのだと知ったのです」


 芯になる考えなんて殊勝なものではない。

 あのときは、ただ腹が立って食ってかかっただけだ。


「ムカついたから文句を言っただけです。それに、被虐待児でも楽しく生きたい、という陳腐な意見ですよ」


「陳腐ではないのです。現にリアたちは、被虐待児は暗く悲しく生きるものだと思っていました。そしてこの考えが、彼らの人生を決めつけていることにも気付けませんでした」


 実際は悲しく生きる人が多いのだろう。

 だからこそ、そんなイメージが人々の頭にこびりついているのだ。

 しかし、被虐待児だろうとそうでなかろうと、人間は一人一人違う生き方をするものだ。


「あの件でリアたちはクレア様に見放されてもおかしくなかったのに……こうして今でも仲良くして頂いていることが奇跡です」


「あのときは私も頭に血が上って言い過ぎましたから。若気の至りです」


 それは違うと冷静に言えば良かったところを、怒鳴って睨みつけて、大人げなかった。


「クレア様は今でも十分若いですよ。むしろあの頃は年齢よりも大人びていたと思います」


 あの頃の私は、早く大人になろうと必死だった。

 大人にならなければ自分の力で辛い状況を打破できないし、助けてくれた人たちに恩返しも出来ない。

 そう思って、知らないうちに焦っていたのかもしれない。


「ふふっ、実はあの衝突のおかげで、マリー姉さんが前よりもいい人になったのです。何か思うところがあったのでしょうね」


「別にもともと悪い人ではありませんでしたよ」


「確かに根は悪くありませんが、調子が良くていいとこ取りで口が軽くて偉そうなところがありましたから」


「意外と言いますね」


「家族ですから」


 リアは持っていた本を片付けると、私をシリウス様のもとへと送り出してくれた。




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