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第31話 シリウスの過去③


 部署移動の日までまだ時間がある。だから俺は一旦この問題を棚上げすることにした。

 ……しかし、マリアンヌは違った。


「お願い。私に“生を司る能力”の方をちょうだい。それ以外のことなら何でもするから!」


 毎日、俺に頭を下げに来たのだ。

 仕事が始まる前に一回、仕事が終わってから一回、帰宅した俺の家までわざわざ来て一回。毎日毎日、飽きることなく俺に頭を下げ続けた。


 とはいえ、簡単に頷ける内容ではない。

 俺だって、“死を司る能力”で誰かを殺したくはなかったから。


 俺は頑なに首を縦には振らなかったが、マリアンヌも負けなかった。

 俺たちの攻防は、部署移動の前日まで続いた。


「シリウス、お願い。あなたが望むことなら本当に何だってするわ。だからどうか“生を司る能力”をちょうだい」


 最後の方は、マリアンヌは泣きながら懇願していた。

 その姿を見て、俺は、気付いてしまった。


 部署移動の話が出てから、マリアンヌは毎日俺に頭を下げに来た。

 仕事でどんなに疲れていようとも、欠かすことはなかった。

 “生を司る能力”を得るために必死に努力をしていた。


 一方で、俺は?


 俺は、マリアンヌの懇願に対して首を横に振ること以外に、何かしたか?


 …………何もしていない。


 問題を棚上げにするだけで、解決のための努力の一切を放棄していた。

 マリアンヌの努力が報われずに、努力せず駄々をこねていただけの俺が願望を叶えることは、果たして許されるのだろうか。



 部署移動の当日、俺はついに首を縦に振ることにした。




「では“生を司る能力”の権能をマリアンヌに、“死を司る能力”の権能をシリウスに与えることとする」


 地区長はそう言って、俺とマリアンヌに力を授けた。

 さらに。


「冥界で生まれ冥界で育った君たちが、すぐに地上での生活に順応することは難しいだろう。ゆえに君たちには“魔力”も与えよう。こちらは自由に使ってよいが、乱用して地上を荒らすことは控えるのだぞ」


 俺とマリアンヌは、地区長に深く頭を下げた。


「地上へ行く前に質問はあるか?」


「“権能”の使い方を教えてください。あと、“魔力”の使い方も」


 問われた地区長は二冊の本を取り出し、俺とマリアンヌにそれぞれ渡した。


「権能は、力を使おうと願いさえすれば自然と発動する。魔力の方は、地上にいる魔法使いと同じ使い方だ。詳しくは、彼らがまとめた魔法書を渡すから、読んで学ぶといい。まだまだ研究中の分野のようだがな」


 渡された本は、地区長の話の通り地上のものなのだろう。

 寿命の存在しない冥界では、情報を本に残す習慣が無い。聞きたいことがあるなら直接話をすれば済むからだ。


「どうして冥界に本があるんですか?」


「下調べも無しに君たちを地上へ送り出すわけがないだろう」


 おや、と思った。

 誰かが地上の本を冥界に持ち込んだということは、その者は地上と冥界を行き来しているということだ。


「地上と冥界の行き来が出来るのなら、俺たちが冥界に戻ってくることもあるんですよね?」


「この本を見てそう考えたのだろうが、地上と冥界を気軽に移動することは出来ない。この本は、地上の魔法書を冥界から閲覧し、書き写したものだ」


 なるほど。

 この本は地上産のものではなく、冥界の誰かが地上の本を書き写した写本ということか。


「地上に降りたものが冥界に来る方法は『死亡』だけ。誰であろうと自由に地上と冥界の行き来は出来ない。君たちも、死んだら冥界に戻って来られる」


 地区長が悪戯っぽく笑った。

 つまり、俺たちのこれからの勤務先は、地上で固定されるということだ。


「死んだら、ですか? 私たちに寿命は無いと思うのですが……」


 地区長の言葉を聞いたマリアンヌが遠慮がちに手を挙げた。


「基本的には、な。だが“権能”を譲渡した場合、君たちには寿命が生まれる」


 言ってから、地区長はしまったと小さく声に出した。


「権能を譲れるんですか!?」


 初耳だ。

 というかこんな大事なことを、地区長は隠したまま、俺たちを地上へ送り出そうとしていたのか。

 横を見ると、マリアンヌも前のめりになって地区長の話を聞こうとしていた。


「あー、譲れるには譲れるが、地上には冥界出身者がいない。ゆえに譲る相手は地上で生まれ地上で育った者となる。彼らは冥界の事情を知らないため、君たち“冥界の住人”に仕事を任せたいと思っているのだが……」


「もちろん私もシリウスも仕事を放棄する気はありません。ですが、もしものときのために、説明だけでも聞かせてください」


 しれっと俺の名前も出された。まあ俺も仕事はしっかりやるつもりだが。


 マリアンヌの詰め寄りに、地区長は観念したように両手を挙げた。


「知っての通り、冥界で暮らす者に寿命は無い。『冥界』が『寿命とは無縁の場所』だからだ。しかし地上に降りることで、君たちと冥界とを繋ぐものは『仕事』だけになる。よって、冥界の仕事を失った場合、君たちと冥界の繋がりは消える。そうなった場合は君たちも地上の理の上で生きなければならない」


 冥界の仕事を失ったら、地上にいる俺たちはただの「地上の者」になってしまうということだ。


「権能を移すためには、譲渡相手に冥界の仕事をきちんと理解させた上で、両者の唇に血を塗り、口づけを交わす儀式が必要だ。現実的な話ではない。冥界の仕事を任せるに値するだけの人物、かつ、冥界の仕事を引き受け、このような怪しい儀式に手を貸してくれる者がいると思うか?」


 いないだろう。

 まず冥界の仕事を任せるに値する人物がいない。

 たくさんの魂を見てきたが、誰も彼も利己的だったり身内贔屓だったりする。

 この仕事はそういった一切の感情を捨て、生死の全体数を管理しなければならない。

 身内だから生かす、敵だから殺す、では務まらないのだ。


「他に質問は?」


「私とシリウスの間で、権能の交換をすることは出来ますか?」


「不可能だ」


 マリアンヌが尋ねたが、すぐに否定された。


「力の乱用を防ぐため、同じ者が生と死の両方の権能を得られぬよう、権能には制御がかかっている。一度片方の権能を手に入れた者は、もう片方の権能を手にすることは出来ない。たとえすでに権能を手放していても、だ」


「そう、ですか……」


 マリアンヌは静かに目を伏せた。


 きっとマリアンヌは俺の負担を軽くするために、時々権能の交換を行なうことを考えたのだろう。

 しかし地区長の言うことはもっともだ。


 一人が両方の権能を手に入れることは非常に危険だ。誰もその者を止められなくなってしまう。

 逆に二人で片方ずつ持っていれば、一人が暴走したとしてももう一人の権能で打ち消すことが出来る。


 同じ人物が同時ではなくとも、両方の権能を得られないようにしたのもこれが理由だろう。

 たとえば権能を持つ片方を縛り付けて無理やり権能の交換を繰り返せば、一人で二つの権能を持っているのと同じことになってしまうからだ。


 もちろん、マリアンヌがそんなことをするとは思っていないが、システムとしてこの制御を組み込んでおくことは有効だ。


「もう質問は無いか?」


 地区長の再度の問いに、俺もマリアンヌも、黙って頷いた。


「ではこれより、シリウスとマリアンヌを地上へ降ろす儀式を行なう」




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