久しぶりに見るシリウス様は、相変わらず美しかった。
しかし造形は美しいものの、衣服はかなり汚れている。
「今回の外出は大変だったんですね。私もシリウス様不足で大変でしたが」
「余不足? 何の話か分からんが……時間がかかったのは、鉱山に行って来たからだ」
そう言うとシリウス様は、持っていた袋から緑色の原石を取り出してみせた。
「緑色……聖女を見分ける石に似てますね?」
「似ているというか、そのものだ」
「えっ、持ち歩いているんですか!?」
結構重そうな原石なのに。
もしかして鉱山でいろんな人に原石を触らせていたのだろうか。
…………鉱山に女性、いる?
「これは以前見せたものとは別の原石だ。加工しようと思って採ってきた」
「あの原石って一つじゃないんですか!?」
聖女を見分ける石が複数あるとは思わず、裏返った声を上げてしまった。
「これ以外にも鉱山の中には原石がまだまだあると思うぞ」
「あれは世界に一つしかない貴重な原石なのかと思ってました……」
「余がそう言ったか?」
言っていない。
だけど、聖女を見分ける原石がその辺にごろごろしているなんて普通は考えないと思う。
「でも、シリウス様はすでに原石を持っているのに、どうしてまた採りに行ったんですか?」
「そなたが原石を綺麗だと言ったからに決まっているだろう」
「…………えっ!?」
そういえば原石を見せてもらったときに、綺麗な緑色だと言った気がする。
まさかシリウス様は、それだけで鉱山へ行ったということ?
それって、もしかして。
いや、もしかしなくても。
「私を喜ばせようとしてくれた、ってことですか!?」
「新作の首輪でも作ろうかと思っただけだ」
「あ。その設定、生きてたんですね」
たぶん使用人の全員が忘れているだろう愛玩動物設定を、久しぶりに聞いた気がする。
「何はともあれ、おかえりなさい」
そう言ったところで、あることを思い出した。
世の中には『おかえりなさいのチュー』というものがあるらしい。
その存在はまことしやかに噂されているものであり、私自身が目撃したことはないのだが、夫が帰宅する際に妻とキスをするというものらしい。
シリウス様と私は夫と妻ではないが、こういったことに疎そうなシリウス様に、『おかえりなさいのチュー』は主人と愛玩動物で行なうものだ。と嘘を教えたら、信じてくれるのではないだろうか。
そう、まさに今が、『おかえりなさいのチュー』チャンスではないだろうか!?
「シリウス様、主人が帰宅した際には、愛玩動物と『おかえりなさいのチュー』をするものらしいですよ」
「『おかえりなさいのチュー』という単語は初めて聞いた」
「初耳でしたか! これは都合が良……ごほんごほんっ。さあ、愛玩動物と『おかえりなさいのチュー』をしましょう!」
言いながら私は、唇をシリウス様に向けて目を瞑った。
しばらく待っていると、私の唇につるんとしたものが当たった。
まさか本当にキスしてくれるなんて!
シリウス様ってば、唇がつやつやのつるつる。それにほんのり植物の香り……。
「……って、トマトじゃないですか!」
私の唇を奪っていたのはシリウス様ではなく、真っ赤に色付いたトマトだった。
「収穫したての新鮮なトマトは旨いぞ」
確かに目の前の真っ赤なトマトは、誰がどう見ても美味しそうだ。
でも私はトマトが食べたいんじゃなくてシリウス様と『おかえりなさいのチュー』がしたかったのに。
「食べないのか」
「そうじゃなくてキス…………まあ食べますけど」
口元に差し出されたトマトにかじりつく。
とれたてのトマトはみずみずしく、味付けをすることが無粋だと感じてしまうほど、素材そのものの味が良い。
皮が柔らかく実は甘く、汁の一滴すら残したくなくなる美味しさだ。
「……あっ、もったいない」
食い意地を張ってトマトの汁が滴るシリウス様の手を舐めようとしたら、妖怪を見るような目で見つめられた。